いとしのびすこ 三月

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いとしのびすこ 三月

いとしのびすこ 三月  このぼろアパートにも、ついに地デジ化の問題が押し寄せた。  うちに居るテレビ翁とデッキお兄さんは、地デジ化対応機種ではないので、このままでは、夏にはテレビが映らなくなってしまうのだという。  テレビだけなら、チューナーというのを使えば、このまま使い続ける事ができるみたいだったけれど、デッキお兄さんは、デジタル放送対応ではないため、難しいらしい。  それに際し、和臣さんはとても悩んでいた。  というのも先日、俺が、この部屋の家電さん達は皆、交信ができて、仲良しなんだ、と話したためであり、実際俺も、壊れた訳でもないのに、おかしな電波のせいで、テレビ翁とお別れするのは胸が痛んだ。 「どうしよう、びすこ。チューナーを買って、デッキだけ買い換えようか」  和臣さんの言葉に、 「わしの事は心配するでない、びすこ」  とテレビ翁はどっしりとした声で俺に話し掛けてきた。 「わしと、デッキ氏を切り離さんでくれんか。わし達は一蓮托生なんじゃ」 「気持ち悪い事言わないでくれよ、じいさん」 「わし達はな、共にリサイクルされて、『夢の超特急やまびこ』とかに生まれ変わるのが夢なんじゃ」 「やまびこって、いつの時代だよ、じいさん」  テレビ翁の言葉に、いつもは無口なデッキお兄さんが口を挟む。  この世にある色んなものが、壊れたらどこへ行くのか俺は知らない。テレビやビデオデッキが、リサイクルしてもらって夢の超特急というのに、生まれ変われるのかも、良く判らない。  二人は気を使って、そう威勢の良い事を言ってくれてるだけなのだ。人間というのは、業の深い生き物だ。  俺は、テレビ翁の言葉を和臣さんに伝えた。  大型電気店で、新しいテレビを選ぶと、地域の下請けらしい業者の人達が、取り付けと、テレビ翁の引き取りに来てくれた。  いかにも職人かたぎのおじさんと、見習いみたいな若い人との二人組で、その若い方の人を見て、俺はびっくりした。あ、と声が出そうになった。  彼も俺に気付いておや、という風に顔を綻ばせたけど、そのまま黙って居間へ入っていく。  ……彼は、あのコンビニで俺の隣に座っていた子だ。  俺は、俺が和臣さんに買われて、コンビニを出た後の事は判らなかったけれど、彼もあの後、誰かのおうちに行けたのだ。そして心を寄せてもらって、あるいは心を寄せる誰かを得て、人間になったのだ。  あのおじさんのおうちの子になったのかな?  俺が、じっと彼を見ていると、 「ひだり、そっち繋いどけ」 「あいよ」  おじさんに新しいテレビの配線を任されたひだり君は、てきぱきと仕事を始めた。俺と和臣さんははっと我に返り、 「今までありがとう。無事はやぶさになるんだぞ」  と和臣さんは翁を撫でた。 「いよいよお迎えがきたで、びすこ、達者で暮らせ。部屋の皆も、さらばじゃ」  堂々とそう言うテレビ翁に、俺がしがみついて泣き出すと、おじさんはちょっとぎょっとしたみたいだった。小さい子みたいだと思ったかもしれない。でも、ひだり君はそんな俺に仕事の手を休め、 「じいさんと、デッキはまだ使えるのか?」  とふいに尋ねてきた。 「え、うん……本当はまだ、全然使えるんだ。どこかで使ってもらっても良いんだ」  思わず俺が言うと、ひだり君は部屋をぐるっと見渡した。見渡したというよりは、家電の皆をひとつひとつ確かめるように顔を向け、最後におじさんを振り向き、判断を仰ぐような素振りを見せた。 「君も、皆が判るの?」 「判るよ。俺はあんたと同じだもの」 「ん?」 「ん?」  ひだり君の言葉に、反応したのはおじさんと和臣さんで、二人は同時に俺達を見た。 「この子、あのコンビニで俺の隣に居た子だよ」 「ええ?」 「隣って、お前の右っ側は空いてたじゃないか」 「だから、この子の方が先に買われたんだよ」  不思議そうなおじさんにひだり君が言うと、 「そうか」  おじさんは、はじめの頃の和臣さんみたいに、やけにあっさりと彼の言う事を信じた。二人の間にも、俺達みたいな信頼関係があるのだと俺には判った。  ひだり君は簡潔に、俺もあのコンビニで過ごした仲間であることをおじさんに、反対に自分が、おじさんに買われていって人間になって、今はおじさんの助手をして暮らしている事を俺達に話してくれた。  アパートからちょっと行った所の、コインランドリーの傍の電気屋さんらしい。 「もしお金は出せなくてもいいなら、このテレビとデッキの事だけど。保育園とかケアハウスとか、ビデオやDVDを観せたりするのに使う所へ持って行っても良いかな?」 「え?」 「そういうのを観るだけなら、デジタル放送は映らなくても使えるし、きっと喜んで貰えるよ」  ひだり君の提案に、俺達は目を輝かせ、喜んで頷き合った。お金はどうでも良くて、テレビ翁達がそのまま、まだこの街のどこかで、二人で活躍できるならそれが一番良いように思うのだ。  到底、こんな街の片隅のテレビとデッキでは、夢の超特急にはなれそうもなかったし、なにより彼らはまだどこも壊れてはいなかった。  まだまだ生きられるのだ。  俺とひだり君が意向を聞くと、テレビ翁とデッキお兄さんは、しばらく二人だけの特別なやりとりで、何か話していた。  この小さなアパートの部屋は束の間静まり返り、遥か遠くの地球の裏側からの光を待つような、祈るような少しの時間が流れた。  テレビ翁達は、 「保育園かあ。落書きとか、されそうだのう」 「じいさんに付いてって、ケアハウスは早過ぎるからな」  と言いつつ、腹を決めたようだ。 「さて、では、やっぱりさらばじゃびすこ」 「うん」 「人間として、天寿を全うするのじゃぞ」 「うん」  二人はトラックの荷台に乗せられ、保育園へと出発した。  保育園は、街の高台にあって、駅まで出るとその姿が簡単に拝めるので、出掛けてみれば、外から二人の姿を見かけることがこれからもできるかもしれない。  でも、このアパートの小さな世界に住む俺達からしたら、それは、確かに新しい船出なのである。  二度と戻らない旅なのだ。  仕事からの帰り道、先をゆく和臣さんの背中を見付けて、呼び掛ける。 「和臣さん」 「おっ、びすこ。おかえり」 「ただいま。和臣さんも、おかえりなさい」 「ただいま。びすこのつなぎ姿は、可愛いなあ」  駆け寄った俺を、和臣さんは上から下まで眺めて、くしゃくしゃ頭を撫でてくれる。  和臣さんは、スーパーへ寄って、野菜などを買ってきたみたいだった。ねぎが袋からはみ出ている。 「可愛くないよ。だぼだぼしてるから、そう見えるだけだよ」 「そうかな」  あれから俺は、ひだり君とおじさんの居る電気屋さんでひだり君と同じく、見習いとして働くようになった。  人間として生きていくために、少しでも和臣さんにお返しや贈り物ができるように、二人の暮らしを支えるために働きたいという願いが叶った。  電気屋さんの二人は、俺が人間でないのを判っていたし、ひだり君と俺は、冬の間は眠ってしまう。おじさんはそれでも良い、と言ってくれたので、その言葉に甘えて、お世話になる事にしたのだ。  時々は、高台の保育園へ整備に行く事もできる。そうしたら、今でも俺達の傍に居てくれる皆や、新米の若造テレビ君(HDD一体型)に、テレビ翁達の現在の活躍の話がしてあげられるだろう。 「ひだり君と、びすこと、一緒に居た他の皆は、今はどこにいるんだろうな?またひょっこり出会ったりするのかな。面白いな」 「そうだね。この街に、まだきっと何人もいるよね」 夕暮れ時の、眩しい光の中を和臣さんと並んで歩く。 すれ違う人達のうち、いつかまた誰かに出会えるかもしれない。  人間というのは、出会いと別れを繰り返すのだというけど、俺達だってそうだ。家電の皆だって、この世にあるあらゆる全部が同じだ。  誰かと今日別れても、また新しい出会いがあって、いつかとても遠いどこかへ行くかもしれないけど、どこかをぐるっと回って、別の何かになって、また戻って来る事もあるのだ。  いつか出会える人が居るというのは、俺をとてもどきどきとさせた。 「あ、そうだ、びすこ。俺、今日こんなの見付けたんだ」 「何?」 「あとでおやつに食べよう。おっさん達にも持っていきな」  気付いたように、和臣さんは袋をがさがさいわせて、緑の箱を取り出した。子供がお菓子を手に笑っている。 「みどりのびすこだ」 「びすこのつなぎの色みたいだな」  新しい箱に、俺は驚いてまじまじと眺める。確かに、自分の着ているつなぎの色とお揃いで、照れ笑いをしつつも、俺はあることに気がついた。  隣でのんびり笑っている和臣さんは、箱の子とおんなじ所にえくぼがあった。  
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