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7.海の中④
「その姿を一目見れば良かったんだ。そしたら自分が誰かなんて明かさず、すぐに帰ろうと」
かつて少年だった男は彼女に語る。
「でも、君の語り口が、姿があまりにもかつての彼女に似ていて。そんな君が村の入り口までしか案内できないと知って。気づけばこうして話してしまって」
彼は少し咳き込んだ。それでも言葉の奔流を止めない。
「彼女は村のデータを集める際、毎回村の外のホテルに宿泊していた。不便でも決して村の中で暮らすことを選ばなかった。きっと怖かったから」
彼は自らの手を、そこに刻まれた皺を、節くれだった指を見る。
「あの時、彼女より僕の年齢が上で、今のように大人だったなら、この村で彼女の居場所を守れたのかな。土と岩に飲まれる瞬間も、独りぼっちにさせなかったのかな」
そんな問いかけに、案内人は悲しげに目を伏せる。
「私は、製作者の記憶は引き継いでいません」
「良いんだ」
彼は目を閉じて、ため息のように言葉を吐いた。
「話すことができただけで満足だ、ありがとう」
ふと差し込む光に男は目を細める。見れば、山間から朝日が昇ろうとしていた。あの別れの日のように、二人の表情が照らし出される。一人は随分と年老いて、もう一人はあの日の姿のまま。
そして二人の上に、花と雪が降った。
「これは」
男はその後の言葉を続けられなかった。その光景はあまりに美しく、そして儚かったから。彼女はプログラムにこの仕掛けを密かに仕組んでいたのだろう。きっと彼が訪れる日のことを夢見て。約束を果たせるように。
花弁と雪の向こう、案内人の彼女は微笑んだ。あの日の朝と同じように。
気づけば男は彼女を抱きしめていた。子供のように涙が止まらなかった。
待っていられなくてごめんなさい、信じられなくてごめんなさいと、謝罪の言葉を繰り返す。そんな彼の為に、彼女の口は自然と里謡を紡いでいた。調子外れの音程で。
それだけは彼女を造り上げた誰かの意思であると信じて。おそらく自分は、きっとこの瞬間を待っていたのだと感じながら。
十重二十重に織りて 絹の音
積み上げる小石や 赤糸の
じゃんがらりら からからりら
花と雪でも またどうか
じゃんがらりら からからりら
水落橋で
遠く果てに祈りて 君のこと
恋しさ尽きぬ あの朝を
じゃんがらりら からからりら
会えずとも 幸福を
じゃんがらりら からからりら
水落橋で
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