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5.バイバイ
――行方不明の女の子は発見され、無事保護された。
土にまみれてはいたが外傷はなく、衰弱している様子もなかった。元気いっぱいにはしゃいでいる様が、人々の心を和ませた。
状況が明らかになるにつれ、説明できない謎がいくつも浮かび上がっていき、現代のミステリーと呼ばれるような事件となっていた。
全てが落ち着いてからのこと。テレビを見ながら、お兄さんと狐乃音はお話をしていた。
「小さな女の子が涸れ井戸に落ちてしまった、というのはまあ、あり得る事だよね」
「はい」
子供の驚異的な移動力は侮れないと、一部を除いて、世の誰もが理解していたようだ。
女の子は、母親が目を離した一瞬の隙をついて一気に移動し、山の中にある廃屋に迷い込み、古い涸れ井戸に落ちてしまったのだった。
「無事でよかったです」
「うん。それにしても、狐乃音ちゃんはすごいな。すごく、落ちついていたよね」
「そんな事はないですよ? お兄さんが命綱を握ってくれていたから、ハイな気持ちになっていたみたいです。……うきゅ。今になってちょっと、怖くなってきました。命知らずでしたね」
「みみちゃんのこと、最初からわかっていたの?」
「漠然と、ですが。お隣に誰かいるなって。岬ちゃんは、誰かに呼びかけられて、それでトコトコと走って行っちゃったんじゃないかなって、想像してました」
二人は揃って、今はもう、この世にはいない人物のことを思い浮かべる。
――この街で何十年もの昔に、行方知れずになった女の子がいた。
元気に遊んでいるうちに誤って涸れ井戸に落ち、そのまま誰にも見つかる事も無く、死んでしまった。
個人的な趣味で、ちょくちょく郷土史を調べているお兄さんは、そういえばと思い出したかのように言ったものだ。ののむらみみという名前にどこか、引っかかるものがあったのだと。
外に出たい。明るい光を見たい。そう思う気持ちは足枷のように、みみちゃんの魂を現世に繋ぎ止めていた。
「岬ちゃんにはそれが、聞こえていたのですね」
「みたいだね。恐らく」
ごめんなさいと、みみちゃんは何度も謝った。自分の呼びかけがまさか、小さな女の子を引き寄せてしまったとは思いもしなかったようだ。
(あなたは何も悪くありませんです。謝らなくて、いいんですよ)
罪悪感に苛まれ泣きじゃくるみみちゃんに、狐乃音は優しく応えた。何だかお母さんになったようだと思った。自分もこんなにちっちゃくて頼り無いのに。生意気だったかもしれない。けれど……。
(優しい言葉をかけてあげなきゃ、可哀想じゃないですか)
ずっと長い間辛い思いをしてきたのだから。
岬ちゃんが救出されると共に、涸れ井戸の底からは、小さな人骨が見つかった。
鑑定の結果、数十年前に行方不明になっていた女の子のものだということが判明した。
世間でミステリー扱いされたのは、その前のこと。
――この街のとある交番にて。お巡りさんが席を外している間に、誰かがデスクの上に置いたのであろう手紙が広げられていた。
手紙には手書きの具体的な地図と、同時に簡潔だが目立つメッセージも添えられていた。
『岬ちゃんはこの中にいるよ! 助けに来て!』
女の子が書いたであろう、丸みを帯びた可愛らしい文字。
悪戯というわけでもなさそうなので、お巡りさん達は実際に行ってみることにした。
けれど、誰がいつこの手紙を置いたのか? 防犯カメラにも映っておらず、謎だけが残った。
「うきゅ……。何だか皆さんを騙しちゃったような気がします」
「でも、最善の対応だったと思うよ?」
「はい。それは、そう思います」
素直に警察に通報すればいいわけではない。このご時世だ。発見者自身が、女の子を誘拐した犯人だと疑われる可能性があるのは否定できない。
誰にも知られず、かといって無視もされずに、怪しまれない知らせかた。そんな方法を事前に打ち合わせた結果、狐乃音が文字を書き、現場を調べてからお兄さんが地図を書く。それを狐乃音が受け取って……。
「手品みたいだよね。お手紙転送って」
「ふぁっくす、というのでしょうか? そんな感じですね」
狐乃音のスペシャルパワーで、近くの交番に転送するという算段だった。どうやら上手くいったようだ。
「何にせよ。狐乃音ちゃん、お疲れ様でした」
「はい~。お兄さんもお疲れ様でした」
「お稲荷さん買って来たから、食べようか」
「うきゅ~。嬉しいです~」
お手紙を交番に転送し終えたところで、お兄さんはあえてすぐに現場から遠ざかることにした。誘拐犯扱いされるのを避けるために。
その代わり、助けが来る直前まで、狐乃音は二人の女の子の側にいてあげた。
『みみちゃん。そろそろ、脱出しますよ』
寂しくなったのか、お腹がすいたのか、岬ちゃんは目を覚ましてけたたましく泣き始めていた。それは、大人たちにもはっきりと聞こえたようで、見つけてもらえた。
周囲が騒がしくなったのを確認してから、狐乃音はみみちゃんと共に、その場を離れることにしたのだった。
『出られるの?』
『はい。お外、出ましょうね。いきますよ~。それっ!』
脱出魔法。確か前にお兄さんが『りれみと』だとか、よくわからないことを言っていた。
狐乃音とみみちゃんは人知れず天高く舞い上がり、陽光が照らす地上へと躍り出ていた。
『わあ! お外! お外だ~!』
みみちゃんは大喜びしていた。光を得て満足したのか、狐乃音にお礼を言った。
『ありがとう。お外に出してくれて。……ばいばい』
そして光に包まれながら、笑顔で何処かへと去っていった。
『ばいばい、です』
これでよかったのだ。せめてもの救いが、みみちゃんにも訪れた。
「狐乃音ちゃん。プリギア見る?」
「見たいです~!」
お稲荷さんと、お気に入りのアニメを楽しむ狐乃音。
誰にも知られることのない、人助けだった。それでもいい。
二人はただ、大きな満足感を覚えていたのだった。
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