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「ほら。こっち来い」
「ん」
あぐらの膝を叩いて呼ばれたのが、猫か何かを呼ぶかの様だ。緊張のあまり笑い出しそうになった千都香は、気を引き締める事にした。
「宜しくお願い致します?」
千都香は、壮介の前に正座した。こんな事になっても、壮介は師匠だ。手を付いて、頭を下げる。
「……何だその挨拶」
「う」
千都香は我慢したと言うのに、壮介は無遠慮に吹き出した。そのまま引っ張られて、膝の上に乗せられる。
「お前、エアコン付けといて良かったなあ」
「このために付けたんじゃな……ん」
リモコンを操作しながらキスするというのは高等技術ではないのかと思いそうになる自分を、頭の中から追い出した。いちいち過去を気にしていたら、限りある時間が勿体ない。千都香は唇や手や舌や、背中に触れている体に集中する事にした。
「ふ……せんせ、電気……」
「悪い、消す」
キスが途切れた時に、部屋の中が明るいのに気が付いて呟いた。壮介がリモコンを手に取る。
「消さないでっ!」
「は?」
壮介が動きを止めた。背後から、かなり驚いた気配がする。
普通、この状況でそんな事は言わないだろう。自分だって言わない、普通なら。
だが、これは一夜限りの事なのだ。それならば、真っ暗で何も見えないままよりも、壮介のあれこれをきちんと目にしておきたかった。
見たことの無い様な優しい顔も、何度も見てきた気難しげな顔も、憧れていた器用な手が自分に触れるのも、全部ちゃんと見たい。
「電気、消さないでっ……点けといてくださいっ……」
「……良いのか?」
この訝しげな顔も、真っ暗にしてしまったら見られない。
逆に自分のあれこれも見えてしまう訳だが、今日限りの事だ。もう会えなくなるのだから、多少恥ずかしくても今だけの我慢だ。それに、ここに至るまでにも散々恥ずかしい言動をしてしまっている。これ以上恥が多少増えても、今更という気がする。
「……じゃあ、ちょっとだけ暗っ……あ」
「遅い」
遅いと言っても、リモコンを放り出したのはそう言った後ではないか。そう言いそうになったものの、愛撫に蹴散らされた。
さっきも思ったが、千都香は壮介に後ろから触られるのが好きだ。自分に触れている手が忙しく動いて、胸が好きな様に弄られているのを見ると、自分が壮介に求められている様な気がして、体の奥が甘く疼く。
「……あっ……は……んっ……」
「今日は、本当に、触るだけだぞ」
「え……?」
触って欲しいとしか言って居ないが、明らかにそれ以上になりそうな感触がさっきからお尻の辺りに時々触れている。
驚いて振り向くと、壮介はばつの悪そうな顔をした。
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