家族旅行

30/47
前へ
/130ページ
次へ
       ―ⅩⅨ―    ガーディは、すっかり暗闇に染まる空の下、並ぶ明かりを頼りに、馬をゆっくり進めた。 掘削(くっさく)地に建つ、リクト王国の中でも特異なこの町に、ガーディが来るのは三度目、だったろうか。 一度は幼い頃に父に連れられ、二度目は、ヴァルの父ベルドガル・フードリッヒハウゼンの視察に同行したのだ。 そのような行為は、王権を(ほしきまま)にしてきた当時の軍部の主導者には、()(ざわ)りで、危機感を与えるものだった。 ベルドガル自身の身を危険に置くまでに。 お()めすべきだった。 そんな言葉が、ちらりと(よぎ)るが、もう、取り返せることではない。 それよりも、今は、すべきことだって、あるのだ。 「ふむ。初めて来たが、このような町とは…、予想外だったな」 同行するカダナが、そう言って道の下の奥底を覗き込む。 深すぎて、昼間(ひるま)でも視認は難しいそちらには、町の()が見える。 「少し遅めですが、まだ、起きているでしょうから、到着の挨拶だけして、宿に向かいましょう」 ガーディの言葉に、カダナは、うむ、と頷いた。 何事もなく、宿街の階層に到着すると、風の宮公家族一行の宿泊する宿を見付けて入る。 知らせを届けていたので、ムトとステュウとヘルクスが迎え、明日(あす)の予定を確かめてから、別れた。 ガーディたちが泊まる宿は、彼らの宿に(ほど)近い。 食堂では、まだ食事を提供していたので、そちらから先に済ませ、湯を浴びた。 子供の頃の記憶は、薄く、だが、宿泊する部屋に戻って窓から外を見ると、ああ、そういえばこんな感じと、思い出す。 少し、思い出を辿って、ガーディは就寝した。 翌朝(よくあさ)、8時に最下層に向かう風の宮公家族一行を、挨拶がてら見送りに行くと、ともに行けることになったので、馬車に乗り込んだ。 途中、案内の鉱夫に、指示には従うようになど注意を受け、最下層に直接向かう道に入ると、町の外側を見ながら、深いところに下りる。 最下層の最上部である、鉱夫たちの仮住まいの街で馬車から降りると、徒歩で西向きの大通りを抜けて、(なか)の道から、下におりる。 坂道の表面は、なだらかに整えられていたが、両脇の壁は、まだ、あまり手を加えていないのだろう、いくらか、硬めの部分など、整えず、そのままにしてあることが窺えた。 ミナとブドーとジェッツィの感動は、見ていて微笑ましく、ほかの者たちも、興味深く、辺りを見回す。 この辺りは、造成現場とされていて、大まかな建物の形は作られていたが、例えば街灯の設置場所が整えられていたり、窓が掘り開けられていたり、扉を取り付けているなど、建物ひとつひとつの形が作られていっている。 「ここは、新たな入居者は、どう決めるのだ」 隣を歩くカダナが、近くにいた案内の鉱夫の1人に聞く。 「ああ、はい。この辺は、今、下層部と呼ばれているチュセンテル職人街を、そっくり移しちまおうって計画です。ですからこの辺りは、加工場の親方なんかの住居が多くなりますね。取り敢えず、会合場所なんかあるといいなって、話し合って、みんなで使う建物とか、まず作っちまってから、親方たちの希望とか聞いて、大体、同じような位置に、それぞれの希望の形の家を作るんです。それが終わったら、上の街で長く住んでる者を優先して、次は、家族のいる者なんかの希望を聞いて、作った建物を少しずつ修正しながら、適当に割り当てていくんでさあ」 「すると、外から来る者は住めないのか?」 「いえ、上の街もそうなんですが、空いてる建物には、誰でも住めます。もちろん、土地の利用権利を買い取ってね。ほかの町と違うのは、ここは、すでに建物があって、そのものが権利の対象になることです。最初は、ほかと同じように、地面の上に建てた家の所有の権利と、そこに住むとか、利用していいっていう、権利は分かれてたんですが、生活の場が下に移るときに、住める場所がそのまま、建物になっちまったんで、この町だけ、そんな感じ」 「ん…、ああ、そうか、建物が作られないなら、それはただの壁か。建物ができて初めて、利用することができるんだな…」 「ええ、そうです。地面の上と違って、そこが土や岩で塞がってるなら、利用できる場所がないって、考えなんですね。建物ができて初めて、利用できる。だから、地面の下に関してだけは、建物を買う金は必要なくて、土地の利用権利だけを買い取ればいいんです」 「なるほどな…採掘権利は、では、土地自体は共有しているのか」 「うーん、いや、共有はしないですね。場所は、縦方向に見れば、重なるんですけど、すでに造成された場所は、掘削(くっさく)できる場所とは認定されないんです。ですから仮に、建物の壁に鉱物が見付かっても、それは子供の悪戯(いたずら)以外で、故意に掘り出しちゃいけないんですよ」 「子供の悪戯(いたずら)…」 男は、笑って言った。 「いやまあ、親の背を見て育つもんで、割とよくある、悪戯(いたずら)なんですがね。それはまあ、育てるもんが、ちゃんと言い聞かせるところです」 「なるほど。えーっと、つまり、採掘(さいくつ)権利は、下に下に移動しているわけか」 「ええ、そこんとこは、ほかの土地と一緒で。最初に上の土地で採掘していいって権利を買った者が、その権利をずうっと行使して、下に下に穴が掘られ、横を繋げて、町として(ひら)くことになったわけです」 「ふむ」 下層を町として開くなら、採掘権利者は、協力し合って、横一列になるように掘り進めなければならないだろう。 もちろん、地層の様子を探る探掘(たんくつ)は別として、あとに造成を控えているなら、掘削(くっさく)現場の安全のためにも、もちろん、上部にある町の安全のためにも、ただ、そこにチュセンテルがあるからと、重要な支えとなる場所に穴を開けてしまうようでは、困るどころか、町全体の存続の危機であり、そこで生活する、多くの命の危機だ。 「すると、たとえそこに高純度のチュセンテルが大量にあったとしても、そのままにされているところもあるのか」 「いや、さすがに、それは掘っちまいますが、代わりにしっかりした支えを置くなど、厳しく監督されています。そんなもんで、今回、色水を勝手に、ほかの現場に流したことは、汚染も含めて、とんでもない大問題なわけですね…」 「そうか…」 段々、町のことを理解してきたと思う。 カダナは、採掘権利が国に返上された問題で、誰か適当な者はいないかとの話を聞いたとき、自分が名乗りを上げたのだった。 採掘など、経験もなく、作法も何も知らないが、60歳を超えてまだまだ、これから防衛大臣として働くとしても、10年後ぐらいには、さすがに引退しなければならないかと考えていた。 100年生きる者もいるが、リクト王国では、その多くが、80歳程度で最期の別れとなる。 防衛大臣として動きながら、この国の主要産業について、もっと知る必要があるのではないか、という考えもあるし、引退後の滞在先として、チュセンテルの町は、ほどよい距離のように思われた。 王都から急げば一日の距離で、国王療養地のザルツベルに近い。 若き少年王を見守るには、(わずら)わしく思われない、けれど相談はしやすい距離。 採掘権利を求めるのに必要な金額を聞いてみて、自分なら買える、と思った。 ここまで独身で、子もいないので、カダナのあと、再び採掘権利は所有者を失うが、時間稼ぎとしては、まあ、20年かそこら。無理なく、採掘権利を買い取る金の用意と、その後の管理の段取りを考えるには、充分な時間だろう。 ガーディも、適任者が誰もいなければ、自分が買い取るかと考えてはいたが、やはり、彼は、この国で生まれ育ってはいても、その意識は、アルシュファイド王国の民なのだった。 さて、チュセンテルの町の理解を深めながら、造成現場を見て回り、彼らは、もうそろそろ、採掘も終わりという現場も見せてもらった。 「このあとは、造成作業者に引き継いで、必要のない穴は埋めたり、支柱として残してある土や岩場を補強とか、取り除いたりするんだ」 「えっ、支柱なのに、取り除いていいのか」 ブドーに聞かれて、採掘の最後の作業を眺める、現場を主導する者は笑った。 「ああ。支柱って言っても、全部が全部、役に立つとは限らないのさ。俺らは、小さな穴ん中で作業してるから、用心して、ここは安全ってとこを、細かく区切って用意しながら、掘り進んでんだ。だがまあ、もっと広い空間を作ったり、支柱の代わりとなる建物の壁なんかがあるなら、柱は要らないもんも出てくるのさ」 「へえー」 ジェッツィは、そのような作業の手順などはあまり興味はなく、掘られている形が作り出す景色や、掘っている作業者のその姿、この場の空気や音や匂いを感じることに夢中なようだった。 そうして昼まで現場を見せてもらうと、食堂街に上がることになった。 この食堂街は、下層部を造る(さい)の、かつての仮住居跡で、下層部が大体仕上がると、用途に悩むようになったのだが、すぐ上階が商店街であるためか、なんとなく食堂が増えていき、今では立派な食堂街として機能している。 「そうだ、町が丸ごと下にさがるんならさ、上の方は空いちゃうのか?」 案内の者も、食卓をともにしながら、ブドーの問いに、ああ、いや、と応えた。 「空くのは、中間のところだよ。上階は、これまで通り、外からの客向けって形だ。現在の最下部を職人街として、現在の下層部を商売人街としたら、現在の中層部は空けて、水を張ろうかって計画してるんだ」 「へえー、水」 「ああ。現在は、各階ごとに配水館を設置してるんだが、現在の中層部全体を使って、水を分けて貯めて、汚染を食い止めたり、貯水槽を洗浄しやすくしたりとか、管理と警備をしやすくするんだ」 「そっか、じゃあ、今ある中層部には、これからは余所(よそ)(もの)(はい)れない?」 「まあ、そうだな。けど、用事もないだろう」 「でも、見られないとなると、見たくなる!」 「あっはは」 そんな話を聞いて、ミナが、食べている料理の皿から、ふと、顔を上げた。 「水だけでも、育つ植物はあるんじゃないかなあ」 「え?」 案内人が、なんのことかと顔を向ける。 「あんなに大きな空間、ただ水を貯めるだけって、広大すぎません?現状でも、食物は、まあまあ手に入るとしても、やっぱり、この町自体で生産する努力は、した方がいいと思う」 「え、し、しかし…」 「計画は、決定じゃなくて、まだ、立てている最中(さいちゅう)なんですよね?それなら、一部を、試用区画として取っておいて、そこで試験的に、水だけで栽培できる、食べられる植物を、育ててみたら?土に触れないよう、まあ、余所(よそ)から、水に強い、毒性のない鉱物か何か、仕入れる必要があるかもしれないけど、それでうまくいけば、リクト王国全体の、農業を変えることもできるかも…」 ミナは考えながら、呟く。 「もし、作物が育ちにくい理由が、土なんだとしたら…、これは、考えてみる必要が、あるかもしれない。毒性とは言わないまでも、成長や実りを阻害する成分が含まれているのなら、土を使うことを、考え直すべきなんじゃ…」 「それは…」 ガーディの呟きに反応して、ミナは、はっとして、また自然と下向けていた顔を上げた。 周囲の視線が集まっていることに気付いて、頬を赤くする。 「あ、えっと、私ってば、また余計なことを…」 「いえ、それは、大変に興味深い、ご意見です…」 ガーディが言い、考える様子を見せる。 土を使うのではなく、水に頼る栽培方法。 リクト王国には、水が豊富にあるとは言えないが、それでも雨はそれなりに降るし、川は流れている。 土が悪いなら、水も同様だろうが、土から、植物に悪い成分を取り除くより、水から、取り除く方が、容易ではないのか。 現在、川の水を飲んで不具合が出たとは聞かないので、地面を、地中を、通っていても、多くの水源は、動植物にとって、問題とはならない成分なのではないか。 だとすれば、特に悪影響のある土地を()けて水を通せば、水耕栽培が、できる、のか…。 ガーディは、顔を上げて、こっそりと、なんとなく様子を窺っているミナを見た。 そうして、にこりと、笑う。 「どうぞ、このことはお任せを。土壌調査も、まだ進めている最中(さいちゅう)ですから、色々と、調査結果を待つ期間があります。その間によく考え、よりよい道を、選ぶ努力をしていきます」 ミナは、頷いて、そうですねと言った。 長く世話になった、この地に、できることを。 探して、いこう。 ヴァルのことはもちろん。 祖国ではなくても、大事なこの土地を。 自分も、守るために、助けとなることをしたい。
/130ページ

最初のコメントを投稿しよう!

5人が本棚に入れています
本棚に追加