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―四色の者Ⅲ―
宰相執務室を出たミナは、通り掛かった階段を下りるかどうか、立ち止まって少し考えた。
階段を下りるという行動は、日常生活では、健康を保つのに貴重な運動に含められる。
特に運動不足を感じてはいなかったが、運動時間、というものを割くことができないのだから、このような機会は逃すべきではない。
もう少しで、階段に向き直るところだったが、ミナは気を変えて南棟へと向かった。
今日は、あまり時間に余裕がないし、これから、あちらへこちらへと歩き回るから、今日のところは、適度な運動と言うよりは、疲労に繋がる行為となるだろう。
そう思い直して、昇降機を利用して、1階まで降りる。
「ユクト、テナ。これから行くのは、この王城を守っている結界のところ。術者は、双王と、白剱騎士だよ」
「理由がありますか?」
ユクトが聞いた。
ミナはそちらに顔を向けて答えた。
「理由は知らないね。調べれば、記述があるんじゃないかな?ただ、ここは、政王の居城でもあるけど、たくさんの、国を守るために働く人たちがいる場所だからね。3人で力を合わせたというのは、なんとなく、ここが王城だからではなく、国政を担うところだからではないかと、私は思っている」
「国政を担うところ…」
「そう。国政を、担う人が、いる場所」
「そう…、ですか」
ユクトは、この理由を調べるべきだろうかと考えた。
結界関連は、多く祭王が手掛けているので、それ以外のものには、特別な理由があるのかもしれない。
個々の結界構築に際して、個別の、構築の違いを持たせた理由があるのであれば、それは把握すべきだ。
ミナは、多忙なので時間を取れないのだろうが、彩石選別師は、彩石判定師の知ることのすべてを、知ることができないという、能力の限界がある。
それを、埋める必要があるのだろうし、たった1人しかいない彼女と違い、自分たちには仲間がいる。
「分かりました。そこは、彩石選別師として、調べるよう、マニエリに伝えてみたいと思います」
「そうだね。その必要があるんじゃないかな。よろしくね」
「はい」
そう話しているうち、1階に着いたので、一行は昇降機の籠を出て、中庭に出た。
「ユクト、ここにある術を読み解いてごらん」
「はい」
そんなことを要求されたのは初めてだったが、ユクトはすんなり従った。
仮にできなくても、叱られることではないので、恐れる必要はない。
ユクトは、自分の感覚を丁寧に確認していった。
いったい、自分には何が感じ取れるだろう?
「あ、風に水が多く混じっている気がします。これ、何か関係ありますか」
「うん、あるよ。もうちょっと探ってみようか」
「はい」
風に含まれる水は、人の身に纏わり付くものではないようだ。
雨の日の、じめじめした感触がない。
「ん、と。浮遊しているのではないですね。何か、固定されている感じがします。正面、か。いや、あれ、えっと…」
「落ち着いて。一度に全部を把握しようとしなくていい。まずは、自分の感じ取れているものを、確認してごらん。あなたの感じているのは、水の気配?それとも、水の力の気配?」
「あ、そっか。それだと全然違いますね。えっと、俺が感じているのは…最初は、水の気配でした。でも、目の前に壁を感じるのは、水の力の術なんですね…」
「うん、そう。確かに、ここは、水が多いけど、それは、特別に作り出しているんじゃなくて、集めているんだ。だから特別濃く感じるけど、風を探ってごらん。代わりに、そよぐ風には水気が少ない」
ユクトは、風から受け取る感覚に集中した。
「あ、そっか。はい。判りました」
「言ってごらん。ここはどんな空間?」
「はい」
ユクトは、空を見上げた。
それから、ゆっくりと視線を下ろして、左右を確認する。
「ここは、閉じられてはいないけど、術の影響範囲で、水の存在を操られています」
ユクトは、再度、辺りを見回した。
「えっと、術の固定点が、………上と、下に、よっつずつ。全部で8個。あります。水のサイセキだ」
「うん」
ミナが肯定したが、まだ待つようなので、ユクトは自分に言えることを探した。
「えっと…。ほかには、感じ取れません」
「いや、たぶん、気付いてないだけ。水ではなく、風を感じてごらん」
「えっ…」
風は、感じている。
だが、ユクトは、一瞬の間のあと、気付いた。
風は感じているが、風の力を、判別していない。
「えっと、…、あっ、風のサイセキがある!」
「そう。ちょっと意識すれば、自分が何を感じているか、判別はできるんだよ。あとは、回数だね。意識をする、回数」
「はい」
「水と風の術の詳細も見てもらいたいけど、今日はごめん、時間がない。ここはこれぐらいにしよう。ちょっと結界石だけ見て来る」
「はい」
ミナは、結界石のある場所まで行くと、術の具合を確かめた。
ここの結界構築には関わらなかったので、少し、気になるところはあるが、修正が必要とは、言えない。
ここでは、先ほど言った、双王と白剱騎士の術のほかに、祭王単独で、王城そのものの形に対する保護結界も敷いてある。
3者で構築した複合結界と、1人による保護結界で、二重の守りを展開しているのが、この王城だ。
そのように、簡単に説明して、ミナは中庭から、建物内に戻った。
「次は黒檀塔でいいかな。セラム、スティンとアニース呼んでね。あと、レイに、行くって知らせてくれる?」
レイとは、黒檀塔の管理責任者である黒檀騎士レイノル・アッカード・ザインのことだ。
「分かった」
黒檀塔内部は、入り組んでいるので、ミナはパリスに案内を頼み、あとに続いた。
スティンとアニースは、すぐに追い付いてきた。
ミナは、歩きながら、先ほどの王城の結界で、気になる点や、改善に向けて考慮すべき点など、話した。
「…ただ、そうしたからって、結界の長期維持には、少ししか貢献できない。もっと、違う発想が必要だと思うから、2人も考えてみて」
そう聞いて、ユクトとテナは頷いた。
やがて一行は、黒檀塔の中央部にある管理官室で、レイと挨拶を交わし、奥の部屋にある結界石を確かめた。
「ここの結界は、初代祭王の手によるもので、以降、黒檀騎士が継続を行っているよ。最初の結界がしっかりしているから、現状がよいのではないかと思う。ただ、それしかできない、という考えになると、困るね」
「はい」
「ユクトは、時間ができたら、補助石も見て回るといい。今日は次に行くね」
「分かりました」
一行はレイに挨拶をすると、渡り廊下を王城に戻って、その王城も出ると、大通りの先にある、表神殿と言われる敷地内に入った。
王城や、先ほど入った黒檀塔と同じく、アルシュファイド王国、同時に大陸を南北に貫く、チュウリ川の上にある施設だ。
この場所は、その昔、この世界を作った男女の双子神が住まいとしていたという言い伝えがある。
今は、そのようなことを知る者は少ない。
現在、この敷地内には、尖塔と、よっつの建物が設置されている。
尖塔内部には、このアルシュファイド王国の東西にそびえる、ふたつの巨大な連峰に掛けられた術の、支点のひとつが収められている。
連峰も、チュウリ川と同じく、大陸の南北の端まで横たわっており、大陸中央に据えられたアルシュファイド王国の東端と西端で、他国の侵略から守っていた。
その自然の状態を利用して、初代祭王は、自らの強大な土の異能を以て、ふたつの連峰に、絶縁結界という、結界のなかでも特に強力な結界を設置し、これを繋いで、アルシュファイド王国全体を覆った。
この維持は、代々の祭王が行っている。
ミナは、改めてその結界石を確認した。
ここにある結界石は、主神殿と呼ばれる、連峰に繋がる山の、中腹辺りに建つ祭王の住居にある結界石と、強く結び付いている。
絶縁結界の核となっているのは、実のところ主神殿の方だ。
表神殿に設置してある結界石は、便宜上、アルシュファイド王国全土に設置された各支点の集約点として設置されたものだ。
ミナは、そのようにユクトとテナに説明し、予備石の保管場所など教えて、時計を見た。
昼にはまだ少し早いが、今から主神殿に行くと、昼食をあちらで用意してもらうことになる。
突然行っては、たとえ用意してもらえたとしても、迷惑には違いない。
「ちょっと、まあ、かなり早い方だけど、昼食にしよっか…」
呟きながら、考える。
レグノリア中心地と言える場所に設置された主要結界は、あと、主神殿のものだけだ。
だが、同じ表神殿の敷地内にある、よっつの建物、まとめて四の宮と呼ばれる各建物には、規模としては小さいものの、異能の制御不能に備えた強力な結界が設置してある。
4ヵ所すべて回るのは無理でも、1ヵ所になら行ける。
「先に、風の宮を見よう」
ミナはそう言って、デュッカがいるはずの風の宮に向かった。
個人的に、デュッカへの伝達を飛ばして、お昼ご飯ご一緒しませんかと誘ってみる。
すぐに返信が来て、2人きりかと聞いてきた。
「いえ、そちらの食堂で食べさせてもらいます。昼は食べられるんですよね?」
デュッカが返信として寄越した彩石鳥は、そのまま、デュッカにミナの声を伝え、また、デュッカの声を伝えた。
「昼からどこに行く」
「主神殿ですよ。それから、また戻って、ほかの宮を回ろうかと思います」
「では、コンツェル通りに出よう」
「え?でもデュッカ、風の宮で食事した方が…」
「一緒に主神殿に行く」
またわがままが始まった、と、ミナは幸せに浮かぶ笑みをそのままに、答えた。
「だめですよ。それに、風の宮で食べさせてもらえる方が、ほんの少し、ゆっくりできる時間を持てます」
「分かった、用意するよう言っておく。何人だ」
ミナは人数を伝え、その頃には風の宮に着いていた。
デュッカが出迎えに来ており、どこに行く、と聞いた。
「まずは修練室。あの、デュッカ、お仕事は…」
「風の宮のことだ、俺も見ている」
「はあ…」
まあ、昼食の時間となる12時まで、あと、時間半ばもない。
デュッカとともに修練室に入り、結界を確認すると、次は異能判別室へと入った。
確認途中で12時になったが続け、ミナは天井を見上げた。
できれば、2階にある彩石選別師の訓練室も見たい。
「お昼食べたら、2階も見せてください」
「分かった。行くぞ」
「はい」
デュッカと並んで、今頃ブドーとジェッツィもお昼食べてるのかなあ、と呟く。
「そうだな。以前は2人で食べていたかもしれないが、オルレアノ国の留学者たちと一緒かもしれない」
現在、アルシュファイド王国には、オルレアノ王国から受け入れた、王族含む留学者たちが複数、滞在している。
ブドーとジェッツィは、先週末辺りから彼らと親しむようになったので、確かに、今日は一緒に過ごしているかもしれない。
「そうですね。段々と、仲いい子が増えるといいな」
「ああ」
そんな話をしながら食事をして、談話室で少し休むと、ミナたちは2階に上がって、こちらの結界を確認した。
「…それじゃ、また、夕方に」
確認を終えて、そう声を掛けるミナの腰に手を回し、デュッカが答えた。
「玄関まで送る」
「はい…」
「はっきり言った方がいいぞ、鬱陶しいって」
パリスが、デュッカに聞こえるようにミナに言った。
ミナは、あははと笑い、デュッカはちらりとパリスを見て、レミンティリィの香りの女には振られたのかと言った。
ぎょっとした様子でデュッカを見たパリスに、ミナは、へえ、と声を上げる。
「移り香が残るほどの女性」
「いやっ、誤解しないでくれ、悪戯で匂い袋を仕込まれただけだっ」
「ふうん?独身なんだから慌てることないのに」
「節操がないなんてミナにだけは思われたくない!」
「そんなことは思わないけど…ちょっと安心した。女性と知り合う機会はちゃんと持っているんだね」
「いや、スティンに誘われただけ…」
「おいおい、俺のせいにするなよ、ってゆーか、健全な活動だと思うけどな」
「問題はそこじゃなくって、匂い袋仕込まれる迂闊さと、そこまで不用意に女性に近付く安直さ」
アニースの発言内容に、パリスは言葉を失ったようだった。
「まあまあ…。私はそういうお付き合いしたことないけど、パリスたちは、こじらせない程度に楽しんだらいいんじゃない?青春と言うほど青臭いものじゃなくても、恋のときめきは日常にある方がきっといい」
「うう。俺は君がいれば充分だ」
「もう、そういう軽口よくないと思うわ」
ミナは笑って言うが、パリスは本気だ。
デュッカはちらりと、妻と護衛を見て、これは無防備が過ぎるんじゃないかと警戒した。
それはさておき、デュッカに見送られたミナたちは、風の宮を出て、表神殿の北門をくぐると、北門前広場の横にある馬停で馬車を雇い、主神殿に向かった。
短い車中で、ミナは外を眺めて休みながら、今頃、レジーネは食事のあとで眠っているだろうか、それとも元気に活動しているのだろうかと考えた。
そんな風に、思える者がいることが、今は、何より、幸せ。
じんわりと、広がる、幸せが、何よりの憩いとなった。
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