いとしのびすこ 二月

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いとしのびすこ 二月

いとしのびすこ 二月  規則正しい音が、乱れがちになったのを、俺は聞き逃さなかった。うっすらとした意識の中で、それがとてもとても気になって、俺はいよいよ瞼を開けた。  しばらく目だけ動かして、変わらない部屋の、どこから音がしているのか考えてみたけれど、良く判らない。  のろのろ起き上がると、部屋には光がいっぱい射し込んで明るく、暖かかった。遠くで、電車が走っていく音がのんびり響いている。 「おお、びすこ、起きたか」 「びすこ、おはよう」 「おはようびすこ」 「おはよう、皆」  ぼけっとしていた俺に、早速テレビ翁やらエアコン女史やら、でかい皆は気が付いて声をかけてくれ、俺は、まだ「びすこ」でいられたか、と自分の掌や、顔を確かめたりした。  ふと気がつくと、自分の指先に小さな花がついていた。最初は、和臣さんが俺に飾ってくれたのかと思ったけど、違うみたい。  俺が自分で生やしたのかな?  それはとても綺麗で、ゆらゆら揺れていた。  でもそのまま動くには邪魔でもあったので、俺はそれをぷちりと摘んで、棚の上にそっと乗せる。 「皆元気だった?和臣さんは?」  部屋を見渡したところ、人の気配はない。昼間だから、きっと和臣さんは今日も頑張ってお仕事に行ってるんだ。尋ねると、家電の皆は、 「おう、そうだ」 「びすこ、良い所で目が覚めた」  と口々に言った。 「え?な、なに?和臣さんになにかあったの?」  なにか気がかりな事があったのかな。俺はびくびくしながら訊き返す。 「壁掛け時計氏が、そろそろ電池切れらしいぞい」 「彼が止まると、和臣も生活リズムが狂うわ」  そうか、だからどこからか、乱れた音がしていると思ったのだ。壁を見上げると、いつもは几帳面でしっかりした印象の彼が、 「かたじけない。電池を変えてくれますか、びすこ」  とちょっと元気のない声で俺に訴えた。 「良いよ」  俺は、覚えのある引き出しをあちこちいじって電池を探してきた。でも、 「びすこ、僕の電池は単四三本なのだ」  と壁掛け時計氏に言われ、俺は彼の蓋を開け、うーんと唸った。単四。しかも三本。 「探してみても無いなあ……判った。俺、買ってきてあげるよ」 「大丈夫か」 「気をつけろよ」  和臣さんのベッドに戻ると、傍に俺の少ない持ち物が、俺が眠ってしまう前のそのまま置かれていた。  小さな巾着袋の中には、和臣さんが俺にくれたお小遣いの多くが、まだたくさん残っていて、多分単四電池三本くらいは買えるだろう。  和臣さんが綺麗にしていてくれた俺の洋服を身につけ、 「じゃあ行ってくるよ」  と皆に声をかけると、 「俺も連れてけ連れてけ」  と俺のケイタイ君が盛んにわめく。 「あ、久しぶりだね」 「俺は別に久しぶりじゃない」  和臣さんは、俺の分のケイタイの電源も切らさずにいてくれたんだ……。  この部屋は、季節が巡っても俺が眠りに就いた以前のまま、変わりなくいてくれた。それは、和臣さんの努力と愛情のおかげだ、と俺はきゅんと胸が締め付けられた。  もう夕暮れだ、和臣さん早く逢いたい。  早く帰って来ないかな。  俺は出掛けにちょっと冷蔵庫や台所を覗いて、夕御飯の支度も買って来ようかなと考えた。  久しぶりに外に出てみると、街はすっかり変わっていた。  これから寒さの厳しくなりゆく、物悲しい秋の気配はすっかり失われ、いっときごとに春の色に街は塗り重ねられているようだった。  コンビニの中は、季節を先取りするのが常なので、一層春らしい店内になっていた。  カラフルなパッケージのお菓子やパン、並んでいる野菜やお弁当などにも、旬の物がたくさん使われている。  俺は、かつての自分のふるさとに帰って、しばらく感慨深く眺め回すと、壁掛け時計氏の単四電池を手に取る。そして以前、自分が座っていた小さな世界の中心を見に行く。  そこには、今年も新しいエアプランツの皆がたくさん並んでいて、つやつやと若い葉っぱを輝かせ、きゃぴきゃぴしていた。  皆は、人間になって立っている俺を見付けると、一斉に話しかけてきた。 「こんにちはっ」 「こんにちはっ」 「こんにちは」  皆、ここでの暮らしは物珍しく、毎日たくさんの人間の姿を目にし、わくわくと楽しそうであった。  俺も、ここに居るのは退屈しなかったし、友達もたくさんいた。でも、俺はここでとても大切な、大好きな人に出会えた。見詰めていたくて、買っておうちに連れて帰って欲しくて、彼の役に立ちたくて、人間にまでなれた。  そして想いを通じ合わせる事が叶った。  皆もきっと、ここで誰かに出会える。  そしてその誰かの、少しの楽しみになったり、癒しになったり、気安い友になったり、かけがえのない存在になったりできるよ。  きっと絶対になれる。  そう考えると、俺は胸の奥が熱くなった。  コンビニの棚の前で突っ立って、目頭を熱くしている異様な少年になってしまうので、俺は慌てて目をこすり、レジに向かった。  単四電池、今夜の晩ご飯用に、と鍋物の野菜とお豆腐などと一緒に、俺は赤い箱のお菓子、ちびっこの食べるようなお菓子を一つ買った。  あの時、和臣さんがこのお菓子を買わずに、俺を買ってくれた。今また、ありがとうの気持ちを込めて、俺から和臣さんに贈りたい。  少しだけ、湿り気の混じった春の風を連れて、またお客さんが自動ドアから入ってきた。入り口の傍の、レジ前に立っていた俺はそちらを見る。 「おはよう、びすこ」  もう日暮れだというのに、仕事帰りの和臣さんは、ゆったりとそう言って笑ってくれた。  俺が眠る前と同じの、泰然として安らいだ表情だけど、瞬きが多くて、本当は緊張して、喜びを懸命に抑えているのだ、というのが俺には伝わった。 「おかえり、和臣さん。驚いた?」 「驚いた」  久しぶりの会話を俺が平然と始めたので、和臣さんはちょっと面食らった様子だったけど、すぐにへらっと、いつもの笑顔をしてくれた。俺の大好きな、和臣さんの頬笑み。 「何買ったんだびすこ」 「今日のご飯だよ。お鍋で良い?」 「良いよ」  もう、本格的な鍋の季節でもないけど、和臣さんは嬉しそうにしてくれた。二人で荷物を半分こにして帰り道をゆく。 「あ、あと、ご飯のあと、びすこ食べようね」 「びすこ?買ったの?」 「うん」 「俺はこっちのびすこのが良いなあ」
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