5.最期の忠告

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「続いてますね……」 「あ! 本当だ」  倉下さんの感想に、私も感嘆の声を上げる。『尚親』の名前の下には、ずらずらと上地家当主の名前が続いていた。それは尚親の死を夢で見た私にとって、とても意外な事実だった。  尚親の死の間際、上地家の未来を託せたのは従姉(いとこ)雲珠姫(うずひめ)こと『蓮之法師(れんのほうし)』と、尚親の幼い息子である『小虎丸(ことらまる)』だけだった。続いて欲しいとは思っていたものの、どこかでそれは奇跡にすがるようなものだとも思っていたのだ。  家系図には尚親の後に何代も名前が続き、最後には『尚則』という名前で終わっている。 「この上地尚則(かみぢひさのり)さんはご健在で、この家系図も尚則さんの所有物をコピーさせて頂いた物です」  そう言って柴山さんは、更に二つの画像を見せた。一つは黒い手帳のようなものが写っており、手帳から紙が蛇腹のように広がっていて、そこに手描きで歴代の上地家当主の名が書かれていた。どうやらこれが家系図の原本のようだ。これをデータ化したものが、プロジェクターに映し出された物なのだろう。  もう一つの画像は、柴山さんと見知らぬ中年男性が一緒に写った記念写真のようだった。 「私の隣に写っているのが、上地尚則さんです。一緒に一枚、写真を撮らせて頂きました」 「子孫が……いたんですね」  しみじみと呟いた倉下さんの声は震えていた。見れば目頭を指でつねっている。通孝の心境からすれば、本人に頼まれたとは言え上地家当主の首を側近である自分が斬ってしまったのだから、未だに上地家の子孫が生存しているという事実は、感慨深いのだろう。 「そしてこれが尚則さんの話です」  柴山さんがマウスをカチッとクリックすると、応接セットを囲むように置かれた細長い柱状のスピーカーから、音声が聞こえてきた。尚則氏との会話を録音したもののようだ。  話の内容を要約すると、尚則氏は現在愛知県東部に住んでおり、代々農業を営んでいるらしい。先祖の話はあまり詳しく知らないが、聞いた話によるとその昔上地家は国人領主だったと。しかし武家としての家名は江戸時代に入る頃には既に終わっていて、上地家はただの農民として暮らしてきたという。  ただ、上地家が今でも続いているのは、徳川家――徳川家康公のおかげだと口伝えられている、と。それだけは、子孫である尚則氏にも確実に伝わっていた。  音声再生が終わると、私を含めた四人は何も発さず、室内は暫く静まり返っていた。
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