プロローグ 異世界への誘い

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プロローグ 異世界への誘い

 ここは地獄だ。  別に今戦争の真っただ中にいるって言う意味じゃあねぇ。  戦争とは無縁の平和な場所だ。  戦争の無ぇ時代ってぇのはいい事なんだがな。  今の俺にとって此処は地獄みてぇなモンって意味だ。 「南部 幸次(なんぶ ゆきじ)さーん。お昼ごはんですよー!」  ふくよかなおばさんが車椅子に座る俺の目の前にご飯と  おかずの並んだトレイをドンと置く。 「……おう」  短く返事を返すが、その声を聞く事もなくおばさん―――介護職員は俺の向かいに座る白髪で乱れた髪の婆さんの前へと移動し、食事の介護を始める。  グループホーム「きずなの家」  ここが俺の家であり――――死に場所だ。  家族は遠く離れた東京に息子と娘がいる。  だが年に1~2回しか会いに来ねえ。  ちっせえ頃は「じぃじ、じぃじ」と会う度に言ってた孫もいつからか顔を見せなくなった。  まぁ、小汚ぇジジイになんざ会いたくねえよな。  向こうには向こうの生活があるしこっちも来てほしいとは思わねぇが。  …分かってるさ、今のはただの強がりだって事ぐれぇはよ。 「頂きます……」  本当は両手を合わせて言うべきなんだろうが、生憎(あいにく)と俺には右腕が無い。  だから左手だけで合掌(がっしょう)だ。  利き手は戦争で無くなった。  終戦後は片腕ってだけで随分仕事にも生活にも難儀(なんぎ)したが今この年になるまで何とかやってこれた。 「あぁー…あー…」 「ちょっと! はるさーん! 佐藤はるさぁん! 麦茶に手を入れたらこぼれ…あぁっ!」  目の前の婆さんが麦茶に手を突っ込んでこぼしてしまい、職員が慌てて(こぼ)れた麦茶をふき取る。  離れたテーブルでは大きな声を上げる婆さんに作業のように口にご飯とおかずを入れられる爺さん。  俺も…いつかは突拍子(とっぴょうし)もない行動を取ってしまうんじゃねぇか。  誰かに作業のようにメシを口に放り込まれ、自分が自分である事を忘れちまうんじゃねえかと毎日が(こえ)ぇ。  たまたま今日はしっかり出来た。  ただそれだけだ。  しかし、だ。  右を見ても左を見ても自分の事をしっかり憶えているやつなんざほんの一握りなこの環境。  ここに来たての頃、一緒に将棋(しょうぎ)を指してた…北村?北山?っつージーサンも  ここ二週間ほど見てねぇ。  自由のない、ただ生かされているだけの飼い殺しみてぇな世界。  こんな毎日ならいっその事…… (何もかんも…自分が自分である事すら忘れてしまった方が……ラクなのかも知んねぇなぁ…)  そんな事を思いながら俺は味噌汁を口に含んだ。  ――――――  昼食を終えた後、片手で車椅子を器用に動かし自室へと向かう。  始めの頃は「南部さん! 順番にお部屋に戻しますから!」  なんて言われたもんだが、なまじ頭がしっかりしてるだけに  部屋に帰る手伝いをしてもらう優先順位は低い。  戻す、って言い方も何やら物みてぇで気に食わねえしよ。  何度も無視して車椅子を操り自室に戻っているうちに  いつの間にか黙認になっちまった。  と、殺風景な廊下をこちらにとぼとぼと杖をついて歩いてくる一人の爺さん。  白髪をオールバックでビシッと決めた、細身の長身。 「……どうも」 「……どうも」  互いに言葉をそれだけ交わしてすれ違う。  東郷(とうごう) 兵衛(ひょうえ)。  それがあの爺さんの名前だ。  俺は帝国陸軍にいてあいつは海軍にいた。  最初の頃はお互いに生き延びた軍人って所でポツポツと話はしてたんだがなぁ。  ただ、何て言やあいいのか。  陸軍と海軍は仲がよろしくないんだ。  そんなこんなで今は互いに干渉せず、挨拶程度に留めてるってぇ状態だ。  後、俺は車椅子だが東郷は杖をついてゆっくりながらも自分の足で歩いている。  そういう所も何か気に食わねえ訳よ。  ――――条件が満たされました。転送を開始します――――  ん?  条件? 転送?  東郷の奴が何か言ったか?職員か?  振り返るが廊下には東郷ただ一人。  その東郷も(いぶか)しげにこちらを見ている。  パァァァ……!!  突然俺と東郷の足元に何か良く分からねえ記号が羅列(られつ)した円が浮かび上がる。 「な、何だこれは!!」  俺は車椅子を動かし光の円を避けようとする。  だが光が一層眩しくなり――――  俺の意識はそこで途切れた。
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