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序章
北の果てにある外様九万石、大井家奥御殿の庭。冬の訪れが早いこの国では、すでに紅葉した葉も色あせた落葉となり、木の陰などにうずくまっている。
小さな池のほとりに、あっという間に過ぎ去った秋を惜しむかのように、あざやかな楓の葉が舞う意匠の打掛をまとった女がたたずんでいた。大井家当主・貴之の側室、紀美だ。
紀美は貴之のいわば糟糠の妻だった。本来貴之は母親の身分が低く兄も多かったため、当主になどなれないはずだった。紀美は早くから貴之のそばにあり、ほとんど正室に近い立場だった。しかし貴之が当主になったために別に正室を迎えねばならなくなり、側室に格下げになることも厭わず貴之のそばに残った、意志の強い女性だ。
今、正室と紀美が産んだ一人娘は江戸の藩邸におり、国許の奥向きは紀美が束ねている。
「お待たせいたしました」
乾いた落葉を踏む音がし、池のほとりにたたずむ紀美に、背後からそっと深く涼やかな声がかけられた。御伽衆の大久保由貴が、姿勢よく立っている。新たにあつらえたらしい、えび茶色の細かい縞の袴が本当によく似あって、まぶしいほどの男ぶりだ。
「まあまあ、ほんにいつ見ても男前で。素敵な袴」
笑い上戸の紀美は、由貴の男ぶりがあまりに決まっていて、つい笑ってしまう。
「ありがとうございます。殿が江戸でお求め下さった生地であつらえました」
「あらそう。わたくしにはなにも下さらなかったのに、あの方ったら。西陣織でも取り寄せていただこうかしら」
悪戯を企むような顔で笑う紀美に由貴は苦笑し、
「田山様もまもなく参られます」
と告げた。ではあずまやで待ちましょう、と紀美が歩き出そうとしたその時だった。
「奥方様、遅くなりまして申し訳ございませぬ!」
広大な庭じゅうに響き渡るような、やけに語尾が力んだ大声とともに、御伽衆頭の田山が勢いよく駆け寄ってくる。その必死な形相に、紀美は笑い顔を扇で隠すこともせず大笑いした。
「……あのう、少々、夕餉の指図に手間取りましてえ……」
肩で大きく息をしつつ、紀美に頭を下げる田山。相変わらず笑いっぱなしの紀美の代わりに、由貴は田山をすぐそばのあずまやにうながし、紀美に断って座らせた。
「別にそんなに全力で走ってこなくても……くくっ……」
紀美は大木の株をそのまま生かした腰掛に座っても、まだ笑っている。
「いえ、多少なりとも遅れてはぁ、奥方様に申し訳なくぅ……」
そう言いながら乱れたびんのほつれを直す田山の隣で、由貴は涼しい顔で座っている。その対比のおかしさにもまた、紀美は笑ってしまう。
「さあさあ奥方様も田山様も、落ち着いたところでお話を伺いましょうか」
一人泰然としていた由貴は、やがて機を見て口を開いた。
「そうそう、今日呼んだのは他でもない、御伽衆の新入りのこと」
気を取り直し、紀美は姿勢を正した。御伽衆を束ねる田山も、紀美が直々に声をかけて御伽衆の一員となる男のこととて、表情を引き締めた。田山は御伽衆頭という肩書きだが、自身は貴之の伽をするわけではなく、御伽衆御殿の責任者として頭という役職にある。
「御伽衆の新入りなど数年ぶりゆえ、お前達にいろいろと面倒を見てもらいたい」
さっきまでと違い凛として話す紀美は、さすが貴之と苦労をともにして今の地位にあるだけのことはあり、貫禄を感じさせる。
「その者、確か進藤とか申しましたね」
由貴の問いに、紀美はうなずいた。
「そう、名は源次郎といいます。学者として名高い源次郎の父君を、このたび隣国より招いたもの」
「なるほど、そうでござりましたかあ」
田山はただの相槌でも、いちいち大げさだ。
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