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「はっきりと消えるというより、徐々に必要とされなくなっていく……というのもまた辛いものですね。真綿で首を絞めるような、というのはこういうときに使うのでしょうか」 “彼女”――いや“彼”かもしれないが、エンさんはおっとりとそう言った。  言葉の意味を考えると、聞いている僕のほうがなんだかせつなくなってくる。このインタビューは、エンさんをひどく傷つけているのかもしれない。僕はとんでもなく悪趣味なことをしているのかも。  そう思うと、考えてきたインタビューメモを意味なく手の中でもてあそぶほかなく、次の質問も口にできなくなってしまった。  窓から秋の夕暮れの光がさしこんで、エンさんをもの悲しげに照らしている。  地元の古い図書館にある、小さな休憩スペース。夏と年末年末をのぞいては閑古鳥が鳴いているこの公共施設で、古びたテーブルと椅子には僕とエンさんしかいなかった。  ケチらないで、喫茶店にでも入ったほうがよかったかもしれない。 「傲れる者も久しからず、ただ春の世の夢の如し……とは平家物語の一節でしたか。本当によく言ったものだなあと思います。赤や青や緑やオレンジ……華やかな親戚たちに、お前は古いとからかわれていたのはつい最近のことのように思うんですけどねえ」  エンさんはやはりおっとりという。  そのしみじみとした調子には哀愁のような、愛おしさのようなものこそ漂っていたけれど、恨みの響きはなかった。  喋りだけでなく、エンさんは非常にふわっとした不思議な容貌だ。光の加減できらめきの増す鉛色の瞳、濃い灰色の髪。色白だが、欧米人の白さとも違い、日本人よりも黄味が少ない。  ほっそりとした長身を包むのは美しい緑のワンピースだ。――ワンピースを着ているからには女性、と普通は判断するかもしれないが、間近にエンさんを見るとまったくわからなくなる。  性別のみならず、エンさんは年齢もよくわからない。ぱっと見、若い社会人のように見える。といっても、僕のような高校生からすれば、大学から上の人たちはみんな“若い大人”か“おじさんかおばさん”だったりする。  しかしそんなエンさんの口から、懐かしいような切ないような調子で話が語られると、なんだか祖母や祖父を前にしているような感じがするのだ。 「ああ、ごめんなさい。いまどきの高校生にこんな話をして、困っちゃいますよね。どうぞ、質問を続けてください」  黙っている僕を見て、エンさんは少し照れたように笑った。  僕は焦った。次に投げかけるべき質問はどれかと、頭の中で忙しなく探す。  頭のいいやつだと思われるような質問をしなくては。馬鹿な高校生、などと思われるのはいやだ。 「……これまでの中で、特に嬉しかったことなどはありますか」  鋭い質問などというのはすぐには思い浮かばず、無難なものになってしまった。インタビューの中ではもっともよくあるだろう、ありきたりな内容。  エンさんはそれでも穏やかに微笑んで、答えてくれた。 「個人差がありますから、一概にこれとは言えませんが……。小学生が字を書けるようになってゆく様や、絵心ある人がさらさらと美しい絵を描いてゆく様を間近に見るときは、やはり強い感動を覚える者が多かったですね」  なるほど、と僕は少し大げさなくらいうなずいた。  そしてパッドにメモしようとして、いつもの液晶画面がないことにはっとする。  エンさんの目がふと、僕の手を見た。そして、すべてわかっているとでもいうように――少しだけ悲しそうな笑みを浮かべてうなずいた。 「お気持ちはありがたいですが、無理しなくていいですよ」  どうぞ、パッドを使ってください、とエンさんは言った。  僕は、顔から火を噴きそうになった。もごもごと要領を得ない言葉を口の中で濁らせる。  いま僕が手にしているのは、いつも使っている個人用のパッドでも、それに付属しているタッチペンでもなく、昔使われてたという古い道具――緑の細長いボディに三角に尖らせた先端をもつ、“鉛筆”だった。  エンさんにインタビューするために、はじめて握ったのだ。これで紙にメモして、少しでも自分が理解のある高校生だとアピールするために。  でもエンさんにはすぐに見抜かれてしまったようだった。それもそのはずだ。  エンさんこそ、僕がいま手にしているこの不慣れな道具――“鉛筆”の擬意思(スピリット)なのだ。 「……すみません、その、不勉強で」 「構いませんよ。むしろ、いまの時代に鉛筆なんて使うほうが珍しいんです」  率直に謝るしかない僕に、エンさんは相変わらず穏やかに接してくれる。  こんなふうに寛容で配慮に満ちた反応は――とても人工の擬意思とは思えない。  僕の目は自然と、エンさんと僕の間、テーブルの上に置かれている小型の機械に吸い寄せられた。小さなドームの中に、エンさんの本体(、、)ともいえる緑の細長い筆記具が横たわっている。  端的に“リトル・ドーム”あるいは“スキャナ”と呼ばれるこれは、中に入れた物体の性質やその発明から今日にいたるまでの歴史、使用率・用途を広く計算し、一個の意思もつ擬人として立体映像に収束させる機械だった。しかも立体映像との会話のやりとりは内蔵されたAIに記録され、AIを進化させる材料になっていく。  そしてAIによって算出された擬意思はますます磨かれてゆく。  僕の目の前にいるエンさんも、一個の擬意思というよりは、これまでの誰かとかわした膨大な会話のフィードバックによる産物といえるのかもしれない。  このリトル・ドームは、もとは、ある天才工学者が別の発明の中で副産物的に生み出したものだったといわれる。画期的ではあるが、娯楽や純粋な研究という以外に用途を見出せなかったというのもあり、いまは学生の課題や卒業研究などで利用されることがほとんどだった。  ――正直、僕は、リトル・ドームを活用しろなどという課題には辟易していたし見下してもいた。そんな子供騙し、高校生がやるべきことじゃない。  でも実際、しごく投げやりに選んだ材料をこうして現出させ、会話してみると、人と対話しているのとなんら変わらないように思えた。  ――それとも、長く使われてきた“鉛筆”だから、これほど豊かな感情表現ができるのだろうか。  恥ずかしさから縮こまる僕に、エンさんはとっくにすべてを見通しているというような様子で語り始めた。 「……道具であるということは、いずれ新たな道具にとって代わられるということです。シャープペン、ボールペン……その次はデジタル。いずれ、紙に書くということさえほとんどなくなっていくかもしれません。ですが、わたしたちはただの道具。時の流れに逆らうことなどできはしません。使われなくなったら、そこで終わりです」  温厚な声だが、言葉の内容は厳しい。  僕はそろそろと目をあげてエンさんを見た。  エンさんの鉛色の目は、小さなドームの中の自分(・・)に向けられていた。 「それでもわたしは恵まれているほうです。短期間でいきなり使われなくなった道具も数多くありますから」  僕には言葉がない。  けれどエンさんの悲しいまでに落ち着いた声に、インタビューの冒頭の言葉を思い出していた。 『はっきりと消えるというより、徐々に必要とされなくなっていく……というのもまた辛いものですね』  ――なすすべなく、次第に使われなくなっていく。  それがいったいどんな気持ちであるのかなんて、想像したこともなかった。  僕たちは道具ではない。僕たちは、“使う側”の人間だ。 「……わたしたち道具は使われるためにある。善悪はわたしたちの決めるところではありません。だからこそ、人が進歩するためにわたしたちを使うのであれば本望と感じます」  僕ははっと息を飲む。 「書いて、記録して、読まれて、伝わる。わたしたちは記録、記憶に深くたずさわった道具です。過去の絶望、悔恨、喜び、未来に向けた警鐘、祈り、希望――人々の記すそれらすべてを見て来ました」  エンさんの声は静かだった。だがその奥に、深くはかりしれぬものを感じて、僕は胸を打たれた。  目の前にいる人が単なる擬意思ではなく、もっとなにか膨大な、深遠な集積体のように思えた。 「書くという行為から、文字を“打つ”時代になっていく。その次は、なんでしょうね」  ――筆記具で紙に書く時代から、デジタルの画面にキーボードで打ち込む時代へ。  僕は何も言うことができない。手に握った不慣れな鉛筆は先が尖ったまま、不慣れな紙は白紙のままだ。  エンさんが目を上げる。僕に向かって、また微笑みかける。  祖父母のような、父母のような、兄姉のような友人のような、あるいは恋人のような――一言では言い表せぬ複雑な表情で。 「記録の一端を担ったものとして、見守っていますよ。――古い道具(オールド・ツール)から、愛をこめて」
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