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―ⅩⅢ―
鉱物のチュセンテルは、基本的に、口に入るものに触れさせたり、長時間、肌に触れるような用途には、使わないようにしているらしい。
靴があるということなので、見てみると、使われているのは、主に靴底の、地面と接する側で、足の裏に接する側は、別の素材が張り付けてあった。
多くは靴下を履くので、通常は肌が靴底に触れることはないが、用心のためだろうか。
履いてみると、金属らしい固い感触で足裏が固定され、歩き難いと感じる。
靴音は、やや高く、少し気になるかもしれない。
だが、意外にも、地面に着地する瞬間は、足裏にやさしく、それでいて、しっかりと踏み締められる。
気になって、引っくり返して、接地する面となる靴底を、指で押してみると、家具に付いていた鉤とは違い、抵抗は強いが、ちゃんと沈むし、元に戻る。
ミナの様子が気になったのか、店の者が、何か問題でしょうか、と聞いてきた。
「あ、いえ。さっき触ったものと違って、なんだか柔らかいから、不思議で」
店の者は、笑って頷いた。
「ああ、そちら、靴底は、ただのチュセンテル板ではなくて、目に見えないほどの隙間があるんです。水のなかに沈めて、上げると、入り込んだ水が出てくるんです」
「目に見えないほどの隙間…」
「ええ。なので、通常の板であれば、片足に掛かる体重程度では変形しないのですけど、そちらは、足踏みする度に、潰れているんですね。で、足が浮くと、沈んだ時に、上から押す力を受けなかった部分が、潰れて引っ張る、変形した部分を引っ張り返して、元に戻る。その速度がちょうど、人の歩く速度に、大体、合っているわけです」
「へえー」
ちゃんと理解できたか判らないが、つまりこの板は、本来なら上から押す力に耐えられる厚みであっても、隙間の分、耐える力が、弱い、ということか。
頷きながら、靴を戻して、別の靴を手に取り、何気なくひっくり返すと、チュセンテルらしき板の部分が、足先と踵に分かれている。
「そちらは、靴底が一枚板だと歩き難い、と仰るお客様向けです。動きの大きな足裏の真ん中部分を開けて、特に強く地面に付く部分だけ、チュセンテルにしています」
ミナは、試しに履いて、歩いてみて、こちらの方が歩きやすい、と頷いた。
チュセンテルという鉱物は、それほど重いものではないので、特に軽いアルシュファイド王国の靴に比べれば重いが、靴としては普通の重みだろう。
ミナは、靴は軽い方が好みなので、ずいぶん迷い、求めるのは断念することにした。
この技術は、見てもらいたい気もするが、そのために、好みに合わない、身に付けるものを買うのは、もともと余計な世話なのだから、行き過ぎた行為だろう。
少し悩み疲れて、腕時計を見ると、16時だが、この町では、外はかなり暗いはずだ。
そういえば、いやに店の中が明るいなと思って聞いてみると、最下層の底にある色水を油に交ぜて火を点けると、白色の強い火になるのだということだ。
「煙なんかが体に悪いと困るので、うちも排煙なんかに気を使って、使い始めてみているところです。このまま使えると、便利ですけどね」
そんな話を聞いて、別の階で品物を見ていたブドーとジェッツィを呼び、宿に戻ることにした。
今夜の宿に着くと、玄関広間に付従者一行がいて、揃って頭を下げた。
聞くと、誰が代表で謝るか、散々、揉めた挙句に、この形に落ち着いたそうだ。
なんにせよ、無事でよかったと、まず言って、宿泊客などの邪魔になるので、その広間にある椅子に座った。
「それで、事情は判った?」
テナとユクトが頷いて、目で相談し合い、テナが説明を始めた。
「はい。まず、私たちは、男がいきなり、馬上から蹴り倒されるところを見てしまって、割って入ったのでした」
それで、テナとユクトたちは、どけ、どかないの押し問答をすることになり、ムトを呼んだのだった。
ミナが去ってから、馬上から落ちた男は、乱暴されたと喚き散らしたが、取り合わず、町の代表者が来るのを待った。
まず駆け付けたのは、男の父で、これは少し、状況を考える頭があるようだったが、尊大な態度で接してくれた。
やがて、加工場の、親方と呼ばれる、複数の加工職人を雇う者たちが数人と、加工人街の5人のまとめ役のうち、2人が到着した。
馬から落ちた男の父は、このまとめ役の1人だった。
ムトは、まとめ役の2人は、まだ話を聞き入れそうだったので、まず、町の責任者に会うと伝えた。
まとめ役たちは口を揃えて、とんでもない、と返したそうだ。
「町の代表者は、ビリーデ公と呼ばれているようです。マニカ・ミキュリシテ・ビリーデ、と名乗りました」
テナの言葉に頷いて、ミナは話の先を促した。
まとめ役たちは、公はお忙しいとか言っていたが、結局、少し時間はかかったものの、その、マニカ・ミキュリシテ・ビリーデという女は、外の道から馬車でやってきたのだそうだ。
「私たちは、蹴られた男を介抱してみたのですが、口が利けないようで、ムトに相談して、ツェリンスィアを使ってしまいました」
ツェリンスィアの薬は、たちどころに怪我や病を治すが、数が少なく貴重であること、強い薬なので、安易に使うべきではないこと、そして、リクト王国のこの地では、国民の多くが好意的に見ることができないだろう、ザクォーネ王国の薬であることが一般にも知られているので、関わりを示すことになるという点で、心配がある。
だがミナは、ムトの許可に信頼を置いて、頷いて見せた。
「いいんだよ。それで、治ったの?」
「ええ。どうやら、毒のようなものを飲まされていたようで、目がよく見えず、手足も痺れていたので、腹の広範囲に塗りました」
毒は体内に巡るのが一般的だが、呷った場合だと、多く留まるのは、落とし込んだ腹の中なので、もしものときは、そうするよう、指導を受けている。
さらに後遺症がある場合は、機能が破壊、もしくは衰えたところを特定して、その部分の肌に塗る。
目なら瞼に、舌なら顎の下から喉の辺りまでだ。
効き目が現れるのは速いが、見た目で判断できる外傷でなければ、後遺症がないか、数日、様子を見た方が良いと言われている。
「それで、今、その人は?」
「ええ、たぶん、大丈夫。明日、また、様子を見て、もしものときは、ガーディさんに頼めるかと、ムトが戻ったら、相談します」
ムトはまだ、戻っていないのだ。
「そっか。で、どういう状況だったの?」
「はい。蹴られた男は、馬の男の父親に雇われていて、指定の場所で採掘していたのですが、そちらから、色水が流れるようになったんです。ところがそれを、別の採掘権利者の土地に無断で、密かに流すよう命じられて、しばらくは、水も少ないので、採掘の邪魔にならないような場所に流していたそうなんですが、徐々に水量が増えて、もう、これ以上は無理だと、話しに行った際に、妙な味の茶を飲んで、気分が悪くなったから帰ることにしたんですって」
ところが、訪問した家の玄関にも辿り着けず、どうやら何か飲まされたらしいと知って、全部ぶちまけてやると、言ったらしい。
「それを馬の男が伝え聞いて、慌てて追ってきた、というところだったらしいです。なんとか、黙らせようとしたけれど、言いなりにならなかったので、短気を起こして、馬の上から蹴ったようです」
「なるほど…」
「そのあと、その、被害に遭っていた採掘権利者も交えて、話し合いをするということで、私たちは、先に戻るよう、言われたのです」
「そっか。大変だったね。あなたたちには落ち度はないんだから、謝らなくていいのよ。宿に戻って、休んだら?」
「はい…、」
申し訳ありません、と、口から出そうになる。
それを見て取り、ミナは言った。
「あのね。すべての人に手を差し伸べられはしないけど、そのとき、できたことがあるのなら、それをすることができたなら。助かった人がいることを、認めて。それですべてが、払拭されるわけではないけど、そのひとのために、謝ることはあっても、悔やんではだめ」
テナとユクトたちは、顔を上げて、ミナを見た。
ミナは言った。
「そのために、悪いことが起きるのなら、取り返していこう。元の状態には戻らなくても、そうするの。それで、責任を取ったことになるとは、思わないけど、助かった人がいるのなら、助からなかったときの選択が良かったなんて、思うのは、そのひとの、いのちを、否定することだと思うから。どうか、悔やむことだけは、しないであげて」
すべての状況で、それが正しいわけではないのだろう。
ただ、今、ミナはそう思う。
そう思って、自分も、手を差し伸べたから。
正しくなくても。
助けようとする、人の心を、否定するのでは、それは、人の道に、背を向けること。
人の道が、よいことをしようとする人の心が、すべての状況で、正しいわけがないのだ。
物事は、あちらこちらで繋がっていて、こちらでよいことをすれば、悲しむ人が、出てくることだって、あるのだ。
それでも、呑み込んで。
選択して、進んでいく。
向き合って、悩んで。
できることをしたいと、願う。
「さ、もう、湯を浴びて、休もうね。まあ、蒸気浴でもいいし。とにかく、息を、つこう」
そう、言われた瞬間、思わず、息が漏れた。
ミナは、にこりと笑って、付従者一行を今夜の宿へと送り出した。
そのあと、ムトたちが戻ったのは、先に食事を摂ろうかどうしようかと、悩む頃。
ムトは、話はあとにして、食事から摂ることに決めた。
ほかの宿に行った者たちとともに食事を摂り、食後、これからの旅の予定を話した。
「少し、変更に次ぐ変更で、落ち着かないから、ここで一旦、休むことにしよう。あちらこちらで関わったことなど、状況がどうなったか、一度、確かめよう。明日は、そのために一日取って、確認待ちの日とする。翌日は、休日とし、その翌日、出発としよう」
帰国は遅れるが、確かに、あとも見ずに、進むのでは、落ち着かないところもある。
ミナは頷いて、了承し、この機会に、アルシュファイド王国とも連絡を取りたいなと思った。
「では、そういうことで、明日は、半分は休日として、自由行動だ。イルマ、セラム、パリス、サウリウス、シェイド、ゼノ、ラシャは役目から離れるように。警護隊は、ラフィ、カチェット、明日は警護から離れるように。ティル、ジェン、テナとユクトに付き、翌日は休め。スティン、アニース、護衛を頼む。不寝番はいつも通り。残りは、明日は、あちらこちらに連絡を取り、旅の装備を確認するなどして、翌日に休む。馬と車はこちらの宿に預け、ハポックとミルルは、明日、明後日、休んでくれ。車の確認などは、明々後日、出発前の朝のうちにしてもらいたい」
ハポック・デッカとミルル・リーシは、この旅でずっと馭者をしてくれている者たちだ。
休日が決まり、一同は、なんとなく、ほっと息を吐く。
食後の茶を飲み干すと、ほかの宿の者たちは、自分たちの泊まる宿に戻り、この宿に泊まる者たちは、談話室に移った。
ムトたちは、湯の時間を逃さないよう、浴びに行く。
ミナは、デュッカと、ブドーとジェッツィと、どこに行きたい、と話して過ごし、翌日の予定だけ決め、就寝した。
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