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4.海馬の中②
別の日のことだ。朝日の差す水落橋の上。かつて丘で歌っていた少女は大人になり、大きな荷物を引きずって橋を渡っている。
「村を出ていくのか」
その背中に一人の若者が声をかけた。あの日、彼女に歩み寄った少年、その姿はまだかつてのあどけなさの面影が残っている。
出会ってから二人はずっと一緒にいた。川の上流へ遊びに行ったり、流れる雲に勝手な名前をつけたり、そして尾地里謡を歌ったり。しかし、そんな日も今日で終わるのだ。
「必ずまた戻ってくるから」
「俺は君にとっての、居場所になれなかったのか。俺がガキなばかりに」
声変わりしたばかりの彼の声は不安定に震えて。彼女は困ったように微笑む。
「逆だよ。君が私の居場所を作ってくれた。この村を真正面から見ることができて、好きなこともたくさん見つけたから。だから、それを残す為の勉強をしてくる。東京で」
彼は困惑する、彼女の言っていることがわからないから。
「君と初めて会った時、それはありきたりなものだったかもしれないけれど。でも私にとっては劇的なものだった。あの歌のように、冬の雪と春の花が出会ったかのように。だから、君と今度会うときもきっと劇的で、この橋が朝日に包まれながら、花と雪が同時に降るよ。あの歌のように」
彼女はそんな言葉だけを残して彼の前から去っていった。言葉の真意がわからなかった。だから、二度と会うことがない、という意味だと彼は思った。ただ茫然と。
数年後、青年となった彼も村を出ていく。彼女との思い出が残り過ぎるこの場所から。
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