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いとしのびすこ 一月
いとしのびすこ 一月
年が明けると、晴れて暖かい日には鼻がむずむずするようになった。目もなんだか涙っぽくて、一旦こすると止まらなくなる。くしゃみを連続七回したところ、その場に居た同僚全員に笑われた。
そんな風に、段々と冬がしまいに向かっているのを感じると、今までの春以上に、俺は一段と嬉しさがこみあげた。
びすこが眠ってしまう前、俺はネットでびすこの目覚める兆候についても、ちゃんと調べておいた。
人間のうちでも、敏感なのが年明けすぐに、早くも春の訪れを察知するのと同じに、生き物の多くは、年を明けて暖かくなれば、おのずと目覚めに向かうもので、それは人間が思うよりずっと正確で、早い時期のことであるという。
通常の人間だと、三月、四月辺りが春のシーズンであるが、もしかすると、びすこはもっと早く目覚めてくれるのかもしれない。
日なたの温かいところへベッドを寄せて、俺が休みの間は日に当ててやれば、びすこは目を開けて、またにっこりしてくれるかも。
俺は街なかでくしゃみを連発したり、目の赤い人々を眺めながら、そんな風に思った。
「びすこ、俺はどうやら花粉症みたいだ」
薬を飲み、こたつでうとうとしつつ、俺はベッドに話しかけた。市販の薬は良く効くのだが、強過ぎて、飲んでいると猛烈に眠くなる。
しかし飲まない訳にはいかず、休みの日にはびすこと一緒に眠っていられれば良いや、と思うので俺はこたつで横になった。
こんな日がなのんびりしていたら、
「こんなに毎日だらだらして!」
とびすこに怒られるな。
顔だけ動かして、びすこの居るベッドを見上げると、今日もびすこは気持ち良さそうにベッドに横たわっている。寝相がとても良くて、静かに胸が上下し、息をしている。
たらりと腹の辺りに乗せた両手の指のどれもがなめらかで美しい。髪に光の輪が反射してでき、輝いているのを見詰めると、俺も瞼を閉じた。
陽が傾いて陰ってきたので、はたと目が覚めた。床には光の斜線が引かれ、温度差ができていたが、ベッドの上はまだ明るかったので、俺は起き上がって洗濯物を取り込んだ。
少し風が出てきた。また花粉がぼうぼうとこの街を飛んでいるんだろう。それを多くの人が恨めしく見送っているんだと思うと、俺は面白かった。
取り込んだ洗濯物を畳み終え、適当に箪笥に入れると、カーテンを引こうと再び窓辺へ向かう。
俺は、アパートの小さい窓から、いつもの風景が少しづつ色を失い、暮れてゆくさまが好きで、太陽が沈んで薄暗くなるまでカーテンを引くのが惜しく思ったものだけれど、今は、びすこが窓辺のベッドに寝ているので、そんな事をしていたらびすこの身体が冷えてしまう。
早めにカーテンを引いてやって、保温をするのが常となっていた。
びすこの許へ行くと、俺ははたとびすこを見詰めた。
びすこの異変に俺はすぐに気が付き、しばらく俺は目の前で安心して眠りについている姿を眺めた。
びすこは布団から出した腕の先、正確にはその人差し指の、爪の先に花を咲かせていた。
「花だ」
思わず口に出して呟き、そろそろとベッド脇に正座をする。指先にまじまじと見入ると、びすこは爪の先から、細っこい茎というか、がくがひょろっと生えてきていて、そのつやつやした黄緑の先から、薄いピンクの小さな花が顔を覗かせていた。
その茎を、ちょっとつまんで力を入れる。確かに、びすこの身体から生えてきているようだった。
「綺麗だなあ」
俺は呑気にそんな言葉を零し、夕陽の染め上げる部屋の中、小さな花を咲かせてみせてくれたびすこの姿に感動を覚える。
薔薇みたいな派手派手しいものではなく、ちびっこくて平凡な花だったけれど、それは、一人取り残された俺のために、眠っていてもなんとか俺に何かを伝えようと、俺と気持ちを交わそうと、びすこが懸命に咲かせてくれた花で、それを見詰めていると、俺は胸がじんわりと熱くなり、鼻の奥がつんとした。
拍子に、くしゃみをまたする。
「びすこ、とっても綺麗だぞ。ありがとうな」
きっと、びすこの体内でも、春が刻々と近付いていて、目覚めの時はあと少しなんだ。厳しい冬は、そう長くないのだ、とびすこは俺に、必死に伝えようとしてくれているのだ。
俺はそっと、人差し指で花弁を撫でた。淡く色付いた、柔らかい花弁は、びすこの唇のようで、俺は、びすこと互いに唇を触れ合わせた日のことを甘く思い出した。
不思議なことに、びすこの指の花は、それから長く長く咲いている。
養分を取って咲いているのでは、と始めは不安だったが、びすこが眠っている今は、まるでこの花だけが、外の世界、俺へと開け放たれたびすこの世界の窓のようだった。
「じゃあ、行ってくるな、びすこ」
靴を履いて振り返ると、その小さな花は微かに揺れた。
昔、こういう音に反応するおもちゃがあったけど、びすこは俺の言葉でしか、反応しないのかもしれないな。
そう思うと、びすこが愛しくてならない。
俺は微笑んで、今日も仕事へ出掛ける。
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