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オカンとオトンと雛祭り【前編】
もうすぐひな祭り。
今年は、彩りの良い可愛い手鞠寿司や、ちらし寿司を特別メニューにして出してやろうと思って色々昨日の夜から段取りしとったんや。そやから、私は何時もよりも早い時間から仕込みを始めて準備をしていた。
店には、毎年三月に入ったら三日間座敷に雛人形を飾るんやけど。
さすがに、ひな壇を出すと…やんちゃながんもが、きっとよじ登ったり、走り回ったりして…大変なことになりそうやったから、美花ちゃんたちと相談してケースに入った雛人形を飾ることにしたんよ。
朝の早くから、近所の花屋の一人娘の麻衣ちゃんが、店で毎年恒例になっている大きな桃の花の枝を店まで届けてくれて、がんもと遊んでくれていた。
「がんもも、ほんま大きくなったね。ここへ来た頃は、片手に乗る位に小さかったのに、あっという間に大きくなったよなぁ~♪」
麻衣ちゃんは、猫じゃらしを動かしながらがんもを見て感心していた。
「お客さんらが言うにはな、がんもは、女の子やから男の子ほどやんちゃやないらしいわ。そやから、割りと店に置いててもええ子にしててくれてるんよ♪」
がんもを抱き上げて、頬ずりして笑う麻衣ちゃんに…私は、温かいほうじ茶を出しながら、いつもの如くがんもの自慢話をしながら手を動かしていた。
「でもな~、なんぼ良い子言うても…猫は猫やからな。今年は、ひな壇は辞めてケース入りのお雛さんで堪忍してもらう事にしたんよ。これも、こうちゃんたちの提案でな、美花ちゃんが持って来てくれたんやで♪」
私は、麻衣ちゃんに手伝って貰いながら、ダンボールの箱の中からケースに入ったお雛さんを抱えて出して、座敷へ飾った。
「ケース入りのお雛さんも、可愛らしくて良いんちゃう?」
麻衣ちゃんは、座敷に置いたお雛さんを見ながらうんうんと頷いていた。
ほうじ茶を飲みながら、時計を見て麻衣ちゃんは慌てて立ち上がると、店の手伝いがあるからと…少し名残惜しそうにしながら帰って行った。
短大生で遊びたい盛りのはずの麻衣ちゃんは、毎日朝早くに両親と一緒に起きて店の手伝いをして講義のある日は大学へ行く。講義の無い日は母親を休ませて店の閉店時間まで手伝っているらしい。
座敷を見ると、暫く遊んでもらって疲れたがんもが座布団の上で丸くなってスヤスヤ気持ち良さそうに寝てしまっていた。
私は、がんもが寝ている間にお寿司の段取りと、店の仕込みを終わらせようと思って気合を入れ直して取り掛かっていた。
なんか、育児してた頃を思い出すわ…。娘の比奈が赤ちゃんの頃って、こんなんやったよなぁ~と、久し振りにとっくの昔に嫁いで家を出た娘の比奈のことを私は思い出していた。
本当は、お雛さんの雛って漢字を名前に使いたかったんやけど…オトンに、字画も見た目もこっちがええから言うて、押し切られて比奈になってしもた。
本人もこっちの比奈で良かったって大きくなってから、オトンに感謝していた。
比奈の誕生日は三月三日やけど、三年前に比奈の旦那の雅章さんが海外赴任することになって、比奈も付いて行ってしもたから…今年も、比奈が好きやった手作りのちらし寿司に桃の花を添えて、画像だけでもメールで送ってやろうと思ってる。
実をいうと、向こうの不妊治療が比奈の体に合っていたようで、結婚十年目でやっと私にとって初孫の絵美里を授かって、向こうで比奈はどちらの親にも頼らず無事に出産してくれた。
雅章さんの仕事が忙しいこともあって、出産してから帰国は一度もしてないから私は絵美里には、まだ会ったことがない。夏に一歳になるんやったかな? 名前はアメリカに永住することになっても良いようにと比奈が一生懸命考えて付けたと言っていた。
店の飾り棚に、比奈が送ってくれてる絵美里の写真がいっぱい飾ってあるのを見たら、きっと比奈は「ババ馬鹿やね~♪」って言うて笑うやろな~。
アカンアカン。ちょっとしんみりして来たわ…。
ほんま、歳食うと涙もろくなってしもてすぐに物思いにふけってしまうんやからアカンね。
***************
夕方になって、こうちゃんが店を開ける前に来てくれてがんもを見ててくれたから仕込みも段取り良く進んで開店時間までに間に合った。
店の戸を勢い良く開けて、一番に帰って来たのは美花ちゃんやった。
「ただいま~。お腹すいたー!」
「おかえり~今日も一日お疲れさん。美花ちゃんが、持って来てくれたお雛さん飾ってあるから見てや!」
私は、美花ちゃんにお雛さんを飾ったことを伝えてから、おしぼりを用意して生ビールをジョッキに注いで座敷へ運んだ。
「大きいお雛さんもええけど、小さいのもなかなか可愛いくてええ感じやね!」
美花ちゃんは、座敷に飾ったお雛さんを見て満足そうに笑っていた。
お雛さんを飾ることを事前に話していたので、和美ちゃんや麻由美ちゃんに桜絵ちゃんも真っ直ぐ店へ帰って来て、座敷に皆で座ってちょっとした女子会みたいになっていた。和美ちゃんが混ざるんは、ちょっと早いかもしれへんけどね。
その後で、麻衣ちゃんが来て更に女子会が盛り上がっていた所に、宗ちゃんや拓海ちゃんに家に帰っていたこうちゃんも帰って来て、自然と空気を読んだ男性陣はカウンターから大人しく盛り上がっている女性陣を遠巻きに呑み始めた。
「こうちゃんらは空気を読める男なんやなぁ~♪」
私は、感心して男性陣に…これはサービスやでと言って、中皿に盛りつけた塩麹に一晩漬けてキャノーラ油であげた鶏の唐揚げを出してやった。
女性陣には雛祭りやからと夜定食の値段(750円)で、特別にちらし寿司と手鞠寿司と鶏の唐揚げとお吸い物と茶碗蒸しとデザートにイチゴのシャーベットも大サービスで出してやった。
「これ! 『オカンの店ひな祭り特別定食』ってメニューでイケるで! 値段千円でも注文する思うわ!」
しっかり者の麻由美ちゃんは、特別メニューを食べながら冷静に私にアドバイスしてくれていた。
別に今のままでも十分儲けは出てるからそのままでええんやで~と私が、笑ったらこうちゃんと宗ちゃんが顔を見合わせて驚いていた。
「これで儲かってるって笑うねんから、オカンはほんま凄いわ!」
「欲出したら福の神さんに嫌われる。この位が丁度ええんや!」
店の裏口の方から聞き覚えのある声がして、皆はちょっとびっくりして一斉に黙って注目していた。
よく見ると、滅多に顔を出さない私の亭主が裏口の戸を開けて入って来ていた。
「なんやぁ~オトンやん♪ 何で裏から入ってくるねん! びっくりしたわ~もう~!」
こうちゃんが、ケラケラ笑って自分の横にオトンを座らせた。
「驚かしたろて思ってたからに決まってるやろ? そやんな? オトン!」
「ちゃうちゃう! 客で店がいっぱいやったらアカンなぁ~って思うから、そうっとワシは裏から入ったんや」
オトンはそない言うてちょっと照れ臭そうに笑っていた。
「それとや、比奈が明後日の三日の昼頃に一旦帰国するて電話して来たから急いで伝えに来たんやで!」
「あっ、スマホ! 持って出るん忘れてた? しかも、忘れてる事に気付かんかった。ほんま、うちはアホやなぁ~」
オトンに私のスマホを差し出されて、驚いて自分で自分を笑ったら、オトンに頭を小突かれてしまった。
オトンが比奈から聞いた話では、雅章さんだけ昨日から仕事の関係で日本へ帰国していて、仕事の都合でしばらくこっちに滞在することが決まったらしい。
仕事の都合でこうなった訳やから、比奈にも会社がチケットを取ってくれて一時帰国出来ることになったらしい。比奈は倹約家なのでそうでもなければ帰国なんて絶対しないしね。
「比奈ちゃん帰ってくるんや~♪ 孫にも会えるやん。良かったな~」
こうちゃんも麻由美ちゃんも麻衣ちゃんも拓海ちゃんも、比奈のことは知ってるから一緒に喜んでくれていた。
「みんなで明後日は、比奈ちゃんの誕生日と絵美里ちゃんとの初の対面を、盛大にお祝いしよう~♪」
こうちゃんは、座敷で皆を集めて急に決まったイベントの役割分担を始めていた。
私も、久し振りに自分の娘と孫娘に料理の腕を震えるんやから、奮発して美味しいもん作ってやらなアカンなぁ~と私も少しワクワクしていた。
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