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「五月蠅くて敵いませぬな」
評定を終えて控えの間に戻ってくるなり、男はボソリとぼやいた。眉間に皺を寄せ、ハの字に据え広がった髭を更に反り返しながら、神経質そうに貧乏揺すりまでしている。
「まぁそう申すな小沼。あれが加野の使命じゃ」
「そうは言いますが尚満様。あやつ、二言目には『今川様は~』『今川様は~』と、義元公の威光を笠に着おって目障り極まりない。一度ここは上地だとわからせてやろうか……」
「物騒な事を申すな。加野にここが上地だとわからせたが最後、ここが今川領だと思い知らされるだけぞ」
「……」
くっと下唇を噛みながら、小沼と呼ばれる男――小沼盛則は胡坐をかいた足をさらに小刻みに揺らした。それを上座の上地尚満が、溜息を吐きつつ脇息にもたれながら見守る。
上地家は、遠江国で小さいながらもこの上地谷を代々統治してきた豪族だ。その歴史は古い。しかし、隣国である駿河国の守護としてやってきた今川家との因縁もまた長きに渡る。義元公が当主となった今でこそ強大な力を誇る今川家であったが、ずっと盤石だったかと言えばそうではない。
朝廷が南北に二分されていた頃、勝者側の朝廷に付いていた今川家は、遠江国を支配下に置く事が出来たが、義元の父親である氏親の死により起こった家督争いの機に乗じ、遠江国のいくつかの家は一度、今川から離反している。その中に上地家もあった。
しかし後継者が義元となり、再び遠江国は今川家の支配下に置かれる。そしてその頃、今川家の目付け役としてやってきたのが加野家であった。今川家は、一度離反した上地家を信用していない。
小沼の言い分も理解できる。代々この上地家に仕えてきた譜代の家臣である小沼家、その当主盛則にとって、新参者の加野家が自分と同じく上地家内で発言力を持つ家老に収まっているのは、面白く無いのだろう。
「尚盛様も尚盛様じゃ! あれでは加野の言いなりではないか!? やはり上地の当主は尚満様の方が相応しいのでは……」
「盛則!!」
滅多に感情の起伏を見せない主が声を荒げたことにより、小沼は「出過ぎた真似を……」と恐縮しながら平伏した。小沼の言う「尚盛様」とは、尚満の実兄であり、上地家現当主である。
その当主は、今川の目付けである加野家の人間を重宝していた。そのせいで上地家譜代の家臣の中で一番力を持つ小沼が、当主の尚盛にではなく弟の尚満の傍に居るのは当然の流れだろう。その重宝ぶりも加野が目に余る理由の一つと感じ、これ以上小沼を責める気にはなれなかった。
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