いとしのびすこ 十二月

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いとしのびすこ 十二月

いとしのびすこ 十二月  部屋の奥から、「おかえりなさい」という声が返ってきた日の事を、今でも良く覚えている。  少し緊張した、頑なな表情の少年が現れ、俺を困った風に見詰めた。それがびすこであると、俺にはすぐに判った。コンビニで売られていたびすこが、突然人間の少年になっているのは、これまで地味に、平凡に生きてきた俺の常識からしたら、とてつもなく衝撃的な出来事だったけれども、気味が悪いとか、厄介だとは感じなかった。  それどころか、俺はとても嬉しかった。  都会の一人暮らしは、孤独とまではいかないけれど、休日にはする事もなくて、味気ない暮らしだなあと思うこともあったからだ。……だから、コンビニでびすこを見付けたのだし。それが、人の子になってくれるだなんて。  彼は、俺の服を引っ張り出して着ていたけど、サイズが合ってなくて、肩が落ちていたりジーンズの裾を折って穿いていたりした。その、体型の違いが可愛らしくて、早速兄ちゃんが何か用意してやろうな、と俺はうきうきとした。  びすこは、俺の事を好きで、色々知りたくて人間になりたいと、願ったのだと教えてくれた。男の子になっちゃったけど、ごめんなさい。とびすこは謝ったけど、俺はそんな事より、びすこが俺をお兄さん、と呼ぶ声がたどたどしくて、胸がきゅんとした。  コンビニにしばらく居たので、彼は人間の事を少しは理解していたけれど、字を書いたり、洗濯をしたり、というのを俺から学んだ。懸命なびすこは、物覚えが良く、俺のために布団を干したり、掃除をしたり、とかいがいしく尽くしてくれた。  びすこの「好き」という感情は、俺の役に立つ事をするのが優先みたいで、迷惑をかけたりはしたくないし、自分のためにお金や時間を使ったりしなくて良い、と言った。でも俺は俺で、びすこに色々と考えてやったり、一緒にどこかへ出掛けたりしたくなった。俺にも、びすこを好きだという感情が芽生えたのだ。  退屈しのぎで、コンビニで買ってきた物ではなくて、一緒に暮らしている男の子として。俺はこんな冴えない、くたびれた男だけど。  この小さなアパートで、いついつまでもびすこと居たい。  びすこは「良い」と言ってくれるかな。  俺が仕事で居ない時、びすこがどうしているのか、ちょっと気になる所ではあった。テレビや本はあっても、一人では退屈しやしないか心配していたが、びすこは毎日、にこにことしていた。  びすこが言うには、俺には平凡に見えたこの部屋にも、日々色んな新鮮な発見があるのだという。  一人一人の暮らしの、何の変哲もない世界に、そんな風に、面白味や楽しみを見付けられるびすこが、俺は本当にすごいと思った。  秋の気配が訪れると、びすこから驚く事を告げられた。  人間になってもびすこは、元々の生物としての本能として、秋の終わりから春先にかけて、休眠してしまうというのだ。  ここは都会の、日当たりの良い部屋だし、暖かくしていたら冬籠りなど必要ないのではないか、そう思ったが、呑気な俺とは裏腹に、びすこは非常に深刻な顔をして、いきなり泣き出した。  彼の涙を見た途端、もう、俺は自分でも呆れるほど、見事にうろたえた。しかし、びすこが俺以上に、自分の置かれる状況に絶望していたので、俺はなるたけ冷静に見えるよう努めた。  びすこは、眠って場所を取るし、何もしてあげられなくなるから、とアパートから出て行こうと考えていたらしい。しかも黙って。なんて恐ろしい事をしようとしていたのか。  こんなに大切なびすこが、突然居なくなってしまったら俺がどうなるのか、びすこは考えなかったのかな?  目の前からびすこが居なくなったら、俺がどれほど切なくて苦しくて、世の中が真っ暗になってしまう、という気持ちを切々と、懇懇と、俺は想いを込めて訴えた。  自分がどんなにびすこを好きか、伝えきれてなど、ちっともないのだけど、どれだけ話しても足りないのだけど、みっともなく追いすがり、俺は人間じみた自分勝手さを発揮した。 びすこは俺の気持ちに折れてくれた。 ++++++++++  びすこが眠ってしまうと、この小さなアパートが再び、しんとなった。  買い物もあまりしなくなり、休みの日にも、家に居るだけ。  でも、びすこのやって来る前の暇さとは明らかに違い、今は家に帰ると、寝ているびすこが迎えてくれる。目を開けて、喋ってはくれなくとも、触れれば温かいし、ゆっくりと呼吸をしていてくれる。  この冬が過ぎて、風の柔らかくなる頃にはまた目覚めて、俺の名前を呼んでくれる。そう思うと、俺は淋しくなかった。  気のせいか、部屋で過ごしていると、まるで見守られているかのような優しい気配を、俺は感じるようになった。もしかして、びすこかな?と俺は振り向くけれど、なんとなく、違うような気もした。 「びすこ、今日は晩飯たこ焼きなんだ。でかくて、うまいぞ」  スーパーに出店していた屋台で買ってきた、たこ焼きパックを温めながら、ベッドに寝ているびすこに声をかける。 びすこは寝ていながらも、時々寝返りを打ったり、寝言を言ったりするので、俺は日に何度も、びすこに話し掛けるようにした。何かの拍子に、少しの間だけでも目が覚めたりするかもしれないからだ。 「和臣さん、お腹空いた」  なんて、恥ずかしそうに言うかもしれない。  クリスマスも正月も、起きていられなくて申し訳なさそうなびすこだったけど、一緒に居られない訳じゃない。俺には充分楽しいクリスマスだ。  今は目が覚めなくても良い。  冬の間、名前をたくさん呼ぼう。贈りたい物をたくさん用意しよう。気持ちもたくさん贈ろう。  春になったら、冬の分のお祝いもたくさんしたいな。  くりくりした、愛らしい瞳で俺を見詰めて欲しい。そして、また一緒に歩いていこう。  
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