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レニーが店内に駆け込んできたのは、三十分後だった。
他の店よりも混まないこの店は、すでにゆったりとした時間が流れている。その中に慌てた様子で入ってきたレニーは、素早く店内に視線を巡らせた。
陽弥を発見した後、自分に近寄ろうとするロバートを手で制する。
「どうしたの?」
テーブルを片付けていた手を止めて、隣に来た彼に訊ねた。何かあったのかと不安が胸に広がっていた。
彼はジャケットの内ポケットから何かを取り出し、陽弥に見せる。
「これは本当か?」
メッセージカードだった。見慣れた物だ。自分の字で、『あなたが好きです』と書いてある。
心臓がどくんと震えた。階段を踏み外しそうになった時のように、嫌な焦りが身体を包む。
なんでそれが、と思わず日本語で呟いた。
動揺している陽弥に、レニーが再び問いかける。
「ハルヤ、これは本当か?」
獰猛な肉食獣のような瞳に射抜かれた。
彼は陽弥の返事を待たずに、「いや」と口を開く。
「いや、ハルヤは嘘をつかないし、こういう冗談も言わない」
レニーは断定するような言い方をした。
力強い瞳から目をそらせない。
心臓が高鳴っている。手が冷えている。口の中が急速に渇いた。
耳はレニーの声を聞き漏らさないように、頭は英語を理解するために、意識を集中する。
周りの様子なんて全然目に入らない。ただ目の前のレニーだけを見つめる。
「本当だよ。レニーが好き」
言ってしまった。
唾を飲み込んで、相手の反応を待つ。
レニーはわずかに目を見開いていた。すぐにその顔が見えなくなり、ふわっと爽やかな香水の匂いがした。
内緒話をする時のように、身体を近づかせて耳元に唇を寄せていた。
「俺もハルヤが好きだ」
聞いたことがないほど嬉しそうな声だった。
片手に温かいものが触れる。彼が指を絡めてきて、周りから見えない位置でぎゅっと握られた。自然と陽弥も握り返している。
「恋人になってくれるか?」
「僕でいいの?」
夢見心地で発した言葉に、自分で不安になった。
僕がレニーの隣にいてもいいのかな。
先日訪れた豪邸を思い出す。この人は自分とはまったく違う世界を生きている。
自分が彼に釣り合わないという不安が、突如目の前に現れて、足の力が抜けそうだった。
「ハルヤがいい」
それはひどく甘ったるい声だった。
今度は色気と砂糖を混ぜたような声によって、足の力が抜けそうになる。
店内に満ちる香ばしいコーヒーの香りと、近くの爽やかな香りが混ざって、くらくらした。
「ハルヤ、キスしたい」
「っ、だ、だめだよ、こんなところで」
レニーが顔を寄せたまま甘い声で囁く。
赤面するとともに、首筋がぞくぞくとした。
「わかっている。今日は何時までだ?」
「午後三時……」
「その後の予定は?」
「……特にないよ」
「迎えに来る。それまでキスは何とか我慢する」
親指で手の甲を数回撫でてから、温かい手が離れた。
レニーは体勢を戻す。
ハンサムな顔を見上げると、優しく目が細められた。
「また後で」
近くにあった体温と香水の匂いが遠くなる。少し離れただけで、胸が切なくなった。
「そんな顔をしないでくれ。離れられない」
幼子をあやすような口調に、首まで熱くなる。思わず陽弥はうつむいて、小さな声を出した。
「ま、またね」
ここでやっと、レニーと両想いなんだ、と少しずつ実感がわいてきた。
なんだか泣きそうになって、酸味と苦みが混ざった香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
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