お星さまになったママ

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お星さまになったママ

私は、尾崎鈴子と申します。 家族は、息子と嫁の夫婦と 孫が二人います。 息子と嫁の夫婦とは、 家が隣でスープが冷めない 距離で暮らしています。 息子の正也と嫁の夏美は、 とても仲が良く子供も 娘を二人もうけて、 とても幸せでした。 ところがある日、 夏美さんの熱が下がらず、 おかしいと思った正也が、 救急車を呼んで 病院に連れて行きました。 そして、発熱の原因は風邪ではなく、 ガンであると診断されたのです。 夏美さんは、白血病に かかっていたのです。 病気になるまで、学校で 学級部長を引き受けるなどして 頑張っていた嫁が病気になるなんて、 神様は、なんて不幸なことを 与えたのだろうかと思いました。 この時、孫のひとみは小学二年生。 そして、妹のありさは 幼稚園の年長でした。 この子たちが、大きくなるまでの 姿を見られないなんて、 夏美さんがかわいそうだと思いました。 「ママは、元気になるよね」 「ありさ、ママは大丈夫だよ。 風邪が治ったら、元気になるよ」 二人の孫たちの会話を聞いて、 正也は子供たちに、 本当の病名を告げるのは 酷だと思いました。 私だって、同じです。 こんな残酷なことは、言えません。 息子と相談して、子供たちには 病名を伏せることに決めました。 「お義母さん、すみません」 「いいのよ、夏美さん。 あなた、疲れているだけだから 養生してちょうだい。 あなたが元気になるまで、 子供たちは私が預かりますから」 「よろしくお願いします」 それからは、毎日の生活が 一転しました。 夏美さんのいないことで 下の孫のありさは、 「ママのところに行きたい!」 「幼稚園に行かない!」 と毎朝泣いていました。 それを見て、上の孫のひとみが、 一生懸命ありさをなだめていました。 そして、私も夏美さんの代わりに、 ひとみの授業参観に行くようになりました。 そして、毎日の料理もそうでした。 孫たちの「ママのご飯が食べたい!」 と言う言葉に息子は、 インターネットで子供が好きになる 料理のレシピを何枚も出してきました。 すると、どうでしょう。 「おばあちゃん、おいしいよ」 とうれしい言葉が返ってきました。 「ママのご飯と一緒だ」 「ごちそうさまでした」 今日のご飯は野菜料理でしたが、 野菜の苦手な孫たちが、 野菜を残さずに食べてくれて、 本当によかったです。 「母さん、疲れただろう? あとは、オレがやるから 先に休んでいいよ」 「ありがとう、正也。 母さんなら、平気だよ。 この子たちが、元気に 過ごしてくれたら十分だからね。 おまえも、体壊さないでおくれよ」 「今日、会社の帰りに 夏美のところに行ったんだ。 夏美の余命は、半年を持つか 持たないかと言われたよ」 「それじゃ、覚悟を決めないと いけないのかい?」 「そういうことになる。 子供たちには、悲しいことだが…」 「かわいそうに。 これから、子供たちの成長を 見ていくんだって頑張っていたのに、 どうしてガンになったんだろうね。 子供たちを、夏美さんの代わりに 守っていくことになるんだね。 これも、運命だと思って 受け止めていくよ」 「母さん、夏美のことで心配かけて すまないと思っているよ。 いつかは、死んでいく運命だと 思っていたけど、 こんなに、早くに来るとは 思わなかったよ」 「もう、自分を思いつめるのは よしなよ。残された者はつらいけど、 生きていかなきゃいけないんだよ。 悔しいね、元気だった夏美さんを 返してって神様に言いたいよ」 あとは、言葉になりませんでした。 夏美さんが、いなくなる。 まだ、若いのにガンは 年齢を選ばないのですね。 子供たちの成長を、 これから見ていくんだって 楽しみにしていたのに…。 そう思うと私は、涙があふれて 止まりませんでした。 これが運命だとわかっていても、 悲しい現実を受け入れないと いけないつらさは、苦しいものです。 一番つらいのは、正也でしょう。 学生時代からの交際で 結婚をした夫婦ですから、 夏美さんへの思いは、 一番強いはずです。 私には、わかっています。 最近、お酒の量が増えている ことで、悲しみを紛らそうと していることを…。 「正也、つらいなら つらいって言っていいからね。 おまえのつらさは、 母さんが一番わかっているからね。 遠慮をしなくていいからね」 「ありがとう、母さん。 子供たちのためにも、 泣き言は言えないよ。 オレが、しっかりしないと 子供たちが心配するからな」 「そうだね、夏美さんが 元気な間に家族の思い出を、 たくさんつくっておやりよ。 夏美さんの一時退院の日があるだろう? その日に子供たちに、 ママの思い出を たくさんつくっておやりよ」 「そうだな、母さん。 明日にでも、夏美の病院に行って、 先生に相談してみるよ」 「いい返事が来ることを祈っているよ」 そして、夏美さんは 一時退院が認められて、 久しぶりに我が家に戻ってきました。 孫たちは、ママが帰ってきたと 大喜びしていました。 下の孫のありさは夏美さんに甘えて、 「ママ、どこにも行かないで」 と言っていました。 「ひとみは、お姉ちゃんになったわね。 ありさの面倒見てくれてありがとう」 と夏美さんが言うとひとみは、 「だって私、お姉ちゃんだもん」 としっかりした口調で言いました。 それからは、家族で たくさんの思い出をつくっていきました。 桜の咲く頃には、お弁当をつくって 家族でお花見に出かけたり、 遊園地に出かけたり、 夏には花火を見に行き、 秋には梨狩りにも出かけました。 こうして季節が冬になるころ、 家族の写真はアルバムにおさまりました。 やがて冬が来て、 お正月を迎えようとしていました。 このころから、夏美さんは 体調を崩してしまい再入院しました。 「ママ、早く元気になってね」 「ありがとう」 ところが、この言葉が夏美さんの 最後の言葉になってしまいました。 この時に容体が、 急変してしまったのです。 夏美さんは、苦しい息のなかで 私に言いました。 「お義母さん、お世話になりました。 子供たちを、お願いします」 「わかったわ。 安心してちょうだい、夏美さん」 あとは、言葉になりませんでした。 「ひとみ、ありさ、ママにさよならを…」 私は、部屋の外にいる孫たちを呼んで 病室に入れました。 「ひとみ、ありさ、いい子でね」 そう言って、夏美さんは 静かに息を引き取りました。 「ママ、どうしたの?寝ちゃったの?」 母親の死を受け止められない孫たちは、 戸惑いを隠せませんでした。 「ママは、天国に行ったんだよ。 お星さまになったんだよ」 「お星さまになったの?」 「そうだよ。これからママと 話をしたい時は、お空を見よう。 お空に、ママがいるからね」 正也は、夏美さんの死を 受け止めるのがやっとでした。 子供たちに涙を見せまいと、 ずっとこらえていました。 そして夏美さんは、 お化粧をしてもらって、 安らかな顔をして眠っていました。 私は、ひとみの担任の津島先生と 学級部長を代行していた 江口裕子さんに連絡を取り、 夏美さんが亡くなったことを知らせました。 江口さんは、夏美さんの親友でした。 私の連絡に、江口さんは 言葉を失っていました。 「病気だと知っていたけど、 元気になると思っていました。 お葬式には、私が行きます。 夏美さんに、ちゃんと さよならをしたいから」 と言ってくれました。 思えば、江口さんは 夏美さんが病気になってから、 学級部長を代行してくれて 頼もしい存在でした。 夏美さんが入院中毎日顔を出して、 お見舞いに来てくれました。 お見舞いに来てくれた時に、 ひとみの学校の様子を話してくれました。 「ありさちゃんは、 優香と同い年だからね。 来年は、同じ小学校に入学だね」 「そうね、ありさがランドセルを 背負うことになるのね。 それまで、元気にならなくちゃね」 「そうよ、早く良くなって 入学式に出てあげなくちゃダメよ」 今でも、思い出します。 夏美さんの声が、聞こえてきそうです。 夏美さん、生きて帰れるなら 子供たちのところに帰ってきてちょうだい。 あなたも、つらかったでしょうね。 子供たちを置いて、 この世を去っていくことを…。 それからまもなくして、夏美さんは 我が家へ無言の帰宅をしました。 夏美さんは30代の若さで、 この世を去っていきました。 子供たちの成長を見ることなく、 つらいさよならになってしまいました。
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