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しかし、ヤマネが今にも口を開こうとしたところで、帽子屋が言った。
「フンッ。後にするんだな。HUGからHOG(豚)、HOE(鍬)、HOB(害悪)、で、私の手番は終了だ」
ヤマネは軽く肩をすくめて笑った。
「あははっ! 残念だったね、チャーリー。また後でね」
彼はそう言ってすぐ、何かを思い付いて続けた。
「そうだッ! あんたが考えてる間にだって、お話しはできるじゃん! あはッ! じゃあチャーリー、しっかり『集中して』聞くんだぞ? 時々こっちから質問もするから!」
野ウサギは顔をしかめて言う。
「それは流石にっ……。二人には、勝負の方に集中してもらった方が……」
すると帽子屋は、歪んだ笑みを浮かべて言った。
「そうだな。野ウサギの言う通りだ。勝負には集中せねばならない。……よって、私の手番の時はヤマネが話し、ドッドソンの番の間は……、ドッドソンにドッドソンの話をさせる事にしよう!」
ルイスと野ウサギはその表情を固まらせ、一方ヤマネは破顔して大声を上げた。
「あはははッ! こりゃいいや! さあチャーリー! お話してッ! そうだよ、まだ出身地の事しか教えてもらってないんだから!」
ルイス・キャロルは苦笑いをしながら、帽子屋に言う。
「これはこれは……。私の話をするのは、勝負が終わった後のはずでは?」
すると、帽子屋はルイスの髪を引っ掴み、彼の頭を乱暴に揺すりながら言った。
「フハハハハ! ドッドソン! ちゃんと聞いていたのか? それとも忘れたのか? 私はこう言ったはずだぞ? 包み隠さず喋るのは、『勝敗に拘らずやってもらう』と! 勝負の最中は勝敗が決していないのだから、無論これに該当する! もっとも――、このターンは残り五秒。解答を優先して構わぬがな! フハハハハ!」
野ウサギは密かに歯ぎしりをした。掴まれたままのルイス・キャロルは顔をしかめて鼻から大きく息をつくと、声を落として言った。
「……HOBからCOB(トウモロコシの軸)、CUB(ライオンなどの子供)、CUE(合図)、で手番終了。私の職業は数学講師、副業で作家も。……これでよろしいですか、とりあえずは……!」
「フハッ! 良かろう!」
帽子屋はルイスから手を離してそう言うと、ヤマネの方を見て言った。
「では私の番だ。お前たちはこの男に、あの方の比類なき素晴らしさについて、余す所なく語って聞かせるがいい」
「あはッ! じゃあ、そうだなあ……」と、ヤマネは考えながら喋り始めた。「チャーリーも知ってると思うけど、元々この国はハートの王と女王が治めててね。治めてたって言っても、実際は舞踏会だのコンサートだの、お茶会だのクロケー大会だのをしょっちゅう開いたり、無駄な裁判を延々やったりして、その度ごとに女王が、『首を刎ねよ!』って喚いてただけなのさ。二人ともいっつも偉そうにしてさ! 下々の生活は楽じゃないのに、奴らは毎日、湯水のように金を使ってた。帽子屋なんか、自分で作った帽子も買えなかったんだぞ?」
ルイス・キャロルは両眉をぴくりと上げて、帽子屋の方を見上げた。帽子屋は今度もまた考えながらルイスの椅子の周りをゆっくり歩いていたが、ここで足を止めると、不快を露わにして言った。
「余計な事は喋るな。CUEからDUE(当然支払われるべき)、DOE(雌鹿)、DYE(染料)。交代だぞ、イングランドの数学講師兼作家のドッドソン?」
帽子屋がルイス・キャロルを睨む。
「そんなお前が、なぜこの国に来た? カジノの噂を聞いて、荒稼ぎしに来たのか?」
「いえいえ、とんでもない!」ルイス・キャロルは笑って言い放った。「お金のためなんかじゃありませんよ。私がカジノ相手に勝負してきたのは、カジノを潰す事そのものが目的です。この不思議の国にカジノなんて、ない方がいいと思いましたので」
帽子屋は顔を引きつらせて言う。
「よそ者のお前が、他国の娯楽を気に入らないという、それだけの理由でわざわざやってきたと言うのか?」
「あんた、どれだけ傲慢でイカレてるんだ!」
ヤマネも声を上げた。しかしルイスは笑いながら言った。
「あっ、いえいえ。ここへ来るまでは、カジノの存在なんて、全く知りませんでしたよ? 本当に、私は『想像さえ』してませんでした」
「ではなぜ……!」
帽子屋が言い終わるのを待たず、ルイスは言った。
「フフッ、続きはまた次回ですね。そろそろ時間でしょう? DYEからLYE(灰汁)、LIE(嘘)、LIT(light過去形)で、交代です」
帽子屋は苦い顔をすると、再び歩きながら考え始めた。野ウサギは大きく息をつく。
……この青年は、喋りながらでも全く危なげなくゲームをこなせている……。むしろ振り回されかけているのは帽子屋の方だ。が……、僕の方はその間、何一つできないでいるままだ……。帽子屋とヤマネを後ろから殴り倒す? 紅茶に睡眠薬でも入れて飲ませる? できるわけがない……。せめて、この部屋から外に出て、更に……。いいやっ、そんな事は不可能だ……!
一方で、ヤマネは先程の話の続きを思い出して、再び喋り始めた。
「そうそう、そんな感じで、いつから始まったかも分からない、王侯貴族中心の体制の下で、おいらたちは慣れ切って暮らしてた。けど、何年前だったか、何ヶ月前だったか……、あの人がこの国の都に、ふらりと現れたのさ。そうッ、後のスペードの女王様だ!」
ルイス・キャロルはヤマネをじっと見つめて、黙ったまま耳を傾けている。ヤマネは続けた。
「あの人は喪服のような黒いローブと黒いベールの姿で、おいらたちみたいな庶民が集まってる所にやってきては、この国の事や庶民の暮らし向きについて、いろいろ尋ねてた。明らかによそ者だったからね、おいらたちも初めはからかったりしてたさ。けど、そのうち一緒にお茶を飲んだり、下らないお喋りをするようにもなった。日頃の愚痴なんかも聞いてもらったりしてね。そんなある時、あの人はおいらたちに、こう言ったんだ――」
「その続きは後だ」ここで帽子屋が言った。「LITからLOT(クジ/沢山)、LOG(丸太/航海日誌)、LOB(テニスのロブ)だ」
ルイス・キャロルは笑って言った。
「これはこれは、いい所で……! されども、ルールはルールです。では私の番……。私はカジノの事は知りませんでしたが……、この国が、かつてあった姿を失ってしまった、という事は、知り合いから聞いていましてね。それを自分の目で確かめるため、私はワンダーランドにやってきて、そこで件の忌まわしきカジノを目の当たりにしたというわけです」
「答えになっていないな、ドッドソン」帽子屋が言った。「なぜわざわざこの国まで来た? ルポライターというわけではなかろう! なぜ他国のカジノに、そこまで執念を燃やす! 紳士に相応しい分別はないのか? それともお前は、完全にイカレてるのかッ?」
するとルイス・キャロルは息をついた後、うつむき気味で、哀しげに答えた。
「……この国は私の親しい少女の、それは大切な思い出の地なのです……。その子は今、不幸にも心を病んでしまっている。私にはそれが、この国の変化と無関係とは……」
と、ここで彼はにわかに顔を上げた。
「おっと、LOBからJOB(仕事)、JOG(揺する)、JUG(水差し)! 危ない危ない……!」
帽子屋は歯ぎしりをしたが、ルイスは気にせず、ヤマネに向かって言った。
「ではでは帽子屋さんには単語の方を考えていただいて、ヤマネさん、続きの、スペードの女王の言葉というのをお願いします」
ヤマネはちょっと頭をひねった後、わざとらしく咳ばらいをして、次のように言ったのである――。
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