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「ハルヤ、これをお願いしてもいいかい?」 「はい」 ロバートからコーヒーの入ったタンブラーを受け取る。紙袋の底のカップトレーにそれを入れた。 次に、メッセージカードとペンを手に取る。 悩みながら顔を上げると、大きな窓の外は穏やかな陽気だった。 朝ということもあり、コーヒーショップ内には出勤前の客ばかりだが、混雑はしていない。客はみんなどこかゆったりとしている。 経営者であるロバートは、五十代の男性だ。彼にはこだわりがあるようで、店内には高級家具が並び、商品も学生では手が出せない値段のものばかりだ。 陽弥( はるや)もアルバイトをしていなければ、入る機会のない店だった。 手を止めて少しのあいだ悩んでいた陽弥は、メッセージカードに、「気持ちの良い天気ですね」と書いた。 丁度それを紙袋に入れた時、前に人が立った。 「おはよう。いつものもらえる?」 黒のタイトワンピースを着た女性が微笑んでいる。 陽弥は、「おはようございます」と言いながら紙袋をわたした。 「ありがとう。はい、これ。じゃあね」 彼女はチップをわたすと、美しい微笑みを残して去っていった。いつもながらその速さに追いつけなくて、多すぎるチップを握っている。 「ディックス様の秘書にわたせたかい?」 ロバートが隣に来た。陽弥はうなずきながら手の中の物を見せる。 「今日もこんなにチップをもらっちゃいました」 「気にしないで受け取って大丈夫だよ」 「でもこんなに……お店に入れたほうがいいんじゃないですか?」 「いや、店のほうにも充分すぎるくらい入れてもらってるよ」 ディックス様とは、ロバートが使用人をしていたディックス家の長男のことだ。レナード・ディックスというらしい。一族はかなりの大富豪で、陽弥より一つ年上の彼はすでにいくつも会社を経営している。 数人いる秘書のうちの一人が、毎朝、店にコーヒーを取りに来る。 「そのチップは、ハルヤへの感謝の気持ちも含まれていると思うけれど、別の目的もあるのかもしれない」 「別の目的?」 ロバートが柔らかく笑いながら人差し指を立てる。 「ハルヤがこの店を辞めないように、とか」 「でも僕、ディックスさんと会ったことないですよ?」 「そうだね。だけど私には、ディックス様がハルヤをとても気に入っているように見えるんだ。ハルヤのメッセージカードを、楽しみにしているみたいだからね」 「えっ?」 初めて聞く情報に、驚いた。もっと詳しく聞きたかったが、客に声をかけられて、陽弥は気になりつつもその場から離れた。 *** けっきょくロバートに詳しく聞く前に、大学の時間になってしまった。 陽弥は店をあとにして、トレッキングバイクで道路を走る。大学には十五分もあれば着く。 風が冷たいが、日差しは暖かい。それなのに、なんだか寒気が身体にまとわりつくようで、陽弥は顔を曇らせた。 風邪だったら嫌だな、と思っていたら、授業がすべて終わる頃には、強烈な寒気と頭痛に襲われていた。 借りているアパートになんとか帰り着いて、すぐにベッドに身を横たえる。 熱を測ろうとした時、携帯電話が鳴った。 「ロバートだ」 「どうしました?」 「知り合いの店から大量のブリトーをいただいたんだ。よかったら取りに来ないかと思って電話をかけたんだが……体調が悪いのかい?」 どうやら声だけでわかったらしい。 「はい……」 「そうか。じゃあ後で届けるよ。先に言っておくけれど、家に帰るついでだから気にしなくていいよ」 「すみません……」
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