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母の誘《いざな》い
小学校教諭の弥生さんが、新任だった頃の話だ。
三年生の学級副担任となった弥生さん。六月になり、水泳の授業が始まった。
クラスの女子生徒である藤田さんは、その日もプールの授業は見学。担任であるベテラン教師から、健康的理由で藤田さんはプールに入れないのだと、弥生さんは聞かされていた。
プールサイドの片隅で、水遊びに興じる同級生をぼんやりと眺めている藤田さん。
と ──
「ねぇ、ちょっと」
強い口調の声掛けに弥生さんが振り向くと、フェンスの向こうに抱っこ紐で赤ちゃんを胸に抱いたひとりの女性と視線があった。
「どうしました?」
「何やってんのよ! ちゃんと全員泳がせなさいよ!」
唐突に、怒りをあらわにしてくる女性。誰かの父兄だろうか。
「えぇっと」
困った弥生さんが言葉に詰まると、
「あの子よ、あの子! どうしていつも見学させているのよ! ダメじゃない!」
藤田さんを指さした女性は、更に厳しい口調で弥生さんを責め立てる。
弥生さんはベテランに助けを求めようと、プールサイドの反対にいた担任の元へ急いだ。
「困った保護者が来ているんですけど」
「どこ?」
「あそこです」
振り向くと、女性の姿は消えていた。
「……貴女も見ちゃったか」
担任の、思わせぶりな台詞には理由があった。
藤田さんは三年前、水の事故で母親とまだ赤ちゃんだった弟を同時に亡くしていた。その現場に藤田さんもいたが、奇跡的に彼女だけは助かった。
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