5人が本棚に入れています
本棚に追加
/130ページ
―ⅩⅡ―
翌日、暁の日。
朝食をいただき、荷物をまとめて車に乗せると、宿の玄関から通りへ出て、ちょっと驚く。
「わあ、人が多い」
「週の始めの暁の日だからですかねえ」
ミナの呟きに、テナがそう言いながら、辺りを見渡す。
「今、着いたのかな」
「それはどうでしょう。昨夜までに着いていれば、今日から行動するとして、時間的に人が多くなるのに、不思議はないですが」
「あ、そっか。そうだね」
人の多くが、街の中心地に向かっているようだ。
確か、この階層からすぐ下の階層に下りる道が、街の中央にあるのだ。
馬や馬車は、一旦外に出て、もっと下まで直接下りるのだろう、街の外側へと向かう。
たぶん、徒歩だと、馬車より時間はかかっても、一階層ずつ下りる方が楽なのだ。
だから早めに出発するのかもしれない。
外側の道は、馬車などと共用で、歩行者用の通路を特別に設けてはいないし、車輪が通るので、まず、階段がない。
路面も、蹄や車輪に削られて、直してはいても、手の届かない部分はあるだろう。
一気に上り下りする道は、広いが、目的地まで、座り込んで休む場所まではない。
人を各階層に運ぶ馬車は、安いが、一応、金もかかる。
上階にあがるならともかく、下りるのなら、苦しむほどの行程ではないだろう。
ミナたちは、空中を降りていくので、街の外側へと向かう。
下に降りる途中で、まずは、馭者たちを、中層の下方と思われる部分に送って、彼らに付くサウリウスとシェイドと、別行動のムト、ステュウ、ヘルクスと別れた。
それから、さらに下方へと降りる。
途中で、ミナたちに気付いて、ぎょっと目を大きくした男が、慌てたように手を振った。
「なんでしょう?」
ほかの者はそのままに、ミナとデュッカが近付いてみると、どうやら、降り過ぎてしまったらしく、この辺りはもう、掘削現場なのだそうだ。
「えっ?まだ、下、こんなに深いのに」
「正確に言うと、この辺りが採掘現場、横の端とか、最下部なんかは、探掘現場、そのほかは、造成現場。作業しやすいよう、やがては街になるよう、作っている部分が広くなってる。全部引っ括めて、掘削現場。とにかく、危ないから、ほかのもんにも、上がってくるよう、言ってくれ。この、上の階層が、辛うじて、俺たち鉱夫の住居層になってるから、そこから上にあがるといい」
「分かりました。どうもありがとう」
ミナが礼を言い、デュッカが、ほかの者らに伝達を放つ。
特に下に行っていたブドーとジェッツィは、底まで見られたらしく、満足したようだった。
「なんか、色水が張ってた!あの水、そのままで、掘り続けられるのかな?」
「さあ。土の異能を使って、流れを作って退かしたり、水の異能で、ある程度は消せるんじゃないかな」
「ふうーん、それも、その時々で、都合のいいやり方?」
「うん、そうだね」
ミナたちは、教えてもらった階層まで上がって、地に足を着ける。
そこは、人が少なく、歩いてみると、通り過ぎる人々が、何事かと目を大きくする。
団体だからかな、と思ったが、旅人然とした風体だからかもしれない。
しばらく歩いてみたが、どうも、住居はあるものの、住んでいる気配がなく、どうやら、先ほどの男が、辛うじて、と言っていたのは、言葉通りの意味だったようだ。
ミナは、景色に変わりがないと見ると、通りかかった男を捕まえて、上階にあがりたいのだがと聞いてみた。
「なんだ、どうやってここまで…、て言うか、下りてて気付かなかったのかい、明らかに、まだ人なんて住んでないだろう」
「ごめんなさい、すごく下まであるものだから、町の方じゃなくて、下の方を見ていたの」
「いや、それにしたって…、いや、ま、いいか。あんたら、ひょっとすると、外から上がる方が早いかもしれんが、下りられても、上がれないってやつかい」
「いえ、上がれますけど、せっかく来たんだし、歩きながら見ていたの。そんなに、上に行くの、たいへん?」
「そうだなあ、この上が、主な住み処なんだが、あんたら、外から来たんなら、用があるのは、その上の上の、加工場か、もっと上の、商店街じゃないのかい」
「いいえ、鉱夫が住む街も見てみたいな。すぐ上にあがるには、どうしたらいいの?」
「へえ、なんもありゃしないがねえ。簡単さ、ここをまっすぐ行きゃあいい。最上階は、なかの道はあんまり使われねえが、この町は、中央と、外側にいくつか、上下に向かう道がある。外側の道は、まあ、大体、西側さ。方角が判らなかったら、ほれ、ここに、大体の場所が彫ってある」
男が示したのは、壁のひとつで、腰の高さに、向かって左の矢印と、中の道、という、単語が彫られていた。
「中の道が左なら、ここは町の西側なのさ。矢印が上を指してれば、大体北側、下なら南側、右なら東だ。東西の矢印は南の壁に彫られてて、南北の矢印は、南に向いたら正面になるように、地面に彫られてる。これは、子供向けの、目印なんだ」
「なるほどー、判りやすい!どうもありがとう!」
「いや、どういたしまして。じゃあな」
ほかの者たちも礼を言い、男を見送って、中の道というのを目指すことにした。
進むにつれ、いくらか人は多くなったが、女子供は、ひょっとするといないのか、見掛けなかった。
中の道は、上に4本、下に4本あって、緩い螺旋状に延びており、矢印で、上り下りの道を示している。
上下とも、2本ずつが階段、2本ずつが坂になっており、これは上層部と変わりない。
ただ、上層部では、通路の両端にある胸まである高さの壁に、大人用と子供用の手摺りと、装飾を施されているのに対して、こちらは、矢印以外に何もなく、のっぺりとした表面で、大人の女の顎の下辺りまでの壁があった。
「これは、これから手摺りとか、装飾とか彫ってくのかな!」
「そうなの?」
「きっとそうだよー、だって、上より、高いし、厚みがあるもん」
ジェッツィとそう話して、ミナは矢印を確かめ、坂の方を上ることにした。
少し上にあがって、下方の壁の向こうを覗き込めば、いくらか、下の階層に向かう中の道を見ることができる。
坂は、一応、馬車も通れる幅と傾斜だが、多いのは、人力で動かす手車で、木枠の中に入った前の1人が引き、1人が、板の上に縄で固定された荷物の様子など見ながら、後ろから押している。
後ろの者が押しているのは、腕が入る程度に空いた木枠で、いざとなったら、引っ張る、ということができそうだ。
ちょっとだけ後ろに下がって、障害物を避けるとか、前の者が引く以上に、車が前に進んでしまうなどの時に、使うのかもしれない。
鉱夫の仕事の一端を見た気になって、ミナは、へええ、と感心の声を上げる。
ブドーは、階段の方を、広めの踏み面なのに、一段飛ばしで上がっているらしく、進みが速い。
すぐあとを、ゼノとラシャが追ってくれるので、安心だ。
ジェッツィは、そのちょっとあとを、テナと一緒に上っている。
ミナは周りを見回しながら、足下や前や、追い抜き、追い抜いていく人などに気を付けて、ジェッツィには遅れないよう、上がっていく。
天井が高く、中の道は、傾斜を緩やかにしている都合もあり、長い。
上に着く頃には、すっかり息が上がっていたが、苦しいというほどではない。
到着した階層を見回すと、下と違って人が多く、女子供の姿が見られた。
「ちょっとだけこの辺、見ようかな。ブドーはどこだろ?」
見回すと、緑の彩石ボゥが目に留まり、誰か、見知らぬ大人と話しているようだ。
様子を見ながら、ジェッツィの側に寄ると、しばらくして、戻ってきた。
「ここは、店では食料と、普段、使うような道具しか売らないんだってさ。一応、あっちの、南の道で売ってるって。東の方に行くと、飲み水の管理館があって、警備が厳しいって。北の方は、採掘権利者とか、ちょっと稼ぎのいい人たちの家なんだってさ。西には、外に出る道があるから、人を乗せて運ぶ商売の、馬車屋なんかがあるんだって」
「そうなんだ。この辺で手に入る食材とか、使ってる道具に違いがあるか、見てみようよ、南の方!」
「うーん、そうだな!」
そう決めて、ミナたちは南に向かい、マルクトとファルは、交通手段について、少し知りたいと言って、西に向かった。
中の道の近くは、一番人が集まる広場となっていたが、通り道としての機能が重視されているようで、広場内には特別な設置物はない。
坂や階段の上り口や下り口から、脇に沿って、腰掛けにできる出っ張りがあり、ちょっと休んだり、待ち合わせに使われているようだ。
話し込んでいる者たちもいたが、多くは、広場に面した硝子張りの店の中で過ごしている。
広場近くの、その店にも興味はあったけれど、取り敢えず、南にある数本の道の中でも、大きな道に入ったミナたちは、少し歩いて、店の品物が路上に突き出している通りに差し掛かった。
店の者が、時折り隣近所の者と言葉を交わしながら、興味を示して立ち止まる者に話し掛けている。
ミナは、育てられたような、野菜らしき植物が多く並べてある店に近寄っていき、見慣れない植物について色々と聞き、調理せずとも食べられるか、簡単な方法ですぐに食べられるもの、あるいは、乾燥豆のように、長期保存のできるものがないかと探ったが、こちらでは、適当なものは見付けられなかった。
この通りで最も多かったのは、根菜らしき土の付いた植物だ。
見た目からして、葉菜や、水分の多い果菜に比べれば、保存の管理は、それほど難しくなさそうだ。
どの辺りから仕入れているのと聞くと、近隣の森の中に、畑を拓いている者たちがあり、含む水分の多少に関わらず、果菜は、大体そちらからだということだ。
「土の下にできるものは、ちょっと遠くて、ベック辺りから来るんだ。この辺に置いてる、菜っ葉なんかは、西の方、森の中にちょっと入ると、集落があってね。そこに住むもんが、家の周りでちょこちょこ作ってるのを売ってくれる。その人たちも、本業は、この辺に置いてる、果実を売ることなんだ。菜っ葉は、そのついで」
「周りの森の木には、食べられる実は生らないの」
「それもあるけど、普段から食べるようなもんじゃないね。種が多くて、実が少ないんだ」
「ああ、なるほど。やっぱり、この町の中じゃ、植物は育たないよね」
「そりゃあ、まあね。陽がなくても育つのとか、あるけど、誰も育てやしない。まあ、水はあるとしても、ここまで掘ったら、土は使えないだろうね」
「やっぱり、鉱物の影響?」
「うん。触る分には、いいんだけど、体の中に入れるのは、まずいね。一応、チュセンテルの食器は作っちゃいけないって、決まってる。器として使う程度なら、汁とか飲み物とかでも、溶け出すほどじゃないとは思うんだけど、まあ、なんか、やっぱり、使いたくないよね」
ミナは頷いて、じゃあ、何を作っているのと聞いた。
「家具かな」
ミナの当てずっぽうに、女は頷いて答えた。
「ああ、それもあるね。けど、一番の稼ぎは、網なんだよ。糸みたいに細くして、編んでるんだ。重さは、植物の網と変わらないのに、破れないってとこがいいんだ。それを、畑の鳥獣避けにしているのさ」
「へえ!でも、破れないなら、行き渡ったら、もう、注文されなくなっちゃう…」
店の女は、笑って、大丈夫さと言った。
「網が作られ始めたのは、最近なんだ。あそこまで細くする技術がなかったからね。だから、まだ、行き渡るほどじゃあないよ。それに、売れなくなったら、また、別の何かを作ればいい。チュセンテルがある限り、この町は続くよ!」
女の前向きな言葉に、ミナは笑って頷いた。
ここで生きる限り、ここにあるものを利用して生きていくしかない。
それはどこの土地も同じで、それぞれに、考えて、選んで、工夫して、努力している。
こんな。
生きる姿をこそ、あの水底に眠る方々に、ご覧になっていただきたい。
同じ感想を、持つわけではないのだろうけれど。
戦の記憶ばかりでは、切ない。
そんな思いを振り切るように顔を上げ、ミナは、気になる品がないか見た。
いろんな話を聞けたので、何か求めたいが、調理をする予定がないので、難しい。
ちょうどそこへ、男が1人やって来て、母さん、と呼び掛けた。
「ああ、いつものとこに置いてるよ」
「分かった、ありがとう」
「はいよ」
店の奥に入った息子は、やがて、台車に、野菜の入った箱を載せて出てきた。
じっと目で追うミナを見て、店の女は、笑って言った。
「ああ、それは、昨日の売れ残り。傷んでいるんじゃないよ。ただ、店に出したくないだけ」
「捨てるわけじゃないんですよね」
「ああ。その息子の店で、使うんだ。あの子は、料理屋をやっていてね、カッティーニョ揚げを前面に出して商売してるの」
「カッティーニョ…、あ!私それ、食べたことあります!表面が、ぱりぱりして甘いの!」
「そうそう、それ。カッティーニョは、ベックの辺りで作ってるんだ。あの子は、今、持っていった食材を、ひと口よりちょっと大きいぐらいに切ってね、カッティーニョ揚げにして、それを、客の好みで、皿に加えるの。基本の料理は、蒸かしたプノムの上に、いろんな香辛料を入れて煮込んだ、汁に近いものを掛けるんだ。そこにさらに、カッティーニョ揚げを加えるってわけ」
「それ!食べてみたい!お店始まるの、何時から!?」
息子はすでに、どこかに行ってしまって、姿がない。
それを確かめて、女は記憶を辿った。
「ええと…、何時だったかな。ちゃんと決めてなかったと思うけど、昼頃には開けてるよ」
「11時は、まだかなあ!?」
「うーん。確実に行くってんなら、その時間に開けるよう、言ってみることはできるけど」
「どうしよう!行きたい!それ、店はこの階層なんですか!?」
「いいや、違うよ。ここでも、食堂は開けられるけど、あの子はちょっと上の方、いや、ちょっとじゃないか。この下層部の、最上階にある、食堂街ってとこで、加工人とか、商売人相手に、店、開けてんの。一旦、外に出て、直通の道から上がった方が、手っ取り早いよ。馬車に乗ってね」
「えっと、どうしよう。まだあと、2時間ぐらいあるから、まだ、この町を見たいんですけど。上にあがるのに、どのくらい時間、掛かるかな…」
「俺が運ぶ」
もちろんデュッカがそう言って、ミナは彼を見上げた。
「ブドーとジェッツィも、それでいいって言ってくれるかな」
「聞いてみる」
素早く伝達を放って、やがて、了承する返事が来た。
「テナたちは、別のとこに行くかな…、取り敢えず、11時に、10人ぐらいで行くって、伝えてもらえますか。あと、食堂の正確な場所と、名前を教えて」
「ああ、いいよ。西の大通りの真ん中辺りから、南向きの小道にちょっと入った、ベラドナって言う食堂だよ。目印はねえ、さて、なんと言ったものか…」
「先ほどの男が、その食堂にずっといるなら、そこを目指す」
「そうかい。もちろん、ずっと食堂にいるはずさ。派手な目印とか無いから、それで頼むよ。連絡はしとくね」
「頼みます!ありがとう!」
何も買わなくてごめんなさい、と言いそうになったが、止めておいた。
その代わりに息子の食堂に行くのだと思われたくなかったのだ。
できれば、食べたいものがそこにあるから、行くんだと、思ってほしい。
息子が、そういう、聞いただけでも人の気を引けるような、工夫を凝らした立派な仕事をしているのだと。
女が、そこに価値を見出だすかは、判らないけれど。
喜んでそれを得ようとする者がいたことを、覚えていてもらえたらいいなと思う。
ミナは、手を振って、その場を離れ、少し考えた。
そのあと、道具屋の中に入ると、中をざっと見て、気を引かれる物があるか探す。
何もないので、すぐ外に出ると、時計を見て、また考え、デュッカを見上げた。
「食事の時間は、遅らせたくないので、あとの街は、ざっと通り過ぎて、その、食堂街の様子をゆっくり見たら、頃合いかなって思うんです。それで、できれば、歩くよりちょっと速い程度に、運んでもらえませんか…、私とブドーとジェッツィ」
「ああ、いいだろう」
「よかった!お願いします…、あ、2人がいいって言ってくれたらですけどね」
デュッカは頷いて、ブドーとジェッツィに、このような計画ではどうかと伝え、2人は了承を返すと、それぞれ、いたところから、駆けてきた。
移動の方法は色々あるが、今回は、彩石で緑の浮き籠を作り、胸の下にくる大きな環状の手摺りに、大きく体重を掛けた方向に進む。
止まるときは、手摺りから身を起こして、中央に立てばいい。
手摺りに手を載せている程度なら、動くことはない。
大きな上昇はできないが、地面との距離を指定以上に保つようになっているので、上り坂は問題なく上るし、階段の上りでは、一般的な高さの蹴上げなら、進もうとすれば、指定の高さを維持できないため、傾斜に沿って、緩やかに上ることになる。
階段と坂の下りでは、指定の高さが基本の高さでもあるので、極端に低い段差でもなければ、指定の高さを保ちながら進み、緩やかに下ってくれる。
急激な下降はしないので、地面が遠いところに飛び出しても、落ちないし、そのまま平行移動をすることができる。
階段や坂以外で、大きく下に降りたいときは、頭を手摺りの下にさげれば、高さに見合う、人の負担にならない速度で、下降するそうだ。
つまり、しゃがめばいい。
浮き籠に乗って立つと、ミナがちょうど、デュッカと目線を合わせられる程度で、ブドーとジェッツィは、それより少し低いぐらい。
デュッカは、作ってみて、浮き籠の手摺りの分、ミナと離れなければならなくなり、とっても後悔した。
テナとユクトには、同じ浮き籠を作ってやってもいいがと言ったが、2人は、チュセンテルの加工場に時間を取りたいということで、ここで付従者一行とは、一旦、別れることになった。
ミナたちは、浮き籠の操作を練習しながら、この階層の南の通りを端まで行くと、戻って中の道を上がった。
進む速度は、大人の男が早足で歩く程度なので、デュッカと騎士たちは、それほど苦もなく、早足で付いて行ける。
デュッカは、浮いた方が楽なのと、ミナとの距離が、ほんの手摺り分、開いたことで、がっくりと落ち込んでしまい、足を動かす気力が失せたため、寄り掛かれる空気の層を作って、上体を預けながら、なんだか気怠そうに、浮いて進んでいた。
騎士たちは、この程度の活動量は問題ないが、中の道の上移動では、いくらか異能を使っていた。
さて、チュセンテルに関わる仕事の者と、その家族が大半を占めるこの下層部だが、掘削作業場のすぐ上が鉱夫と家族の住居層、その上が加工場層、さらに上が加工人たちの住居層で、その上の下層部最上階が目指す食堂街となっている。
食堂街のすぐ上は、中層部とされており、開拓された年代が、大きく遡る。
上層部は初期開拓時代、中層部は中期開拓時代、下層部は近年の開拓で、現在の開拓地が、すぐ下の、町の造成を並行して行う部分となっている。
そのさらに下の、町の最下層では、探掘作業が行われており、調査段階、とでも分けるべきだろう。
とにかく、中層部では、様子が、がらりと変わり、ここからが町の、外部に開かれた部分となる。
食堂街と言うのは、そのすぐ下の街で、多く利用するのはチュセンテルの住人だが、余所者も、大らかに受け入れてくれる雰囲気があり、これより下層では、警戒する様子も見られたが、ここでは、そういった気配がない。
ミナたちは、特に加工場では、注文などしてみたかったが、ちょっと見せてもらう程度に立ち寄るだけで、上階にあがった。
「食事が時間半ばぐらいだろうから、ちょっとだけ、上の商店街ってとこに行ってみようね」
そう話して、食堂街の様子を、約束の時間まで見て回ると、目的のベラドナという店に入った。
先ほどの男は、笑顔で応対してくれて、特にお薦めのものなど詳しく、食材の説明をしてくれた。
出てきた料理は、聞いた通り、蒸かしたプノムの上に、何か、濃い色の、とろりとした液体が掛けられていて、これは、甘みもあったが、説明するならば、辛い液体だった。
甘いのは、砂糖などの濃縮された抽出物ではなく、植物そのものの甘みなのだろう。
甘辛い、というものではなく、辛みの中に、ほんのり甘みが潜んでいて、味を和らげており、強い辛さに振り回されることがなく、食べやすい。
そこに、表面が甘いカッティーニョ揚げを添えてあるので、自分の好みで口の中の味わいを調節でき、ミナたちは、それぞれの食材の違いと、それらが合わさったおいしさを味わい、楽しむことができた。
食後に、茶と甘味をいただき、ひと息つくと、残り時間が気になり始める。
待ち合わせの、出てきた宿までは、町の外側から一気にデュッカが運んでくれることが決まり、ミナたちは急いで浮き籠に乗り込むと、中の道から、すぐ上の階層の商店街に向かった。
予め、食堂ベラドナの主である、あの若い男に、この商店街で一番の品揃えと言える店を聞いてきたので、その店の看板を探す。
それは、中の道に近いところにあったので、ミナたちは店を見付けると、素早く浮き籠を降りて、なかに入った。
ちなみに浮き籠は、デュッカが往来の邪魔にならないよう、上空にあげている。
急ぎ足で、店の中にある品物を確認すると、特に気になるところで立ち止まる。
1階部分には、身に付ける、腰帯や飾り釦など、装飾のための装身具が置いてあった。
中央の階段の前に、店の中の案内板があり、それによれば、建物の下の方は、靴などの履き物、袋や鞄などの持ち物といった、外出に必要なものがある。
その上は家庭内で使う小物類で、身嗜みを整える櫛や鏡などと、調理場で使う、食品に直接触れない吊り下げ鉤や、吊り下げもできる籠や棚、持ち運びできる程度の台と、そのほか、居間や寝室で使う、物入れ、棚、仕切り板などと、あとは浴室で使う道具などだ。
さらに上は、家を維持するための作業道具や、補修に使用する棒や板などがあり、その上は、仕事に使う道具などが置かれている。
そして、最上階は、大きな家具類だ。
大きな物は、下に置いた方がいいんじゃないかとミナは思ったが、すぐ上の階層が倉庫街で、商品の置き場となっており、天井を開けてすぐ、商品を降ろして店に並べたり、引き揚げて配送の手配をしやすいのだ。
「私は、ちょっと家具類を見てくるね!ああ、色々見たかったなあ!」
そう言いながら、階段を駆け上がろうとして、デュッカを振り返った。
「あの…」
「連れて行ってやる」
デュッカは、すぐさま察して、ミナの腰を抱えると、浮いて上階に向かった。
ブドーは、仕事道具とやらを見ようかな!と言って、階段を駆け上がり、ジェッツィは、悩みに悩んで、取り敢えず上にあがることにした。
ジェッツィには、彩石ニモが付いていたが、ラシャが同行してくれ、2人で1階1周ずつ見て、上階にあがる。
ブドーには彩石ボゥとゼノが付き、残りのハイデル騎士団はミナのあとを追う。
家具類のある階に到着したミナは、手前の戸棚を見てから、店の者に声を掛け、チュセンテルの家具の特徴を聞いた。
それによれば、チュセンテルは、常温でも、ある程度の厚みから、形を変えられるようになるそうだ。
「それは、一旦、熱したものでないと、そうはならないんです。そういう特徴があるもんで、ここ、ただの装飾に見えるでしょうが、この細い部分を持つと、女性でも片手で曲げられる。やってみてください」
言われるまま、装飾部分を片手で掴み、起こしてみると、容易に持ち上がる。
「それを、上にくるっと曲げれば、吊り下げ鉤になるでしょう。そのままだと、吊り下げた物の重みで、下にさがってしまうけど、上の方にほら、引っ掛ける枠があるから、そこに、先端をちょっと曲げて掛けてやるんです。曲がるけど、極端には伸びないから、この状態で固定される」
「へええ!これはこれで、便利!」
「ええ。取り出すときは、この引っ掛けた部分を外さないといけないけど、これは、こういうものだと使うようにすればいい。引っ掛けたものをそのまま取り上げたいなら、吊り下げた物の重みで曲がらない程度の太さの鉤を使えばいいわけです。あと、表面を押し潰すには、かなりの力が必要になりますから、大抵のものが、問題なく吊り下げられると思いますよ」
「表面を押し潰す…」
「ええ。曲げる場合は、多少、伸び縮みしてるんですけど、これは、内側は縮むよう、外側は伸びるよう、同時に力が加えられているから、曲がるみたいなんですね。だから、ちゃんとした太さがあれば、片側だけ押し下げても、変化しないんです。よほど一点に力を掛けて、重いものを吊り下げなければ、表面を押し潰して、その部分だけ細くする、押し潰す、といったことができないんです」
「えっと…、そっか、変形させようと思うなら、押し下げながら、反対側を押し上げて、その部分に働き掛ける、曲げる、という行為にしなくちゃいけない、かな?」
ミナが手で行動しながら確かめると、店の者はそれを見て、大きく頷いた。
「ええ、そう。そういうことです」
そんな話をしていると、伝達が飛んできて、ステュウの声がした。
「付従者一行の方で、問題があった。確かめるので、宿に戻ってくれ」
「えっ、なんだろ」
「さてな。行くぞ」
「あっ、どうもありがとう!」
店の者に礼を言い、デュッカに腰を取られて、1階に降りる。
途中、ブドーやジェッツィたちも合流して、店を出ると話し合い、当初の予定通り、浮き籠を使って町の西側から空中に出て、宿のある階層に上昇することになった。
テナとユクトに何かあったのだろうかと、不安に思いながら宿の前に着くと、ヘルクスが1人で待っていた。
「馭者たちとサウリウスとシェイド、それとマルクトとファルは戻ってる。ムトとステュウは、付従者一行の許に向かった。ミナ、すまないが、リクト国王の通行証があった方がいいかもしれない。ここまで戻ってもらってなんだが、下に降りてもらえないか」
「もちろん。ブドーとジェッツィを送る必要があったんだから、気にしないで。馬と馬車の支度は?」
「今、馭者たちとマルクトたちがやってる。そちらが済み次第、いつでも出発できるよう、町の外に出ている。町の下り口で待っている」
「分かった、よろしくね」
「気を付けて」
ミナたちは、ブドーとジェッツィを置いて、付従者一行のいる地点を確認し、町の外から、下層に降りた。
テナとユクトたちは、二階層ある加工場のうち、下の階層にいた。
上の階層は、材料や、作り終えて搬出を待つ製品の置き場としての機能が大きいため、こちらが実際の加工作業場と言える。
到着した地点から、早足で、西側の大きな通りを進んでいくと、やがて人だかりを見付けた。
テナとユクトは、そのなかだ。
先に行くデュッカの背を追うと、人の間をすんなり通れる。
人の壁から出ると、目の前には、馬上から、少し胸を反らしつつ話す男と、それと話すムトがいて、テナとユクトを探すと、ラフィとカチェットの隣で、成り行きを見ているようだ。
ティルとジェンは、中央で、蹲る人を庇う様子だ。
「とにかく、その男を渡せ!余所者が口を挟むな!」
「事情も判らず、暴力を振るうような者には渡せぬ。人として当然のこと。手当てもしなければならぬし、その間に説明をすればよい」
「そんな面倒、していられるか!」
「だから、渡せぬと言っている」
どうやら、ムトも事情は知らないようだ。
デュッカなら、事情を聞き出すことはできるが、付従者の揉め事であれば、まずは上司であるハイデル騎士団団長が事に当たるべきだろう。
ステュウは、ムトの後ろで、どうやら人々の囁きを聞いて、事情を探っている様子だ。
ミナは、蹲る者の様子を見に行きたいが、デュッカが体の前に腕を差し出しているので、動くなという意味だろう。
スティンが進み出て、蹲る男の許へ行き、話し掛けたが、答える様子はない。
やがてステュウがムトに何事か囁いた。
ムトが、すっと目を細めて、言った。
「そちらは、この町の加工人を束ねる者の子息だそうだな。人の上に立つ者を見ているなら、分別を示せぬか」
「分別だと!その言葉、そっくりお前に返してやる!この俺に楯突いて、この街でチュセンテルを手に入れられると思うな!」
瞬間、土が、殺気立った。
「立場を弁えよ!一介の町人が一国の財産を左右するなど、思い上がりにもほどがある!チュセンテルはただの鉱物ではない!これを以てこの町を維持せんとする者すべての命綱!軽々しく扱うなど、なんたる不届き者よ!」
ムトの怒号は、地を震わせ、馬は縮み上がり、男は尻を鞍壺から外してしまい、馬からずり落ちていった。
付き人らしい、力仕事を主に扱いそうな身なりの男が、痛い!と悲鳴を上げる男に駆け寄って、手を差し出す。
「ステュウ、町の代表者にここに来るよう、伝えろ。それと、ヘルクスに、滞在期間を延ばすように手配させろ」
「は!」
ステュウは、いつもの仲間同士の遣り取りではなく、ムトに対して敬意を示し、後ろに下がると、伝達を作り、放った。
ムトは、蹲る男から話を聞こうと苦心しているスティンを見たが、首を横に振って返された。
それに頷いて返し、ムトは振り向いてデュッカを見ると、近寄って言った。
「風の宮公、申し訳ないが、旅程を変えさせてもらう。手配はこちらでするので、お付き合い願えまいか」
「いいだろう」
「ありがとう。ミナ様、ご覧の通りの状況にて、勝手をお許しください。もとより、お楽しみには短かったでしょうから、どうぞ、これよりごゆるりと過ごされますよう」
「そちらは、どうするのですか」
「は。お任せいただきたく存じます」
「そう…、判りました。あとで説明を。デュッカ、行きましょう」
ミナは、早々にその場を去って、町の西側から空中に出ると、ヘルクスの待つ、町の下り口の手前にある、広場に連れて行ってもらった。
テナやユクトは、直接には関わっていなかったようだが、ミナが指示を出すよりも、ムトに任せた方がいいだろう。
あとを付いてこなかったところを見ると、どうやら、その場に残ることにしたようだ。
ヘルクスは、マルクトたちに宿を探させているところで、状況は判ったかと聞いた。
「ううん。でも、ムトには、団長として、やらなきゃいけないことができたみたい。私たちには、遊んでていいって。宿は取れそう?」
「どうかな。今、探し始めたところだから」
「荷物、任せていい?それとも、この町を出ないといけないとか…」
宿がないのなら、ムトが残り、ほかの者たちは、到着が遅くなっても、ザルツベルに行くしか、ないのかもしれない。
「そうだな、せめて宿が取れるかどうか、確認させてくれ」
「うん」
そこへ、町を見下ろしていたブドーとジェッツィが来て、どうなったのと聞く。
「うん、ちょっと、旅程を変更することになった。決定は、もうちょっと待って」
「うん」
「分かった」
ジェッツィとブドーの返事を聞いて頷き、広場の縁の崖に近付いて、ミナは町を見下ろした。
先ほどの、蹲っていた男が、口も満足に利けない様子だったのが、気になる。
やがて、問い合わせていた宿から返信があって、一行を分けることになるが、しっかりした対応の宿で泊まれそうだった。
「上等な部屋が取れた宿を中心に、配置する。では、下りよう」
ミナたちは馬車に乗り、再び宿街の階層に下りると、昨夜に泊まった宿とは、違う宿に入って、荷を降ろした。
「この宿には、ミナたち家族と、イルマ、セラム、パリス、不寝番4人、ムトと、私と、ステュウが入る。残りは、斜め向かいの宿だ。馭者たちは2人部屋となるが、こちらの宿で、馬と馬車の管理をしてもらおう」
ヘルクスがそう決めて、宿と取引のある荷持ちに頼み、別の宿に泊まる者たちの荷を運んでもらった。
ミナたちは、ムトたちのことは気になったが、怪我はしていないし、危険もなく、直接のいざこざとは言えないようなので、ここは言われた通り、家族旅行として過ごしていようと決めた。
先ほどの顔触れで出掛けることにしたミナたちは、ヘルクスにあとを任せ、宿を出た。
加工場は、今は、ムトたちへの対応の影響があるかもしれないので、避けて、商店街の階層に下りようと決めた。
時間があるので、浮き籠を、再び作ってもらい、町の住人たちの住居階層などは、さっと見回るだけにして、再び商店街の階層まで、楽に下りさせてもらった。
商店街の階層では、浮き籠は降りることにして、歩いて店を見て回る。
ミナはまず、チュセンテルで作られている品が、どのようなものかを確認したかったので、いくつかの店を見ると、ついさっき、慌ただしく出ることになった、商店街で一番の品揃えだと評判の店に、再び入ることにした。
今度は、下の装身具から、じっくり見て回りたい。
ブドーにはゼノが、ジェッツィにはラシャが付き、一旦、通りを見てくると言って、2人並んで歩いていった。
家族旅行だから、付いて行ってもよかったが、離れている時間があってもよいかと、見送る。
騒動の後だが、そのために気を張り、2人を厳重に見守るのでは、結果として、その元となってしまった付従者一行には、気まずい思いをさせてしまう。
旅程が変更になってしまったのだから、今だって、充分、居た堪れない気持ちだろう。
少し、彼らの心情を慮って、ブドーとジェッツィの後ろ姿を眺めていたが、すぐに、目的の店に向き直る。
「それじゃ、行きましょ!」
元気に言って、歩き出す。
付従者一行が、必要以上に落ち込んでいないといいなと、思いながら。
最初のコメントを投稿しよう!