52人が本棚に入れています
本棚に追加
/18ページ
いとしのびすこ 三月
いとしのびすこ 三月
このぼろアパートにも、ついに地デジ化の問題が押し寄せた。
うちに居るテレビ翁とデッキお兄さんは、地デジ化対応機種ではないので、このままでは、夏にはテレビが映らなくなってしまうのだという。
テレビだけなら、チューナーというのを使えば、このまま使い続ける事ができるみたいだったけれど、デッキお兄さんは、デジタル放送対応ではないため、難しいらしい。
それに際し、和臣さんはとても悩んでいた。
というのも先日、俺が、この部屋の家電さん達は皆、交信ができて、仲良しなんだ、と話したためであり、実際俺も、壊れた訳でもないのに、おかしな電波のせいで、テレビ翁とお別れするのは胸が痛んだ。
「どうしよう、びすこ。チューナーを買って、デッキだけ買い換えようか」
和臣さんの言葉に、
「わしの事は心配するでない、びすこ」
とテレビ翁はどっしりとした声で俺に話し掛けてきた。
「わしと、デッキ氏を切り離さんでくれんか。わし達は一蓮托生なんじゃ」
「気持ち悪い事言わないでくれよ、じいさん」
「わし達はな、共にリサイクルされて、『夢の超特急やまびこ』とかに生まれ変わるのが夢なんじゃ」
「やまびこって、いつの時代だよ、じいさん」
テレビ翁の言葉に、いつもは無口なデッキお兄さんが口を挟む。
この世にある色んなものが、壊れたらどこへ行くのか俺は知らない。テレビやビデオデッキが、リサイクルしてもらって夢の超特急というのに、生まれ変われるのかも、良く判らない。
二人は気を使って、そう威勢の良い事を言ってくれてるだけなのだ。人間というのは、業の深い生き物だ。
俺は、テレビ翁の言葉を和臣さんに伝えた。
大型電気店で、新しいテレビを選ぶと、地域の下請けらしい業者の人達が、取り付けと、テレビ翁の引き取りに来てくれた。
いかにも職人かたぎのおじさんと、見習いみたいな若い人との二人組で、その若い方の人を見て、俺はびっくりした。あ、と声が出そうになった。
彼も俺に気付いておや、という風に顔を綻ばせたけど、そのまま黙って居間へ入っていく。
……彼は、あのコンビニで俺の隣に座っていた子だ。
俺は、俺が和臣さんに買われて、コンビニを出た後の事は判らなかったけれど、彼もあの後、誰かのおうちに行けたのだ。そして心を寄せてもらって、あるいは心を寄せる誰かを得て、人間になったのだ。
あのおじさんのおうちの子になったのかな?
俺が、じっと彼を見ていると、
「ひだり、そっち繋いどけ」
「あいよ」
おじさんに新しいテレビの配線を任されたひだり君は、てきぱきと仕事を始めた。俺と和臣さんははっと我に返り、
「今までありがとう。無事はやぶさになるんだぞ」
と和臣さんは翁を撫でた。
「いよいよお迎えがきたで、びすこ、達者で暮らせ。部屋の皆も、さらばじゃ」
堂々とそう言うテレビ翁に、俺がしがみついて泣き出すと、おじさんはちょっとぎょっとしたみたいだった。小さい子みたいだと思ったかもしれない。でも、ひだり君はそんな俺に仕事の手を休め、
「じいさんと、デッキはまだ使えるのか?」
とふいに尋ねてきた。
「え、うん……本当はまだ、全然使えるんだ。どこかで使ってもらっても良いんだ」
思わず俺が言うと、ひだり君は部屋をぐるっと見渡した。見渡したというよりは、家電の皆をひとつひとつ確かめるように顔を向け、最後におじさんを振り向き、判断を仰ぐような素振りを見せた。
「君も、皆が判るの?」
「判るよ。俺はあんたと同じだもの」
「ん?」
「ん?」
ひだり君の言葉に、反応したのはおじさんと和臣さんで、二人は同時に俺達を見た。
「この子、あのコンビニで俺の隣に居た子だよ」
「ええ?」
「隣って、お前の右っ側は空いてたじゃないか」
「だから、この子の方が先に買われたんだよ」
不思議そうなおじさんにひだり君が言うと、
「そうか」
おじさんは、はじめの頃の和臣さんみたいに、やけにあっさりと彼の言う事を信じた。二人の間にも、俺達みたいな信頼関係があるのだと俺には判った。
ひだり君は簡潔に、俺もあのコンビニで過ごした仲間であることをおじさんに、反対に自分が、おじさんに買われていって人間になって、今はおじさんの助手をして暮らしている事を俺達に話してくれた。
アパートからちょっと行った所の、コインランドリーの傍の電気屋さんらしい。
「もしお金は出せなくてもいいなら、このテレビとデッキの事だけど。保育園とかケアハウスとか、ビデオやDVDを観せたりするのに使う所へ持って行っても良いかな?」
「え?」
「そういうのを観るだけなら、デジタル放送は映らなくても使えるし、きっと喜んで貰えるよ」
ひだり君の提案に、俺達は目を輝かせ、喜んで頷き合った。お金はどうでも良くて、テレビ翁達がそのまま、まだこの街のどこかで、二人で活躍できるならそれが一番良いように思うのだ。
到底、こんな街の片隅のテレビとデッキでは、夢の超特急にはなれそうもなかったし、なにより彼らはまだどこも壊れてはいなかった。
まだまだ生きられるのだ。
俺とひだり君が意向を聞くと、テレビ翁とデッキお兄さんは、しばらく二人だけの特別なやりとりで、何か話していた。
この小さなアパートの部屋は束の間静まり返り、遥か遠くの地球の裏側からの光を待つような、祈るような少しの時間が流れた。
テレビ翁達は、
「保育園かあ。落書きとか、されそうだのう」
「じいさんに付いてって、ケアハウスは早過ぎるからな」
と言いつつ、腹を決めたようだ。
「さて、では、やっぱりさらばじゃびすこ」
「うん」
「人間として、天寿を全うするのじゃぞ」
「うん」
二人はトラックの荷台に乗せられ、保育園へと出発した。
保育園は、街の高台にあって、駅まで出るとその姿が簡単に拝めるので、出掛けてみれば、外から二人の姿を見かけることがこれからもできるかもしれない。
でも、このアパートの小さな世界に住む俺達からしたら、それは、確かに新しい船出なのである。
二度と戻らない旅なのだ。
仕事からの帰り道、先をゆく和臣さんの背中を見付けて、呼び掛ける。
「和臣さん」
「おっ、びすこ。おかえり」
「ただいま。和臣さんも、おかえりなさい」
「ただいま。びすこのつなぎ姿は、可愛いなあ」
駆け寄った俺を、和臣さんは上から下まで眺めて、くしゃくしゃ頭を撫でてくれる。
和臣さんは、スーパーへ寄って、野菜などを買ってきたみたいだった。ねぎが袋からはみ出ている。
「可愛くないよ。だぼだぼしてるから、そう見えるだけだよ」
「そうかな」
あれから俺は、ひだり君とおじさんの居る電気屋さんでひだり君と同じく、見習いとして働くようになった。
人間として生きていくために、少しでも和臣さんにお返しや贈り物ができるように、二人の暮らしを支えるために働きたいという願いが叶った。
電気屋さんの二人は、俺が人間でないのを判っていたし、ひだり君と俺は、冬の間は眠ってしまう。おじさんはそれでも良い、と言ってくれたので、その言葉に甘えて、お世話になる事にしたのだ。
時々は、高台の保育園へ整備に行く事もできる。そうしたら、今でも俺達の傍に居てくれる皆や、新米の若造テレビ君(HDD一体型)に、テレビ翁達の現在の活躍の話がしてあげられるだろう。
「ひだり君と、びすこと、一緒に居た他の皆は、今はどこにいるんだろうな?またひょっこり出会ったりするのかな。面白いな」
「そうだね。この街に、まだきっと何人もいるよね」
夕暮れ時の、眩しい光の中を和臣さんと並んで歩く。
すれ違う人達のうち、いつかまた誰かに出会えるかもしれない。
人間というのは、出会いと別れを繰り返すのだというけど、俺達だってそうだ。家電の皆だって、この世にあるあらゆる全部が同じだ。
誰かと今日別れても、また新しい出会いがあって、いつかとても遠いどこかへ行くかもしれないけど、どこかをぐるっと回って、別の何かになって、また戻って来る事もあるのだ。
いつか出会える人が居るというのは、俺をとてもどきどきとさせた。
「あ、そうだ、びすこ。俺、今日こんなの見付けたんだ」
「何?」
「あとでおやつに食べよう。おっさん達にも持っていきな」
気付いたように、和臣さんは袋をがさがさいわせて、緑の箱を取り出した。子供がお菓子を手に笑っている。
「みどりのびすこだ」
「びすこのつなぎの色みたいだな」
新しい箱に、俺は驚いてまじまじと眺める。確かに、自分の着ているつなぎの色とお揃いで、照れ笑いをしつつも、俺はあることに気がついた。
隣でのんびり笑っている和臣さんは、箱の子とおんなじ所にえくぼがあった。
最初のコメントを投稿しよう!