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いとしのびすこ 十一月
いとしのびすこ 十一月
どんどん寒くなって、身体がうまく動かなくなる前に、和臣さんは俺のために、アパートにあるのより温かそうなふかふかの布団を買って、晴れた日にそれを干してくれた。
またある時は、すっかり冬の装いになった街で、クリスマス用品としてお店に売られていたものを俺に買ってきてくれたりした。
「俺が外に出てる時は、携帯で呼んでくれれば良いけど、この部屋の中で俺を呼ぶ時は、これを使え?」
「ええ?お屋敷みたいだね」
俺は目を見開いて、その贈り物を手にしてみた。
「上に向けて振るんだぞ」
黒い木製の持ち手を掴み、一度手首を動かすと、深みのある音色が響いた。和臣さんがくれたのは、小さなハンドベルだった。多分、年末の福引会場や、隠し芸なんかに使われる需要のためだろうけど、それは、真っ昼間の安アパートには似つかわしくない、荘厳かつ高価そうな響きで、俺はちょっと照れ臭かったけど、ありがとう、とお礼を言った。
「これなら大声で呼ばなくても、寝転がってても使えるから。教会の鐘みたいで、かっこいいだろ?」
「そうだね」
和臣さんの言葉に、俺はもう少し先のこと、多分俺が休眠期に入ってからの事に想いを馳せた。
もし、クリスマスにもお正月にも、起きていられたら良いけど。そうしたら、和臣さんとケーキを食べて、プレゼントを贈り合って、初詣にも行けるのに。
そして往来をゆく人々の誰よりも、幸せを噛み締めて、和臣さんと歩けるのにな。
俺はそう考えて、ちょっとしんみりしてしまったけれど、はっと思い直してかぶりを振った。
不安なのは当たり前だけど、俺が淋しがっていては、和臣さんにもその淋しさが伝染してしまう。残される和臣さんの方が何倍も怖くて、淋しいのに。
きっと、春になったら、また動けるようになって、クリスマスもお正月の分も、色々な事をしたら良い。それに、冬の間も、ずっと一緒には居られるのだ。
「時々、目が覚めた時ってのは、何か食べたりしても良いんだろ?」
「うーん、たぶんね」
「きっと、腹が減ったりして目が覚めるんだろうしな。そしたらごちそうにしような」
「別に良いよ……」
俺はしばらくハンドベルを鳴らし、ベッドの上にそっと置くと、再び自分の仕事を続けた。
今日の新聞に挟まっていた広告をテーブルにばらし、片面が白いのと、両面印刷されてる物に分けてある。裏が白いものはメモ帳にと、ちょきちょきと切り、両面印刷のものを、俺は丁寧に折り始めた。
俺は、冬の間の和臣さんに、俺からなにか残してあげられないかと思って、広告の四角いごみ箱を作っておいてあげようと考えたのだ。前に和臣さんが作っているのを見て、俺でも覚えたら出来るかもしれない、といっぱい練習した。
これなら、広告で毎日作りおきしてあげられる物だったし、それをこたつの上に乗っけて、蜜柑の皮やピーナッツの殻を入れたりする時に、時々、ベッドで寝ている俺の事を、ちょっと思い出してくれたら良いな、びすこ早く起きてこないかな、なんて願ってくれたら良いな、と考えた。
「びすこは丁寧だなあ。俺なんて、超、適当なのに。なんか、もったいなくて使えないよ」
「ええ?それじゃ、たくさん作ってる意味がないよ。いっぱい使ってよ」
俺は不器用なので、角と角をぴしっと合わせたり、綺麗に折り目をつけていくと、時間がかかって毎日そんなに作れない。でも、冬の間も、俺が傍に居るって事、和臣さんに覚えててもらえるように、俺の気持ちが和臣さんに伝わって、温かくなりますように、と一折り一折り、形を作る。
俺の指先に、和臣さんのまじまじとした視線を感じ、胸が熱くなる。
はじっこに、銀色の物干し竿の見える庭は、今日も綺麗に整えられていて静かだった。風はあの頃よりぐんと冷えて、日差しも弱々しくなったけれど、庭の皆はまだ元気だった。
この庭の主に皆目をかけて貰ってるからだけど、冬の時期に休眠する種類の皆は、そろそろ冬支度を始めている。
「こんにちは」
「やあ、久しぶり」
「こんにちはー」
俺が、冬の間、この庭に来ても良いと、誘ってくれて嬉しかった事、でも、和臣さんに一緒に居て欲しいと強く引き止められた事。迷ったけれど、俺も、和臣さんと離れられないと思った事、迷惑をかけるけれど、あのアパートで冬を越そうと決めたのを伝えると、皆は、広い庭のはしばしで、少しの間囁き合った。
その密かな音色は、耳に心地よく、この庭はやっぱり素敵だな、と瞳を細めてしまう。
「それは素敵なことだね」
「春なんて、ちょっと眠ったら、すぐだよ。また遊ぼうね」
「暖かくなったら、お花見においでよ。あの人と」
「うん、必ず」
口々に声をかけられ、俺ははにかんだ。振り向くと、少し距離のある路地の角から、和臣さんが心配そうに見守ってくれていた。俺が手を振ると、和臣さんも手を振り返してくれる。
この庭まで、ついて来ても良いのに、と言った俺に対し、和臣さんは俺の不思議な友人達に遠慮してか、人間としての分別のつもりか、そこの角で待っているから、とだけ言った。
「冬には、人間も冬ごもりするというし、大して変わらないよ」
「そうかなあ」
確かに、和臣さんも、特に俺の話を聞いてから、寒くなるにつれて、分厚い長座布団を揃えたり、ゲームや漫画を買い漁ったりして、アパートにこもる準備をしている。それは、これから先、動かなくなる俺に付き合って、という面もあるだろうけど、元々人間も、厳しい季節は本能的にそうなるのかもしれない。
俺は少しだけ納得した。全て自然の摂理なのだ。
「じゃあ、また来るね。また会おうね」
「さよなら、びすこ」
「さよなら、びすこ」
池の皆は飛び跳ねて、庭の皆はさやさや揺れて、俺にお別れをしてくれた。
俺が帰って来るのを見て、路地に居た和臣さんもこちらへ近付いてきた。一歩ずつ、ゆっくり踏み締めて俺を迎えに来てくれる。
和臣さんは、目を逸らさずに微笑んでくれた。この人が、俺を恋人にしてくれて本当に嬉しい。この人の傍に居られる限り、冬だって怖くなんかない。
俺も、和臣さんの気持ちに応えるように、頬笑みを湛えた。
ご飯を食べると、ものすごく眠くなってきた。満腹になったせいか、身体もぽかぽかと温かく、意識もぼんやりとしてきて、
「和臣さん、先にベッドへ行っても良い……?」
と俺は後片付けをしていた和臣さんの背中に尋ねた。和臣さんは、一度手を止めて、居間にいる俺を暗がりから振り向いて見詰めた。
「そうか、びすこ、もう寝るか?」
「うん……ごめんね」
「いいよ」
「後で入って来ても良いからね」
「判った」
和臣さんは、遠い場所から穏やかに微笑んだ。
「おやすみ、びすこ」
立ち上がり、のろのろとベッドへ向かう。居間にまします壁掛け時計氏が、俺に気付いて、
「おやすみ、びすこ」
と和臣さんを真似た。
「おやすみ」
「おやすみ、びすこ」
俺の背中に、テレビ翁とエアコン女史も静かな声を掛けてくれる。普段は、俺にあんまり優しくないパソコン嬢は、今は通電していなかったけど、蓋を僅かに浮かしておやすみの挨拶をしてくれた。
ベッドにもそもそと入り、横になる。枕の傍にある固い物を掌が捉えた時、俺は理解した。
俺は今日、これから休眠するんだ。しばしの眠りに就くのだと。
和臣さんが俺にくれたハンドベルを引き寄せる。次に目が覚めたら、もう春になってるかな。それとも、冬の途中に、何度か目覚める事ができるかな。時々は和臣さんの顔が見たいな。和臣さんとお話できると良いな。……目が覚めても、人間でいられると良いな。
俺はぼやけてくる意識の中で、和臣さんの事だけを考えた。そうすると、悲しい訳でもないのに、涙が一粒零れた。
和臣さん、ずうっとだいすき。
最後にそう思った。
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