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―Ⅹ―
翌日、朝食をいただいたあと、部屋に戻って出発の支度をしていると、ヴァルとルードとレジーが、ミナの側の居室にやってきた。
寝室を隔てたそちらに、訪問者があることを察知して、デュッカが素早く部屋に入る。
応接用の椅子に招くと、ヴァルは1枚の、金属の折り畳まれた板を差し出した。
「受け取ってくれ。我ら、リクト国から、せめてもの心付けだ」
受け取って、見ると、リクト王国通行証、とあり、指定は、アルシュファイド王国国格彩石判定師ミナ・イエヤ・ハイデルと、その伉儷、アルシュファイド王国風の宮公デュッセネ・イエヤと、ミナの護衛として、アルシュファイド王国ハイデル騎士団団長ムティッツィアノ・モートン以下ハイデル騎士団団員、とあった。
但し、これに付従する者として指定あれば、通すことを認める、ともあった。
「これ、指定範囲広すぎるんじゃ…」
「うむ。そこは、ミナ。お前を信じようと思うのだ」
ミナは顔を上げて、ヴァルを見た。
まっすぐに見返す瞳は、とても、深く胸に落ちた。
「ありがとう、ございます…」
「いや。判らぬところなどないか?」
そうして、あとに続く条項を確かめると、ミナはそれを胸に当てて、もう一度、深く、礼を言った。
それから、ヴァルたちは一旦、用事を済ませに行き、出発の時間、見送ってくれた。
「ミナ、デュッカ。また、リクト国に来る際は、是非とも、クドウに立ち寄ってくれ」
「ありがとうございます。ええ、何もなければ、そのように」
「うむ。ムト、そして騎士たちよ、役目、頼む」
「は、お任せください」
ムトが、騎士の礼をして、ほかの者たちも、これに倣う。
「テナ、ユクト。役目ご苦労。息災でな」
「お心遣い、ありがたく存じます。陛下も、ご健勝であるよう、願っております」
テナに続けて、ユクトも挨拶をする。
「ブドー!また、会いたい。もっと、話したいな!」
「うん、俺も!また、来るよ。そういう年齢になったら」
「うむ!楽しみにしている。ジェッツィ、昨夜は楽しかった。また会えるといいな」
「はい、陛下。そのときはまた、一緒に歌ってください」
「うん!」
ヴァルは、少年らしい輝く笑顔で応え、旅人たちを見回した。
「アルシュファイド国の旅人よ、よき旅を続けてくれ!」
「ありがとうございます」
もう一度礼を言って、ミナたちは馬車に乗り込み、騎士たちの多くは馬に乗り、ムトの合図で馭者が掛け声を上げ、隊列が動き出した。
窓のなかから手を振り、クドウ城を出ると、クドウの朝の街並みを眺める。
もう、大人たちは仕事に行ったのだろう。
子供の姿が多いようだ。
「もっと、見たかったな、クドウの町」
ブドーが、少し寂しそうに言った。
「そっか。また、見に来られるといいね。ジェッツィ、楽しめた?」
「うん!私も、色々、見足りない気がするな!」
「うん。また連れて来られるといいけど、ね。リクト国は、これから、ちょっと用事があるから、付き合ってね。それから、アルシュファイドに帰ろう」
「うん!」
2人の元気な声に頷いて応え、ミナは窓の外を見た。
耳に残る、ジェッツィの歌声。
願い届けよ、天の恵み
思い酌めよ、地の蓄え
きっと、彼らを、満たし給え
満たし給え。
腹を満たして欲しい。
まずは、そこから。
一歩ずつ。
ザクォーネ王国との関係も、一足飛びに、改善はしない。
ひとつひとつ、積み重ねて、掴んで、いくのだ。
「次は、どんな町かなあ!」
「そうだねえ」
ミナは、もう、先のことに意識の向いている2人に微笑み、次は昼休憩だね、と言った。
「滞在時間が短かったから、あんまり知らないんだ。まあ、今回も、すぐ出なくちゃいけないけど」
「泊まるのは、どんなとこ?」
「んー、小さめの町という印象かな。手前の、昼休憩する町の方が、賑やかだったんじゃないかなあ」
そんな話をして、昼、ベックと言う町に着いた。
やはり賑やかな町で、どうやら、商人が道端で語らうところが、多く目に付く。
「どういう町なのかな」
今回は、説明してくれる者がいないので、首を傾けるしかない。
以前にも世話になった食堂で昼食を摂ると、ミナたちは、少しだけ街を歩いた。
食事をした食堂のある通りは、大きかったけれど、外から見て、店と判るものは、ないように思った。
「ここは…宿、の通りかな…」
宿ならば、ぽつりぽつりと見受けられる。
食堂として使われているようで、出てくる者たちには、どこか満足した様子が窺える。
「俺、聞いてくる!」
ブドーが、止める間もなく、目に付いた男たちのところに駆けて行って、いくらか言葉を交わすと、戻ってきた。
「向こう側に店の並んでる通りがあるんだってさ!行っていいか!?」
「うーん、そろそろ、出発かなあ…」
「歩くのは無理だが、馬車をそちらに回して、窓から見る程度では?」
セラムの提案に、仕方ないとブドーは頷き、馬車に戻った。
そこでは、ちょっとした騒ぎが起きていて、どうやら、小さな子が、馬車に潜り込んだらしい。
何か、腹を空かせた様子だったので、食べ物を持たせて帰したらという意見と、このまま帰せば、また同じことをして、今度はひどい扱いを受ける、という意見があり、割れていた。
ちょうどムトが、決断を口にしようとするところで、ミナが言った。
「小さな子は、言っても、聞かないところがあるよ。大人に対策を取らせなくちゃ。まず、その子は、保護者がいるの?」
「ミナ。ここで時間を取ると、帰国が遅れる」
「うん、まあ、そうだけど。せめて、保護者がいるかだけでも、調べられない?」
ミナがしてもいいが、少し疲れる作業なので、彼らがした方が楽なら、そちらがいい。
そう思って聞くと、ムトは、時計を見て、まあ、その程度なら、と言った。
その子に、親はどこだと聞けばいい。
だが、父さん母さん、と言い換えても、その子、少年か少女かも判然としない子は、首を傾けて皆を見上げるばかりだ。
ミナはしゃがんで、おねえさん、おにいさんは?と聞いてみた。その子は、やっと反応して、来た方向らしき道を指差した。
「連れてってくれる?」
その子は頷いて、ミナの手を掴んだ。
ミナは少し前屈みになりながら、その子に合わせて走り出した。
デュッカと、ブドーとジェッツィ、テナとユクトと、もちろんハイデル騎士団の数人とラフィとカチェットが続く。
その子は少し、無駄と思えるような回り道をして、大きめの、使わない板や箱などが、ごみごみと置かれた露地裏に入った。
そこには、その子のように、貫頭衣を着て、汚れた姿の子たちが歩き回っていて、ミナたちを見ると、さわさわと話しながら、逃げて隠れてしまった。
そのなかから、1人の少女が駆け出てきて、ミナの手を掴む子を引き寄せて、背中に隠した。
挑むように、無言で見上げる少女は、ヴァルより体は小さかったが、意思持つ瞳は、強かった。
ミナはしゃがんで、お父さんか、お母さんは、と聞いた。
少女は、大きく首を横に振り、逃げる隙がないかと、ミナの後ろの者たちを見る。
「誰か、世話をしてくれる大人はいないのかな」
少女は、再び、首を横に振った。
ミナは、これに関わるとするなら、大きなことになると判っていたが、自分の立場を考えて、声を上げるべきだと、判断した。
「ムト。この町に留まれるように、手配して」
「ミナ」
「長居はしない。でも、今日一日、掛かりそうだから。ガーディさんに連絡を。すぐに発てば、今日中に来られるはずだから、引き継げる。任せられる人がいるなら、本人でなくても構わないって、伝えて」
ムトは諦めて、分かった、と言った。
手配が行われる横で、ミナは、少女に、近くに湯屋はないかと聞いた。
「あるけど…」
ようやく、声を発してくれたので、ミナは嬉しくなって、にこりと笑う。
「じゃ、そこに行こう。テナ、カチェットと行って、2人に適当な服を見繕ってきて」
「分かりました」
「じゃ、そこに湯を浴びに行こう。話は、それから」
「おかね、ない」
「心配しないで。行こう」
そうして、ミナたちは湯屋に行き、ミナとジェッツィとイルマは、黒い浴衣を受け取って、2人と一緒に浴室に入った。
2人は、肌着も身に付けておらず、腰を紐で縛った貫頭衣を脱ぎ、靴の代わりに足に当てていた布を取ると、浴衣を着た。
そこで、年上の子がレイデン、下の子がユッカという名で、女の子と判明した。
こちらには、備え付けでは、体を洗う洗剤などはなかったので、料金を払ったときに、一式を買い揃えていた。
ミナは、特にレイデンには、体の洗い方を、きちんと教えてやり、低温と表示のある湯に浸かってみるよう、勧めた。
「肩まで浸かってみて。寒かったら、そっちの湯は、もうちょっとあったかいよ」
どうかな、と聞いてみると、ちょっと寒い感じがすると言うので、中温、という表示の湯に入るよう言った。
少し熱がったが、腰まで浸かるなど、調節させて、気分が悪くならない程度に、湯のなかにいさせた。
湯から上がると、テナとカチェットが、肌着から靴下まで、少女向けと少年向けの服のひと揃いを持って来てくれていたので、着方を教えて、身に着けさせた。
アニースが、ミナたちが浴室に入っている間に、2人の、貫頭衣と靴代わりの布と紐を洗って、水気を抜き、きちんと畳んでくれていたので、そちらをそれぞれ、袋に入れて渡すと、靴を履かせ、ミナは、次はご飯を食べようねと言った。
近くの食堂に入って、まずは汁を求め、食べさせると、崩れやすい食べ物と、ヒュミのようなものか、フッカのようなものがないかと、給仕に尋ねて、主食のひとつともされる、ヒュミよりも小さな作物を注文した。
肉などもあった方がいいかと思ったが、食べ慣れていないと体に変調を来しそうに思い、止めておいた。
どうやら、腹が満たされたらしい2人を見て、ミナは、住む所はあるのと聞いた。
レイデンが、応えて言った。
「ある。つくった」
ミナは、先ほどの路地裏に放置されていた、板や箱を思い出した。
「そこは、寒くない?」
「いろいろ、うえにのせる」
「そっか。周りに、小さな子たちが、何人ぐらいいるか、判るかな」
「わかんない」
「あなたより、おっきな子は、たくさんいる?」
「あんまりいない。みんな、どっか行った」
「そっか。うん、と。じゃあ、ちょっと、横になったらいいかもね」
ミナは、ムトを見て、宿の手配はできたと聞いた。
「いや、まだだ。だが、そろそろ連絡が来るんじゃないか」
言っている間に、伝達が飛んできて、宿が取れそうだということだった。
「何人で取る」
伝達の彩石鳥から聞こえるステュウの声に、ミナは、子供2人分も加えて、と返した。
「私が一緒に寝れるかな」
「それは、警護の都合上、やめてくれ。女の子なのか」
「うん、2人とも」
「そうか…、男部屋のなかでも大丈夫そうか?」
「どうだろう?あ、いっそのこと、大勢なら、どうかな。部屋がないかな」
「聞いてみる」
しばらく待つと、再びステュウの声がした。
「6人部屋を作れるそうだ。ミナとジェッツィとイルマとアニースと、子供2人ではどうか、ムト」
「ああ、そうしてくれ」
そういうことで、一旦、その宿に向かうことになった。
突然だったが、普段は、見ず知らずの者同士が使う、多人数用の部屋を使わせてもらうことになったので、テナとカチェット以外、部屋の鍵はないが、全員がひとつの宿に泊まれることになった。
夜は、数人の力を併せるなどした上で、多重結界を構築し、不寝番の4人とは別に、ファルが寝ずに過ごす。
「手間掛けさせてごめんね。でも、国格を名乗るなら、アルシュファイド王国の品格を貶めることはできない」
旅の仲間たちは、胸を突かれるような思いで、頷いた。
ただ、ミナを守っているだけでは、いけない。
国格の名称は、ミナを守ると同時に、知らしめてもいる。
彼女が、アルシュファイド王国の、品格の体現であると。
ムトが言った。
「そうだな。すまない。浅慮だった。意識を改める」
ミナは、頷いて、それから、にこりと笑った。
「さてと、じゃあ、ね。ちょっと考えてみたんだけど、この町に、空いてる建物とか、ないかな。大きいお邸とか、昔の宿とか」
ヘルクスが頷いて、探してみる、と言った。
「先ほど、この町で役目を果たしている、王城書庫の収集官と連絡を取ることができたから、その者に相談してみる。ちょっと待ってくれ」
「お願い」
続けて、ミナは言った。
「そこがどんな所か判らないけど、きっと、あちこち傷んでいるから、直したりして、子供の家にしようと思う。未成年者保護施設のようなものだね。でも、まだ、保護、と言うほどのことはできないだろうから。その辺りは、アークや、ヴァル様や、ガーディさんとか色々、話さないといけないけど、とにかく、緊急避難場所として、設置しようと思うの」
皆が頷き、どのように動くか、役割を決めた。
まず、ゼノとラシャは、先ほどの路地裏に戻って、密かに、あの場で生活しているらしい子供の、大体の数を確認する。
テナとユクトと付従者警護隊の者たちは、着衣と寝具を用意する。
マルクト、ファル、サウリウス、シェイドは、食料を集め、ヘルクスとステュウは、建物の手配と、伝達を繋げ、状況を確認する。
ミナと、その警護に当たる者たちは、建物が見付かるまで、宿で待機だ。
ブドーとジェッツィは、テナとユクトたち、付従者一行と行き、ついでに街を見てくることになった。
ミナも行きたかったが、レイデンとユッカのことも見ている必要があったし、2人はたぶん、今は休んだ方がいいと判断したので、宿に留まることにした。
やがて、ムトの元にガーディから連絡が入り、18時にはこちらに到着できるとのことだった。
ガーディと、連れの者の部屋も、同じ宿で取っておき、待っていると、手頃な建物が見付かったということで、見に行くことにした。
あまり眠らせても、夜に起きてしまうので、寝台で休んでいたレイデンとユッカを起こして伴う。
このベックの町で、植物の種類を調べ、それら情報を収集しているゲイラ・メットと言う、王城書庫所属の男収集官は、ここ数年、この地で役目に当たっているのだそうだ。
「そこの邸は、いや、屋敷は、ずいぶん前から空いていて、気になっていたんですよ。広くて、馬屋とかもあるから、役に立つんじゃないですかね。ただ、修復できるものかどうか」
行ってみると、かなり傷んでいて、きちんとした修理には、大工師が必要だった。
「今日、すぐには使えないかな。ほかには、ありませんか?」
「大きいものとなると、限られますね。ほかに、元宿とかもあるんですが、そっちはさらにひどい状態だもんで」
「んー、これだけで足りないとき、そっちも使えそうですね。とにかく、今はこっちを確認しましょう!」
ミナは、そう、元気に言って、邸の内部に入り込んで、あちらこちらを確かめ、2階の木の床部分は、所々抜けるようだが、1階の足下は、石や、土や、何かの金属などで、まだ使えること、壁は全面、石造りで隙間なく、窓の木枠や、硝子などの破損をなんとかすれば、部屋として利用できる所が多いことが判った。
「建物として、致命的な所があると困るから、そこは異能でなんとかしましょう。この屋敷、使いたいと思いますが、手配できますか」
「ええ、そう思います。お待ちを」
それから、ゲイラは、紙を使った伝達で遣り取りして、金さえ払えば、この屋敷を買い取ることができると言った。
「俺が買い取る」
デュッカが言い、ミナは、一応、大丈夫ですかと聞いてみた。
「この程度で、どうにかなるほどの身代ではない。今の稼ぎだけでも不自由しないしな。手続きなどがあるか」
「はい、こちら、リクト国は、土地は、利用権利証の譲渡によって移譲されます。土地そのものは国王のもの、家屋と、土地の利用権利は、前の持ち主のものです。まず、家屋の料金を交渉して、土地の利用権利は、官吏の立ち会いの下、証書を譲渡してもらい、国王に一定額を支払うことで、土地の利用権利を獲得できます。ですから、手続きとしては、官吏立ち会いの下、現在の持ち主と直接会って、双方へ金を支払い、証書を受け取ります」
「分かった。どこへ行けばいい」
「まずは、持ち主に、家屋と利用権利証を買う意思があることを伝えます。今日、譲渡できるか、ちょっと判りませんが、とにかくお待ちを」
そういうことで、ミナたちは、一応、元宿だと言う所に行ってみることにした。
そちらは、街の中心地に近かったので、便利そうではあったが、先ほど見た屋敷より、もっと荒れていた。
「こっちは、異能でどうにかするなら、もう、建物を壊す方が早いですね。空いた土地として、使えるかどうか、ガーディさんに話しておきましょう」
そう話していると、屋敷の管理者が持ち主との交渉を終えて、これから会って譲渡を行えることになった。
大勢で、ぞろぞろ行くのも、なんなので、近くの食堂で茶と、菓子ではないが、甘いものをいただきながら待っていると、しばらくして、手続きが終わった。
16時を過ぎていたので、とにかく急いで、調理場と、食卓と、浴室と、寝所を整えることにした。
部屋として、きちんと外気から隔てなければならないのは、寝所だけだろうと話し合い、ほかは、使えさえすればいいので、そのように整える。
掃除をし、調達されたものを、それぞれに配置して、足りないものなど確認すると、再び調達に走り、あとは、異能で、直せるところは直し、危険な所には立ち入れないようにし、外気と隔て、充分な油を用意して、ランプの火を点した。
調理場には、相応の彩石によって術を構築し、常に飲み水が湧き出るよう、流しの端に水甕を用意した。
竈の近くには火種場を作り、常にそこにある火を竈に移せば、燃え種がなくても、充分な大きさの火になるよう、双方に彩石と術を仕掛けた。
また、邸内を探し、大きめの金属らしき、密閉できそうな箱をいくつか用意して、保冷庫として使えるよう、彩石と術を仕掛けた。
食堂は清潔にし、食台さえあればよいだろうと、ムトに、直に座れる、冷たくない、しっかりした床を出してもらい、求めてきた敷物を敷いた。
低めの台を集めてその上に置くと、足りない分は、ムトに作り出してもらう。
浴室は、大きめのもの、ふたつを、男女で分けることにして、脱衣所と、近くの洗濯室も同時に整えた。
浴槽には、常に清潔な湯が保てるよう、彩石と術を仕掛ける。
体を洗うためには、大きめの、水を入れて使える桶や甕を邸内から探してきて、常に新たな湯が湧き出るよう、彩石と術を仕掛ける。
湯を掛ける手桶や、体を洗う布や、洗剤は買ってくるしかなかったので、調達して配置した。
リクト王国の共同浴場では、浴衣を着用するのが作法だが、その辺りは、今後、配慮してもらうとして、今は、用意しなくてよいだろうと話した。
脱衣所には、衣服を大きさごとに分けて置き、充分な拭き布を用意した。
髪を乾かせるよう、隣の浴室の温められた空気の水気を除いて、仕掛けの前に人が立つと、生温かい乾いた風が吹くようにする。
髪を整えるためには、櫛は必要だろうと、これは調達して置いておく。
この脱衣所の廊下への出入口に、大きさの違う靴と、多少大きくても、詰め物で調節するよう、端切れを用意した。
洗濯室には、水甕と、空で蓋付きの甕を用意して、水甕では常に一定量の水を回し、水を入れていない甕のなかでは、蓋を口に嵌めると、ほどよく中の水分が消えるようにした。
水甕は、2ヵ所に分けて置くと、一方には洗剤を用意しておく。
片方では洗剤で洗浄し、もう一方では、濯いでもらうのだ。
アルシュファイド王国の洗濯機は、洗剤を使った洗浄と、洗剤を洗い流す濯ぎの工程をひとつの箱のなかで行うものだが、細かな指定で彩石を細かく使うよりは、工程を分けて、使う者に手間を掛けてもらうことにした。
洗濯物の移動に桶があるといいだろうと、そちらも用意して、洗濯室から出られる外の空き地に、干し場も設置しておいた。
蓋付きの甕に入れれば、着られる程度に乾くが、少し、しっとりと感じるかもしれないし、陽に当てると、特に寝具の敷き布などは、気持ちよく利用できるかもしれない。
寝所は、1人ひとつの寝台では、足りなくなるだろうと、こちらでもムトに、異能で、必要な弾力のある物体を作り出してもらい、その上に敷き布を敷き、枕を並べ、その足元に掛け布を畳んで置いた。
寝所の出入口付近には、大きさの違う夜の衣を畳んで用意しておく。
支度をする間に、ガーディと部下らしき者が来たので、子供の世話をする者や、料理を用意してくれる者など雇ってもらった。
ある程度、支度が進むと、ゼノとラシャを中心に、2人ひと組になって、露地裏にいた子たちを1人1人掴まえ、話を聞き、食事ができると話して、湯屋に連れて行ったり、整え終えた浴室を使ったりして、次々に湯を浴びさせ、着替えさせた。
露地裏では、子供がいなくなると、あとから来た子が、屋敷に導かれるよう、屋敷の場所を子供に向けて聞かせる彩石鳥を置き、案内にも、彩石鳥が分かれて出現するようにした。
そのように、湯を浴びた子たちは、ひとまず食堂に集めた。
用意した食材で、汁物を多く作り、できあがった料理を鍋ごと運んで、1人用の器に装って配った。
雇った者たちには、すぐに働き出してもらい、旅の一行から、徐々に作業を引き継ぎ、任せていった。
ある程度落ち着くと、ミナはガーディと話して、この屋敷を、一時預かり場として、しばらく運用するよう、頼んだ。
「リクト国が整えば、ヴァル様に引き継げばいいですし、それまでは、アーク様の管理としてもいいですし、ガーディさんの一存で動かせる、または動かした方がいい範囲なら、そのようにしてください。とにかく、国格彩石判定師として、最低限、このまま捨て置けはしないと、お伝えください」
ガーディは、深く頭を下げた。
宿なし子が国内にあることは把握していたが、これまで、手を出せる状況になかった。
だが、今は、異国の者として、声を上げることができるのだ。
ヴァルの多忙さは承知していたが、知らせず、気付かせずでは、彼の能力、いや、心を、軽んじていることになるだろう。
「早速、ヴァル様にお伝えして、そちらの意向が決まり次第、アーク様に、アルシュファイド国として、できることを進言いたします」
「お願いします。今はデュッカが、屋敷の所有者としての権利など持っていますから、手続きは彼を通してください。それと、差し出たことではありますが、ただの預かり場として運用するのが難しい場合は、ここに集まる子たちを利用するといいでしょう。例えば、異能の修練を国民に行き渡らせるなら、修練に使用する1カロンのサイジャクを集める役目を与えるんです。それなら、仕事の見返りに生活する場を与え、食事を与える理由にはなります。釣り合いは、ほかのことも考え合わせて、都合するといいでしょう」
「は…」
ガーディは、そこまで考えていたのかと、改めて、ミナという者を見た。
ただ、彩石を見分けるだけではないのか。
先日、リクト王国で捕らわれの身となっていた、ザクォーネ王国の傷病者が、城に送られてきた。
ザクォーネ王国に風を通した際に、必要と感じて行った処置だと聞いた。
風の宮公の力を以て為したということだが、今一つ、状況が呑み込めない。
それだけでも、ただ、彩石を見分ける、などということとは、掛け離れているのに。
この人は、どこまで、するのだろう。
物事を、背負うのだろう。
「この年頃の子は、体を酷使するといけないので、働かせるべきではないですが、この国では、その状況に合ったやり方でなければ、立ち行きませんものね。仕事ということでなくとも、学習や、行動を利用することで、国の機能を向上する役割を持たせられるかもしれません。例えば、修練の手法を定着させるのに、あの子たちに先に覚えさせれば、それを見て、ほかの者は真似すればよくなりますから、指導者ではなく管理者を据えて、問題を察知し、対処する、という、やり方ができます」
ミナは息を切って、続けた。
「ただ、食事を食べ、生活する、というだけにしても、彼らに食事を与え、生活の場を整えるという、仕事ができますから、雇用の必要を生むことができます。どんなことが、今のリクト国に合っているかは、判りませんが、どうか、ただの負担とは、捉えないでもらいたいのです」
「ええ。そうですね。物事は、繋がっている。繋げることができる。ええ。きっと、よい手法を導き出します」
「お願いします」
ミナは、ほっとしたように笑った。
集めた子、すべてに、ミナが直接手を貸すことはできないけれど、周りには、様々な事情があり、務めのある者がいる。
通りすがりのミナに、できることは、とにかく、声を上げること。
この先のことに、責任を負うことはできないけれど、せめて、力になれることをしようと、覚えて、この地を去ることを決めた。
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