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「ま、国家資格とかではないし、婚活業を始めるのに絶対必須の資格でもないんですけどね。仲人協会が発行してる免許で、試験があって――個人情報保護とかクーリングオフとか、悪いことはしないようにちゃんと勉強して登録してますっていう身分証みたいなもんです」  胸ポケットの名刺入れから、硬質プラスチックのケースを取り出す。写真入りのそこには、氏名、生年月日、認定年月日などと同時に、仲人士の運営NPO法人がちゃんと内閣府認証である旨も添えられていた。 「これ自体が偽物の可能性だってある……って顔してる」 「――そ、そんなことは」  あるけど。  眼鏡を押し上げて隠したつもりだったが、そんな表情もばれてしまっていたんだろう。  晴臣は軽く微笑んだだけでそれ以上は触れず、雨に濡れる日本庭園に目を移した。 「うちは母親が東北の田舎出身なんですけど、そこで周囲の勧めでした結婚でつらい思いをして……親戚を頼って逃げてきた東京の下町でパートしながら俺を育ててたんですね。で、そのパート仲間の年配のおばちゃんに仲人士やってる人がいて」  もう結婚はこりごり、としり込みしたものの、職場の付き合いということもあって、紹介される相手に何人か会ってみたりした。 「そうこうするうちに凄くいい人に出会って再婚できたんです。俺の、今の父ですけど。で、今度は母親が「言われるがままにした結婚だったからいけなかったんだ。百人でも、二百人でも会えばよかったんだ!」って、仲人に目覚めちゃって、そのおばちゃんに色々教えてもらってやってるうちに本業になって今は自宅で開業してるって感じです。きれーなお姉さん受付に用意してる大きなとこと違って、ほんと普通のおばちゃんに相談できるし、失敗談からの成功談がリアルに出来るもんだから掴みはばっちりでしょ。結構繁盛してて、本も何冊か出してるんですよね」 仲人協会に所属し仲人士をする人間は、手広くチェーン展開する婚活業者などと違い、最初の事務手数料と成婚料以外は徴収してはいけないことになっている。紹介料も一人につき幾らなどという高額なものではなく、顔合わせのホテルのティールームに払うお茶代の実費のみ。 もちろん、会員数などで言えば大手業者には敵わないが、その分目が行き届くし、とにかく時節柄金銭面の負担が少ないということで気軽に顔合わせまでこぎつけられるから、成婚率では負けていないのだという。 「……へえ」  初めて聞く世界の話に、椿は素直に感嘆を漏らした。 「母がテレビやラジオや執筆だって忙しいから、大学卒業して俺も仲人業を手伝ってたんですけど、なにしろ若いでしょ。信用って意味でちょっと弱くて。そんなときちょうど梓市の募集を見つけて、経験積むために応募してみようかなってなったわけです。納得できました?」  椿はしぶしぶ頷いた。 「でも、その……」 「ゲイなのに、ノンケの婚活に口出ししてんのかって?」  そこまでは言ってない。……もちろん、ちらっとも脳裏をよぎらなかったと言えば嘘になるが。 「会員の方には最初に言いますよ。ある意味、競合しないしどっちの話もフラットに聞ける最高の相談員」 「自分で言う……」  突っ込んだら負けだと思いながら、思わず漏らすと、晴臣はまた笑って、残っていた抹茶を飲み干した。 「いつか同性同士の結婚も普通の世の中になったら、必要になると思って。同性同士に強いコンサル」 「――、」 「だからなんでも経験させてもらって、備えておこうって、そう考えたってのはありますね」 「……そんなの、いつになるかわからない話だろう」  それこそ、梓では何億年単位で先の話だ。虫みたいな生物が人間になるまでのような、天文学的時間。少なくとも自分が生きている間は絶対に無理だと思う。 「うん。だから、あ、必要! って思ってから動いたら、遅くなっちゃうから」  要するに〈不可能〉で〈無意味〉という意味で俺は言ったのに。 こいつはまた、そんな含みなんて全然気がついてません、みたいな調子で微笑うのか。 「雇ってもらえてよかった~」  しみじみ呟くその様子に、嘘はないように思えた。 「応募のときから、オープンに?」  それでよく雇ってもらえたな、アレだぞ――という響きを言外に感じ取ったのだろう。晴臣は軽く肩をすくめて見せた。 「正直、少子化でより困ってる地方のほうが勝機はあると思ってたんで」 「は?」  何億年単位で遅れてるここが? 「僕が働くことで梓市がそういうのに寛容だってイメージ着いたら、若い人口流入しますよーとか、仮に男同士だったら世帯収入高いんだから税収的にも良くないですかー、とか。まあ、調子のいいことも言わせてもらって。ああ、あと面接の中でお隣の市をかなり意識してるのは伝わって来てたんで、この辺りだとまだそういう職員ていないんじゃないですか? 話題にならないですか? 顔出し取材僕なら全然オッケーでーすみたいなことも言ったかな?」  椿は言葉を失う。罪を犯して逃げてきたわけではないが、なかなか食えないやつであることには変わりないようだ。椿にとってはマイナスにしか思えないことを、すべて逆手にとっていく、したたかさ。 『いつか同性同士の結婚も普通の世の中になったら、必要になると思って。同性同士に強いコンサル。だからなんでも経験させてもらって、備えておこうって』  雨に濡れる日本庭園を穏やかに眺めながら告げたそのまなざしは、真剣そのものだった。激しさこそないが、長い時間をかけてひとつのことを考え続けている賢者のような気配がそこにはあった。  ――そんなこと、俺は考えもしなかった。ゲイのくせに婚活コンサルタントなんて、おかしな奴って思っただけで。 昔、百人いっぺんに遊べばいいだろ、と言われたときと同じような感覚に襲われる。 目の前にあるものが、壁だと思っていたら突然そこに扉が表れて、開け放たれた向こうにはよく晴れた空と気持ちのいい風の通る草原が広がっていました、みたいな。 実のところさっき城でも少し感じた。雲を晴らしていくようなその風を。 『ひとりひとりとじっくり向き合いたいんだ、椿さんは』  ――あんなこと、初めて言われた。  とかく日本の教育では「みんな仲良く」が貴ばれる。梓のような田舎でならなおさらだ。 ゲイバレが怖い、という理由がなかったとしても、椿はけして人づきあいがいいほうではない。大学でも職場でも、大人数での飲み会はあまり意味が見いだせなかった。「腹を割って話すと親密度があがる」なんて言うけれど、実際にはみんな好き勝手に酔っぱらっているだけで、会話なんて成り立たないことがほとんどだ。それでも「みんなと一緒に、みんなと同じことをする」。 それの一体なにがなんの理解につながるんだ? だったらアルコール抜きでお茶にでも誘われたほうがまだましだった。  事実、龍介とふたりで出かけるのは苦痛じゃない。そもそも龍介との外出は手持無沙汰な休日、ふらっと出かけて昼食でも食べ、お互い上司の愚痴をちょっと言い合っては暗くなる前に帰るというものだ。そういう放課後を過ごすことがなかった、青春のやり直しみたいな。 龍介も「運動辞めた上にしょっちゅう酒なんか飲んだらすぐ中年ビール腹の仲間入りだ」というタイプだから許されているだけで、いまだに社会ではみんなでわいわい飲める人間のほうが評価されるものだろう。 「いやしかし」  晴臣が不意に噴き出す。 「〈なにを企んでるんだ〉って、ドラマの中でしか聞かないようなこと初めてリアルで言われたなー。記念に呟いとこう」 「や、め、ろ」  スマホを取り上げた。 「観光局のアカウントじゃなくて、自分用のだから大丈夫ですよ」  などと笑っている。そんなのなおさら嫌だ。こいつの日常の中に俺が刻まれるなんて、そんなのなんだか――むずむずする。   むずむずを持て余していると、晴臣は今度はわざとらしいほど眉尻を下げた。 「俺の顔ちょいちょい見てるのも、怪しい奴じゃないかって疑ってたからなんですね……割とショック」 「それは! ……悪かった。だって、ほんとに、そんなに若くて婚活のプロがいるとか、思わないから」 「言ったでしょ。プロってほど実績まだないです。まあ、椿さんよりは経験あると思うけど」  ――けいけん。  不意の生々しい響きに、胸の中の湖面が揺れる。 「母のところに相談に来るいろんな人を子供の頃から見てましたからね」  あ、そっちの、と思ってしまった自分にげんなりする。 恋愛も結婚もどうでもいいと思いながら、実はこんなに振り回されている。 そう、ほんとうになにもかもくだらないと思っているのなら、仕事だからと淡々とこなせばいいだけなのだ。 なのに、関わるだけでこんなに気疲れしてしまうのは―― 「……俺はわからない。みんなどうしてそこまでして人を好きになりたがるのか。金まで払って、時間割いて、そんな必死に」  吐き出してしまえば、そういうことだった。  地域活性に街コンを、という声が商店街から上がるのも、みんなそれをやれば人が集まるとごく自然に思っているからだ。それだけ世の中に恋愛や結婚のためなら遠方まで出てくる人間がいるということだろう。  その気力が凄い、と斜に構えながら、その実、自分のほうがおかしいのかと不安になることが正直あった。 「そこから?」と笑われるかと思いきや、晴臣はただゆっくりと体を起こした。 「それは、まだ現状ひとりで一生仕事して生きていくっていうのはなかなか難しい世の中だから、どうせ結婚しなきゃいけないなら、少しでも感じのいい人とって思うのは当然じゃないですか? もちろん経済的なことも含めてね。選べるんなら選んだほうがいいってうちの母見てると思うし。……俺はもうあんまり記憶がないんだけど」  他に客の姿もないのに、珍しく晴臣の声の調子は低くなる。 「ほんとの父は暴力とかふるう系だったらしくて。しばらくは怖いって意識も消えなかったんでしょうね。今の父と再婚する前の母ってあんまり笑顔の記憶がないんですよね。好き同士くっついたって苦労が全然ないかっていうとそうじゃないけど、減らせるものなら減らしたほうがいいし」  物憂げに記憶を探るようだったまなざしが、ふと、晴れ間に代わる。 「究極、婚活してみて、あ、やっぱひとりのほうがいいやーってわかるのだっていいと思うんですよ。別に結婚だけが唯一の正解とかじゃないんだから、そこは人それぞれでしょ。でも、やってみなきゃ、いろんな人に会ってみなきゃ、その結論すらたどりつけない。だからみんな合コン行ったり街コン行ったりするんじゃないですか」  その発想もまた、椿の中にはないものだった。 「……街コンなんて、恋愛が大好きな奴ばっかが参加するんだと思ってた」 「だったら俺や母みたいなの、そもそもいらないじゃないですか。俺だって、全然恋愛マスターなんかじゃないから、会員さんから教わることのほうが多いくらい。みんなわからないなりに一生懸命で」 晴臣はまた屈託なく笑って、ちゃぶ台のひとつひとつに置かれた小さな一輪挿しの椿の花を指先でつついた。 「わからないことに一生懸命立ち向かってる人たちだから応援したくなるんでしょ」  雨はいつの間にか小降りになっていた。晴臣がちゃぶ台に頬杖をつき「ね?」とほほ笑みかけてくる。またひとつ、知らなかった扉がどこかで開いて、風が渡っていく―― 「――!」  その風のたどり着くところに誰がいるのか見極めるのが怖くて、椿は立ち上がった。 「椿さん?」 「ちょっと、トイレ」  それだけ残して背を向ける。ぴかぴかに磨き上げられた廊下をずしずしと振り返らずに歩いた。だから見落とした。  いつの間にか庭園に佇んでいた忍者に、晴臣がぐっと親指を立ててみせるのを。  忍者もまたぬっと同じ動きを返すのを。
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