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基本設定・用語解説など
舞台
蝦夷(現在の北海道)のどこかにあるという設定。もちろん架空の藩です。現実では、江戸時代に日本の最北を治めていたのは松前家(領地は現在の北海道松前郡松前町あたり)。
時代的には、江戸末期の文化・文政あたりを想定。隣にも藩があり、源次郎一家はそこからやってきたという設定ですが、江戸時代の北海道はアイヌ達が住む、幕府から見ると未開の地帯。藩の職制などは、北国にあって石高も同じぐらいなので、弘前藩の制度を軽く参考にしてます。
御伽衆の設定は、もちろん完全にフィクション。戦国時代、御伽衆というのはその名のとおりいろいろ有益な話を聞かせる、ある意味顧問的な役目だったそうで、そこから名称を取りました。
作中は旧暦なので、十二月一日は現在の暦だとだいたい一月頭~中旬ぐらいになります(旧暦→新暦換算は、年によって結構違います)
用語解説
表・中奥・奥(向き)
大名が国許で暮らす城や江戸の藩邸は、使われる目的によりエリア分けがありました。表は、藩主が政務を取る場所。中奥は、藩主の普段の生活の場、プライベートな空間。奥に行かない、行けない日は(先祖の命日などは忌み日となり、房事は控えなければならなかったようです)藩主は普通ここで寝ます。
奥は、正室など家族が暮らす場所。完全に藩主家族のプライベートなエリアなため、藩主一家や親戚以外の男子の立ち入りは基本許されず、家老などの重役が正室に面談しなければならない時なども、所定の部屋で会っていたようです。逆に、正室や側室が中奥に足を踏み入れる、などということはなく、表や中奥は女子禁制だったようです。
城の規模が大きくなれば、跡継ぎや隠居した先代は二の丸で暮らす、ということもありましたし、逆に規模が小さければ、中奥がなく表と奥のみ、ということもありました。九万石ぐらいだと、本当に中奥があったのかというと、微妙な気もします……(苦笑)
この話では、御伽衆という男性の側室が役目としてあるという超フィクション設定なので、奥向きに男があふれてますが、本当の奥向きは台所役人など限られた役職の人達だけが男性でした(料理人は男性に限られていました)
江戸定府
江戸に常にいる、という意味。江戸藩邸詰めの藩士には、期間限定単身赴任の江戸勤番と行ったきりで定住の江戸定府の2パターンの勤務形態があり、定府だと代々一家で江戸に住んで、江戸で生まれて江戸で育ち、一生国許に行ったこともなく死に、墓も江戸にある、ということもありました。もちろん、役目が変わって一家で国許に帰るということもあります。
江戸時代の武家の男子の身の振り方
跡継ぎ以外の男子は、親戚などに養子に行くか、婿養子に入るのが一般的でした。当時は世襲制が基本で、藩から役職を与えられて仕えられるのは、現当主とその跡継ぎのみという場合がほとんどで、養子先が決まらなければ部屋住みといって実家の厄介になり続けるか、学者になったり武術などの特技で身を立てるしかなかったようです。
枕行灯
その名のとおり、枕もとを照らすための小さな箱型の行灯。今で言うと夜豆電球やベッドランプをつけて寝るようなものです。一度火種を消してしまうと、つけるのが面倒なので常夜灯が必要だったというのもあるでしょう。板が月をかたどってくりぬかれたりしていて、満月から三日月に変えるとか、板の抜き差しで光量を調節できるようになってました。便利で小粋な道具なので、出してみました(笑)
行灯は植物油などが燃料で灯心に火をともすので、明治に来日した外国人に「あわれな道具」と呼ばれてしまうぐらい、照明器具としては暗いです。
こたつ
ちなみに道具つながりで、この時代こたつは上に板を置いてテーブルとして使えるようにはなってません。熱源(炭火)の上にやぐらをかぶせ、さらにその上に布団をかけて熱が逃げないようにしていて、その上にお盆に載せたものを置いたりしてました。
乗物
引き戸がついていて、外からは誰が乗っているのか分からないようになっている駕籠のこと。家紋がちりばめられたりして美麗な物も多く、それ自体工芸品(重さは考慮されなかったのだろうか……)。主に高貴な身分の人が乗る物。
今はみんなひっくるめて駕籠と呼ぶことが多いですが、庶民が乗る簡素な作りの物から大名などが乗る立派な乗物と呼ばれる駕籠まで、いろいろ。江戸時代のタクシー、自家用車ですね。
陸尺は駕籠かきのことで、高貴な身分だとマイ乗物を持ち、陸尺を雇っていたのは、現代のお金持ちと同じです。
他、後から追加するかもです。
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