夜明けに消えるリグレット

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夜明けに消えるリグレット

 ユウは後悔していた。 「マイ…!」  ホテルのエントランスを出る。辺りは真っ暗で誰もいない。  駆け出そうとするのだが、左右に分かれた道どちらを選べばいいのかがわからない。 「どっちに…どっちに行けば……!」  選んだ道がどこへ続くのかは、スマートフォンで調べることができる。しかし、マイがどこへ行ったのかを知ることはできない。  連絡を取ろうにも、彼女はホテルの部屋に端末を置いたまま出ていってしまったのだ。 「くそっ…」  ユウは悔しげに足踏みを繰り返す。  3分ほどそうしていると、靴底とアスファルトがこすれる音に別のものが混じった。 ”おぉ…? なんだニンゲンじゃねーか” 「!?」  突然の声にユウは驚く。  あわてて周囲を見回していると、同じ声を再び聞いた。 ”こっちだこっち、よく見ろバーカ” 「え…?」  声がした方に顔を向ける。言われた通りよく見ると、そこには小さなコウモリの翼を持つネズミが浮いていた。 「な…なんだ?」 ”オレは悪魔だ” 「悪魔…?」  ユウは、空飛ぶネズミをまじまじと見つめる。  その姿は悪魔というにはあまりに小さく、迫力がない。しかし自ら悪魔と名乗るだけの度胸はあるようで、好奇の目を間近に受けても物怖じするということがなかった。  それどころか、逆にユウを物珍しそうに眺めながら尋ねてくる。 ”こんな時間に何やってんだ? そこらにコンビニもねえ田舎でよ” 「コンビニ…あ」  現実的な名詞がユウを我に返らせた。  彼はすぐに、わらにもすがる思いで悪魔に尋ねる。 「人を探してるんだ。ちょっと前にここから女の子が出てったんだけど、どこ行ったか知らないか?」 ”知らねえ” 「そ、そうか…」 ”だが見つけ出すことはできるぜ。ついてこい!”  言うが早いか、悪魔は夜道に消えていく。 「ええっ!? ちょ、ちょっと待ってくれ!」  見失うわけにはいかないと、ユウもあわてて駆け出した。  それから10分後。 「はあっ、はあっ、はあっ」  住宅街の端にある、つぶれたタバコ屋の前で止まる。  しかしそこには誰もいない。  悪魔は、サビだらけの自販機を示しながらユウに尋ねた。 ”タバコ買ってくか?” 「はあ…い、いらない……はあ、はあっ」 ”じゃあ次行くぜ!” 「つ、次?」  何がどう『次』なのか、ユウにはさっぱりわからない。わからないが、悪魔が飛んでいくのでついていくしかなかった。  さらに10分近く走ると、今度は旧国道沿いのガソリンスタンド前で止まる。  タバコ屋とちがってつぶれているわけではないが、営業時間外の店には誰もいない。 ”ハイオク入れてくか?” 「ぜえ、ぜえ……どこに、だよ……」 ”それもそうだな。んじゃ次だ!” 「ぜえっ、はあっ」  ユウは悪魔のスピードに食らいつこうと懸命に走る。しかし体はふらつき、息の荒さも隠せない。度重なる全力疾走が、彼を限界に追いやりつつあった。  それから20分後、悪魔が土手の前で止まる。  小さな手を頂上に向けながらこう言った。 ”あの向こうにオマエの女が” 「!」  ユウは疲れも忘れて顔を上げる。思わず叫んだ。 「いるのか!?」 ”いや、いねーな”  それはあまりに無慈悲な一言だった。 「…そう……か…がはっ、ぜえっ、ぜえぇ……」  ユウはがっくりとその場に座り込んでしまう。走るどころか、もはや一歩も動けなくなってしまった。  彼の息が整うころ、悪魔が不思議そうに尋ねてきた。 ”おいオマエ…なんで文句ひとつ言わねえ?” 「え?」 ”見つけ出すことができるっつっときながら、いつまでも見つけ出さねーで引きずり回してんだぜ。普通ならブチ切れてもおかしくねーはずだろ” 「……もしかして、今までのは…」 ”退屈しのぎだよ。それ以外の何でもねえ” 「…そうか」 ”そうか、じゃねーんだよ。なんでそこでブチ切れねーんだって話をしてんだ” 「おれさ……」  ユウはゆっくりと立ち上がる。 「マイを怒らせたんだ」 ”あァ?”  出し抜けな彼の言葉に、悪魔は首をかしげた。小さなネズミが首をかしげる姿はとてもコミカルで、ユウは思わず苦笑してしまう。  やがて彼は笑みを消すと、どういうことなのかを説明し始めた。 「おれたち遠距離恋愛しててさ。会うの、すごい久しぶりだったんだ」  壁のようにそびえる土手を見上げた。 「でも明日…日付的にはもう今日なんだけど、帰らなきゃいけない。今夜は大事な大事な最後の夜だった。なのに、おれたちケンカしちゃってさ」 ”そりゃまたバカなことしたもんだな” 「ああ、本当にバカだったよ……」  言いながらうつむく。草のにおいが濃くなったような気がした。 「何時に帰るのかって話になって、それがいつの間にかどうして帰るんだって話になってた。なんで帰るのってマイが怒って、しょうがないじゃないかっておれも怒った…」  どちらかが折れることはなかった。  ふたりは意地を張り合った。  そのうちマイが部屋から出て行き、ユウはそれを背中で見送った。 「すぐに追いかけようとは思わなかった。おれだってつらいのに、好き勝手言われてイラついてた。スマホ置いてったし、すぐに帰ってくるだろうって思ってた…んだけど……」  つけっぱなしのテレビが知らせた、誰かの事故。  これが彼を動かした。 「怖くなったんだ」  ユウは後悔していた。  すぐにマイを追うべきだった。  彼は急いで部屋を出て、ホテルのエントランスからも出た。しかし彼女の姿はなく、あったのは左右に分かれた道だけだった。 「もし、万が一…マイがこのまま帰ってこなかったら…そう思うといてもたってもいられなくなった。その時にやっと、ケンカしたのはふたりとも寂しいからなんだって気づけた。怒るんじゃなくて抱きしめればよかったのに、おれにはそれができなかった」  ユウは悪魔へと向き直る。ただ顔を上げるのではなく、体の正面を相手に向けた。 「マイには本当に悪いことをしたと思ってる。だから何としても、今すぐにでも見つけ出したい」 ”だったら余計に、オレにキレなきゃおかしいだろ。もう一度言ってやるが、オレはオマエを退屈しのぎで引きずり回したんだぜ” 「うーん…なんかもうキレる余裕もないっていうか、マイに悪いことをしたおれが大変な目に遭うのは当たり前、っていうか……」 ”おい待てこの野郎”  聞き捨てならないと、悪魔が話を遮った。  ユウの鼻先に小さな手を突きつける。 ”オマエまさか……オレの退屈しのぎに付き合うことで、女に悪いことをしたって気持ちを…罪悪感を消そうとしてんじゃねーだろうな?” 「はっきりそう思ってるわけじゃないけど、そういう部分が…もしかしたらあったかもしれない」 ”ふざけんなよ…!”  悪魔は手を下ろすと、ネズミが持つ特徴的な前歯をむき出しにしてみせた。どうやら怒りを表現しているらしい。 ”こちとら悪魔なんだぜ。イタズラを贖罪の材料にされちゃたまったもんじゃねえ。退屈しのぎはやめだ、マジでマイとかいうヤツの居場所を教えてやる” 「! 本当か!?」 ”だが、タダってわけにはいかねえ”  小気味よい破裂音とともに、悪魔の姿がネズミから醜悪な小男へと変わる。翼も体に合わせて大きくなった。 ”オマエの中にある一番大事な記憶、それを差し出すと約束しろ” 「えっ…?」 ”オレは悪魔だ。イタズラの罪滅ぼしなんかしねえ。オレの力を借りるなら、それなりの代償を払ってもらうぜ” 「代償……」 ”さあ、どうする?” 「わかった」  考えるまでもなかった。ユウはすぐに答えを出した。 「おれの記憶を渡すと約束する。だからマイを見つけてくれ」 ”いいんだな” 「ああ」  悪魔の念押しに、ユウは迷いなくうなずく。 「おれが記憶をなくしても、マイが憶えてくれてればそれでいい。だから頼む!」 ”…これは契約だぜ。もう決まっちまった。後からナシにしたいなんて言ってもおせェからな!”  悪魔はそう言うと、ネズミの姿に戻って小さな翼を羽ばたかせる。ユウはあわてて後を追った。  土手を登り、その上を走ること3分。  川にかかる橋の上に、ひとりたたずむマイを見つけた。 「マイ!」  ユウが叫ぶ。その声に、彼女は体を震わせて驚いた。  振り向いて彼の姿を見つけると、思わず両手で口元を覆う。 「ユウ……! ほんとに来てくれた…!」  ふたりは互いに駆け寄り、抱き合おうとする。  その時だった。 ”ストォーップ!”  悪魔が、醜悪な小男の姿でふたりの前に現れた。 ”契約、忘れたとは言わせねーぜ? オマエら『ふたり』が持つ、一番大事な記憶をもらう!” 「…え、『ふたり』?」  ユウとマイは不思議そうに見つめ合う。  そんな彼らに、悪魔はしてやったりとばかりにこう言い放った。 ”バカなオマエらはふたりして『一番大事な記憶を差し出すから助けてくれ』と、悪魔のオレを頼った!”  悪魔に出会い、その力を頼りにしたのはユウだけではない。  マイもそうだったのだ。 ”まったくいい気分だぜ! 感動の再会をするってトコで、オマエらはふたりそろって記憶を失う! その瞬間を、オレだけが特等席で見られる…悪魔やっててよかったぜェ、ホントによォ!” 「ま、待ってくれ! マイにも同じこと言ってたなんて、そんなの聞いてない!」 ”知ったことかバァアアアアアアアカ!”  悪魔はせせら笑う。 ”これは契約だ! オマエらが望んで結んだ契約! 神のクソ野郎だってナシにはできねえ! さあ、絶望にまみれた顔をオレにさらしやがれェッ!” 「くっ!」  ユウは走り出す。せめてマイだけでも守ろうと、彼女を抱きしめた。  直後、悪魔が指を鳴らす。  ためらいも容赦もなく、ふたりから記憶を奪った。 「……」 「………」  一瞬の空白。  風は止まり、まるで時までもが止まってしまったかのようだった。  しかし世界は進む。はるか向こうの山から太陽が顔をのぞかせ、あたたかな光が空と大地に漏れ出た。  足下を流れる川のせせらぎが、ユウの鼓膜を優しく震わせる。  その音の中に、彼はマイの声を聞いた。 「…苦しい、よ」 「あ」  彼女を目一杯抱きしめていたことに気づき、ユウはあわてて力を抜く。 「…ごめん」 「ううん…わたしも、ごめんなさい」  マイは左手で、彼のズボンをそっとつかんだ。  ふたりは一番大事な記憶を失ったにも関わらず、誰なのかと尋ね合うことをしない。互いの近さに驚いて飛びのくということもなかった。 ”ケッ、陳腐ったらねーな”  悪魔が、誰にも聞こえない声でつぶやく。  重なるふたりの影からひょこっと出した顔は、ネズミのそれに戻っていた。 ”好き合う男と女の記憶なんざ、ありふれすぎて何の価値もねえ”  価値のない記憶を奪うほど、悪魔も暇ではない。  では、彼は一体何の記憶を奪ったのか? ”『ニンゲンが悪魔と契約して願いを叶えた』…これ以上に大事な記憶なんざ、この世には存在しねーんだよ”  悪魔は前歯をむいて笑う。  この時、まるで彼を叱るように陽光の勢いが強まった。 ”やっべ”  悪魔はあわてた様子でふたりの影から飛び出す。逆側の手すりに向かって全速力で逃げた。  だがその近くまで行くとピタリと止まり、何を思ったのか振り返る。 「今日帰るのはおれもつらい。だから…できるだけ早く一緒になれるように、がんばる」 「うん。わたし、ちゃんと待ってるね」  やわらかな光の中で、ユウとマイが素直な思いを伝え合っていた。 ”…ケッ!”  吐き捨てる悪魔の前歯が、陽光を受けてキラリと輝く。  幸せそうなふたりに背を向けると、彼はひとり橋の下へ逃げ込むのだった。    >Fin.
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