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―ⅩⅦ―
テナは、鉱夫の街を、じっくりと観察していた。
以前にも来た、南の大通りはもちろん、住居の造りなども眺めて回り、どうやら、ここは、ひとつの建物に、血族などではない、別の家族が複数住む、集合住宅、というものらしいと知った。
互いに挨拶などもするが、そこにいることに注意を払っている様子はなく、通り過ぎる距離が離れていれば、ことさら声を掛け合うこともない。
忙しそうにしている者などは、顔を上げて、その人物が何者か、確かめることすらしない。
テナ、カチェット、ティルの3人連れにも、あまり注意を払っておらず、見掛けると、ちょっと首を傾げるけれど、そんなことより、洗濯をしたり、洗濯したものを干したり、子供の世話をしたり、食事の支度をしたりといったことの方が、重要で、また、目や手を離せないでいる様子だ。
道には、いくらか汚れたものも転がっているが、骨などの食べられない部分を捨てたとかではなく、穴の空いた鍋とか、箱とか、変色した木箱とか、本来の用途に使えなくなった、両手で持てる程度の大きさまでが、道の端に、ちょこんちょこんとあるのだ。
ほかの街の露地裏には、いやな匂いを発するものなどもあったが、この辺りには見掛けない。
「ん…、わりときれいな印象かな…。ベックの子たちがいた露地裏からしたら、整っているよね」
そう話し掛けたのは隣のカチェットで、彼女は、今日は休日だが、ラフィ同様、休日として同行すると言ってくれたのだ。
この程度の会話は、警護中もするけれど、今日はいつもより、話し掛ける回数が多くなっているし、カチェットも、話し掛けてくるところを見ると、警護中は意識して、話し掛けることを控えているのだ。
「そうですね。特に掃除をしているわけではなさそうですが、そもそも、汚さない、ということを心掛けているのではないでしょうか。洗濯の水も、零すと、排水溝に向けて、きれいな水で洗い流しています。ほかの街では、ある程度、構わないところがありましたけど、こちらはまず、洗い方が慎重なので、飛び散る水も少ないですよね」
「なるほどー、よく見てるのね!」
「いえ、そんな…。それに、子供の身なりが、きれいですよね。布はそれほど上等ではなさそうですし、ベックの子たちが来ていた貫頭衣と同じ形ですけど、裾の処理がきちんとしていて、年齢が上がると、筒服を下に着るよう、与えています」
「あ、そうね!親がきちんとしていると、よく判るわ。ここには、家なし子や、親なし子は、いないのかもしれないわね」
テナは、自分で言って、その、ありがたみを噛み締め、ほっと胸を撫で下ろした。
子を、捨てるのではなく、育む、態勢がある。
実体は、貧しくて食べるにも困っているのだとしても、まだ、肉親を、あるいは、小さき者を、守ろうとする気持ちが、ここにはあるのだ。
テナは、昼食は、この近辺で働く者が食べるものを知りたいと思ったが、店で食べる余裕のある家庭が少ないのか、食堂を見掛けることはなかった。
「一旦、大きな通りに行きましょう。南の大通りにも見掛けないようでしたが、中の道の辺りには、少なくとも茶を飲む所がありました」
「あ、そうね!」
そう話して、3人は中の道の広場まで戻った。
そこでは、ちょっとした騒ぎが起きていて、どうやら、若い女が、何か、いや、誰かを連れて来い、と言っているのか。
気になったが、旅程を変更させてしまうことに関わってしまったばかりだ。
無視をするのも、いかがなものかと思わないでもなかったが、娘を注視してしまう自分を強引に動かして、手近な店に入った。
店の者に、食事はできるかと聞いたところ、簡単なものでよければと返され、どんなものかと尋ねる。
「ええっと、汁なんですけど…、あっ、えと、そちらのお客が、今、食べているものです」
見ると、赤っぽい汁で、なかには色々と入っており、咄嗟に豆だと思う程度の大きさの、何かの実らしきものが多く見られた。
「あと、ハーゲンって言う、硬い焼き物を、2枚添えます。取り敢えず、お腹に入れるには、まあまあの量だと思います」
「それは、この町独特の食べ物なの?」
「いいえ、リクト国で広く食べられる形です。ああ、ただ、汁の内容は、この町で手に入りやすいものになってますよ。だから、この町の汁には、赤いヴァードルがよく使われてて、赤い汁になります」
「そうなの!食べたいわ!あ、一応、献立を見せてもらえる?」
「ええ、どうぞ、好きな所に座ってください。机に献立を置いてます」
「ありがとう!」
そう返して、テナは、ざっと店の様子を見ると、窓際の席に引かれて座った。
4人掛けの長方形の机の、向かいに並んで、カチェットとティルが座る。
献立表は、2枚あったので、あちらとこちらで分かれて見る。
まず、最初の頁にずらっと並んでいるのは、説明書きからして、甘い果実らしい。
干し物と漬け物に分かれるらしく、値段は100ディナリから300ディナリまで。
見開きで隣合う頁には、穀茶(こくちゃ)が並んでいて、雑穀茶が最も安くて100ディナリ、あとは種類別に、150ディナリから500ディナリまである。
次の頁には、葉茶(はちゃ)と豆茶(まめちゃ)が、産地分けなどなしに、茶飲み1杯500ディナリで提供しているとあった。
あれっと思って穀茶の頁を見ると、そちらには、急須1個の提供だという、説明書きがあった。
顔を上げて、ほかの机を見てみると、茶飲みの器だけがあるところが多かったが、両手で包めない程度の大きさの急須が、横に置いてあるところもあった。
「へえ。あ、そうか。じゃあ、葉茶と豆茶は、ここでは、かなり高い方なのね」
アルシュファイド王国では、豆茶なら、茶飲み1杯500ディナリ程度で、産地の違うものを混ぜ合わせた、店独自の特別配合のほかに、特定の産地ごとに分けて、やはり茶飲み1杯ずつで提供される。
葉茶は、製造工程によって、緑茶とか紅茶とか呼び分けられるほどに、抽出液の色が違うのだが、主な生産国であるサールーン王国から提供されるものは、紅茶が多いので、葉茶、と言ったら、紅茶と理解される。
葉茶と豆茶の同じ頁には、甘味盛り合わせなどがあり、見開きの隣の頁には、赤汁、黒汁とあって、どちらも600ディナリ。
ハーゲンが2枚ずつ付いているほかに、雑穀茶が茶飲み1杯で付いてくるので、葉茶や豆茶の提供量と考え合わせれば、安い。
食事らしきものは、ほかには炒め物があり、食材違いで3種類に分かれ、汁と同じくハーゲンと雑穀茶が付いて500ディナリ。
汁は、煮込む分、手間が掛かるということだろうか。
あとは、100ディナリで、豆煮というのが2種類、ハーゲンが2枚1組100ディナリで提供されている。
テナは、カチェットとティルの注文を聞いて考え、赤汁と黒汁は味に大きな差はないのだろうかと話し、女給を呼ぶことにした。
彼女の説明によれば、赤汁は、少し甘く、酸味があるそうだ。
「むせるほどじゃあ、ありませんけど、まあ、酸っぱいと思います。黒汁(くろじる)は、黒胡麻胡椒味。赤汁(あかじる)が甘いのは、糖を入れてるわけじゃなくて、食材から自然な甘みが出てます。黒胡麻は、ほかに、ぴりっと辛い胡椒を多く入れているんで、ちょっと箸休めみたいな感じで、甘い豆煮を一緒にすることをお勧めしますよ。赤汁にも、まあ、付けるといいかな?汁は、リクト国の人が好むような、糖の甘みがないから、物足りないみたいで、あとから豆煮を注文する人が多いです」
「そうなんだ。両方、食べてみたいなあ…。でも、さっき見た器だと、大きいよね…」
「お客さんたち、3人で分けて食べる?たまに、1人分がおっきいってお客さんがいるから、小皿もあるの」
「いいの!?そうしたい!あっ、カチェット、ティル、いいかな!?」
「ええ、いいですよ」
「そうしよう」
2人が頷いてくれたので、思い切って、赤汁と黒汁と、食材違いの炒め物を2皿頼んでみた。
ハーゲンが、1人分多くなるが、腹の様子を見て、3人で分けることにする。
あと、2種類の豆煮を両方頼んで、待つ間に、何気なく窓の外を見ると、先ほどの娘は、まだ、何か叫んでいる。
「なんでしょうね…」
カチェットが呟き、テナも、何か判らないので、何かなと返す。
やがて、裕福な風体の男が来て、宥めているようだったが、娘は受け付ける様子はない。
そのうち、身なりは土仕事、たぶん鉱夫のまとめなどする立場の者と見える男たちが3人来て、娘に何か言い、娘は、不満そうだが、黙ったようだ。
裕福そうな男が、娘を促して歩き出し、周りが見守るなか、彼女は突然、走り出して、下層へ向かう中の道を下っていった。
周囲の男たちが、慌てて、あとを追う。
「この下って、確か、あんまり人がいないのよね…」
「ああ。そこまでで止まればいいが、そのすぐ下は、確か掘削現場だ」
テナの声にティルが答える。
「え、あれ、下まで行く気、なのかしら…」
「そうかもな。何か、自棄のような感じもしたし。余計な世話だろうけど…」
呟いて、ティルは、彩石鳥を放った。
それは店の隙間から外に出ると、下へと向かう中の道に飛び込む。
「一応、目印を付けたから、もし、なかで見付けられないとかなったら、追う方法を教えて来よう。今は取り敢えず、食事だ」
そう話して、3人は、そのうちに机に並んだ昼食を、おいしくいただいた。
炒め物の方は、糖が入れてあるような甘さがあったが、強くはなく、プノムのような味の薄い食材が多いなか、一方は辛みのある食材、一方は苦みのある食材が適度に交ざっていて、均衡の取れた味わいだ。
「ああ、この豆煮も、甘いのに、それだけじゃなくて、うん!ハーゲンがあるとは言え、一皿、ずっと同じ料理を食べているより、この小鉢があった方がいいわね!ちょこっとだけってとこもいいわ!」
「ええ、本当。おいしい。リクト国の料理は、甘いものが多いですけど、異国にいるって感じられて、どこか、わくわくします」
年齢の割に、落ち着いているカチェットが、わくわく、なんて言うので、テナはなんだか、嬉しくなった。
ずっと敬語で、護衛として一歩引いて接している様子だが、打ち解けてはいるのだと、感じられたからだ。
楽しく食事を終えると、席を立ち、勘定を済ませて店を出る。
「あっ、そういえば、あの子、いえ、あの人…、まあ、いいか。彼女、どうなったかしらね」
「さあな。みんな下層に行ってしまったから。テナ、悪いが、ちょっと下におりよう」
ティルの言葉に、テナは頷いた。
「ああ、そうね。事故が起こっていないといいけど」
そう言って、下層におりると、幾人かが固まって話しており、時々、下を気にする様子を見せる。
ティルは、先にそちらに近付いて、先ほどの娘は見付かったかと聞いた。
「いいや、まだ、捜索中だが。あんた、旅の人かい。こんなとこまで来たって、何もないし、この下には、おりられねえよ」
「ああ、うん。下りる気はないんだ。ただ、さっきの娘に目印を付けたから、捜索が難航しているなら、見付け方を教えたいんだが、いいか?余計な世話とは、思うんだが…」
それを聞いて、集まっていた男たちは、ざわりと、言葉にならない声を発した。
「えっ、見付けられるのかい!」
「ああ。この、彩石鳥の行くところを、追うといい。捜索する者にこれを渡して、捜索開始、片割れの追う娘の許へ、と言うように伝えてくれ」
「そ、捜索開始、片割れの追う娘の許へ…」
「そう。手を出して。2番目の示指がいいな」
ティルは、指に乗せた、先ほど作った彩石鳥よりも小さな彩石鳥を、話していた男に渡した。
「役目が終われば、勝手に消えるから。それじゃ、俺たちはこれで」
そうして、テナとカチェットを促し、下りたばかりの中の道を、上層へと上がる。
事故があったりすれば、手を貸したいところだが、力量が大きいだけでは、状況に対応できる自信はない。
自分にできるのはここまでと区切りを付け、本来の仕事である護衛の任務に立ち返る。
一応、このような対処をしたと、ムトに知らせておいて、あとは、テナとカチェットの気の向くままに町を回る。
しばらくして、自分が作った彩石鳥が合流して、消えたことが判った。
このまま、何事もなく連れ帰ることができるといいのだがと、思う。
娘の様子では、また、逃げ出す恐れがあったし、事故はいつ、起こるとも知れない。
気には掛かるが、とにかく今は、テナの護衛だ。
気を引き締めて、ティルは顎を上げた。
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