4.愛という名のちょっとした狂気

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 帽子屋、ヤマネ、野ウサギの三人は、唖然として固まった。一方で、ルイス・キャロルは一呼吸つくと、より真剣な表情になって更に言った。 「……以上が、語るべき物語の全てです。お分かりいただけましたでしょうか。一人の少女の魂と、一つの国の営みが、分かち難く繋がっている事を……。そしてまた、この私が、命を賭けてこの国の腐敗を取り除こうとする訳を……!」 「嘘だッ……!」ヤマネが嘲りを浮かべて叫んだ。「馬鹿馬鹿しいッ! 信じるもんかッ! そんならあんたは、自分がこの世界の神様だって言うのかッ?」  するとルイスは微笑みながら肩をちょっとすくめて、こう言った。 「いえいえ、神だなんて、とんでもない……! 私はここの、青写真を描いただけ……。あえて申せば、神様は三姉妹の次女、アリスです。あなたたちも憶えているでしょう? あなたたちのお茶会や、ハートのジャックの裁判に、ふらりと現れ、忽然と消えた、あの少女……。彼女こそが、私の他愛無いお喋りを、一つの世界として存在たらしめたのです」  ヤマネは若干の戸惑いを見せながらも、鼻でルイスの話を笑った。一方で、帽子屋は声を震わせて言う。 「……確かに年寄り共の一部には、この世界は神が、『お喋り』によって創り上げたと信じる者がいる……。そしてまた一方で、それとは異なる女神の伝説も存在する……」  野ウサギは興奮気味に言う。 「そうだ……! お喋りなら、話をしている『相手』がいるはずっ……! つまりこの世界は、複数の神……、男と女の神が創り上げた……! その相手こそ、『涙の池伝説』などの女神……! そしてそれが、あのっ、不思議な少女、アリス……! ならっ、やっぱりこの人は……! この青年っ……、チャールズ・ラトウィッジ――」 「ウッ……!」  ここで帽子屋は、呻き声を上げた。ヤマネたちが訝るが、帽子屋は虚空を見つめたまま、声を漏らすようにして言った。 「チャールズ・ラトウィッジ……。ラトウィッジ、チャールズ……。ラトウィッジはルドヴィクや、『ルイス』と同じルーツの名前……。チャールズはドイツ語形ならカール……、そこから派生したもう一つの英語形が、『キャロル』……!」  帽子屋は椅子の斜め後ろの位置で立ち尽くして、そこに掛ける青年の後ろ姿を、目を見張って見つめた。 「……チャールズ・ラトウィッジ・ドッドソンッ……! お前は本当に、この世界の神、『ルイス・キャロル』だと言うのかっ……?」  野ウサギも、目を見開いて青年を見ていた。ヤマネも今や動揺して、声を漏らすように言った。 「……神……! まさかっ、ひょっとして……、女王様はそれが分かってて……!」  チャールズ・ラトウィッジ・ドッドソン、即ちルイス・キャロルは、ここでゆっくりと帽子屋の方を向くと、いたずらっぽく笑って言った。 「フフッ! ですから何度も申し上げてますが、私はしがない数学講師で、デビューしたばかりの副業作家です。少しばかりこの国に思い入れの強い、ね」  帽子屋たちは息を呑む。一方、ルイス・キャロルは平然として続けた。 「ところで帽子屋さん? ゲームの方を続けませんか? 単語はALEからですよ? どうやら私が話に夢中にさせてしまったようですので、カウントは今からで構いませんが……」  けれども、帽子屋は窓際まで下がって、歯を食い縛りながら苦しそうにルイスを睨みつけるのみで、返事をしない。しかしここで、ヤマネが声を荒らげてルイスに言った。 「神様だってっ? あんたとっ、あのアリスが神様だってっ? いいやッ! おいらは認めないッ! あんたたちはこの世界をっ、不正と不合理で一杯のまま放っぽり出したんだッ! 神って言うなら、スペードの女王様こそが、おいらたちみんなの女神様さッ! あの人のお陰で、ようやくこの世界はあるべき姿に辿り着いた! それをあんたは、今更出しゃばって後戻りさせようとしやがってッ……!」 「……スペードの女王こそ、女神……」  ヤマネの方に向き直っていたルイス・キャロルは、目を見開いてそう呟いた。しかし間もなく彼は澄まし顔に戻ると、ヤマネの顔をじっと見据えて言った。 「失礼ですが……、騙されてますよ」 「何だってッ?」  ヤマネは椅子から立ち上がって怒鳴り声を上げた。しかしルイスは動じず、ヤマネに真剣な表情を向けて言う。 「あなたたちは、スペードの女王に騙されています。煽られたと言ってしかるべきでしょう。……私だって皆さんに楽しく過ごしてもらいたいし、王侯貴族を揶揄したい気持ちもあります。けれども元々、どんな世界も不合理で、不合理こそが世界なのです……! あるべき理想の世界とやらを語り、実現できないのはそれを妨げる『悪』がいるからだとして大衆を煽動するのは、太古の昔から、革命家の常套手段! 現実の複雑さを捻じ曲げ、人々の最も暗く鬱屈した部分、即ち嫉妬や恨み辛みを増幅し、顕在化させる……。そうしてそれまで少しずつ積み重ねられてきたものを、瞬く間に破壊し失わしめるのですッ!」  ドムッ! 「ガッ……!」  帽子屋がルイスの前に身を翻したかと思うや否や、彼の腹に強烈な拳を突き立てた。帽子屋は椅子の背を掴んだまま、続けて悶絶しているルイスの顔を横から殴りつける。 「ウグッ……!」  先程から立ったままだった野ウサギが、慌てて帽子屋を止めに入る。 「おいっ、待てっ! 落ち着けよっ! 殺すつもりかっ?」  野ウサギはそう言ったが、帽子屋はまさに目に殺気をたたえて野ウサギを睨み、怒鳴りつけた。 「ああそうさッ! 殺してやるッ! こいつの口から出る事は全て出鱈目の妄想! こいつはあの方の事を、何も分かっていない! あの方は哀れな我々を救うためにッ! そのためだけに我々を導いてくださったというのに……!」 「そうだそうだッ!」ヤマネも怒りを顕わにして言う。「あの人は元々この国の人じゃないんだ! あの人はただッ、おいらたちのために! おいらたちへの愛のために! おいらたちの目を醒ましてくれたんだッ!」  野ウサギは恐怖に震えながらも、必死で頭を巡らせて、帽子屋に言った。 「……けどっ……、ゲームがまだ、終わってないだろうっ……? 君の番のまま、今こいつを殺しちまったら、君の……、負けって事に、なっちまう……。例の件は済んだし、今の二発で、こいつはふらふら。君の勝ちはもう、すぐそこだ。せっかくだから、きちんと勝ちを収めてから、予定通り拷問でも、またはどうしてもやりたきゃ、嬲り殺しにでもすればいいさ。なんだかんだ言っても、君なら上手く、処理できそうだしな。……だろ?」  帽子屋は歯と目を剥いて野ウサギを睨んでいたが、やがてもう一撃ルイスにボディーブローを食らわせると、一歩下がって低い声で言った。 「フンッ! ……確かに、お前の言う通りだ。殺すのはすぐできる。例え、神だろうとな。しかしあの方に捧げる勝利は、こいつが生きている間しか手に入らない。……私の解答も既にある。ALEからALL(全て)、AIL(苦しめる)、AIT(小島)だッ!」  野ウサギは心の中で胸を撫で下ろすと、苦痛に喘ぐルイス・キャロルに覆いかぶさるようにして、彼の顔を叩きながら言った。 「ほら、君の番だぞッ! 余計な事ばっかり喋るからそうなるんだ。そのぼろぼろの頭で、勝てるもんなら勝ってみなッ!」  するとルイス・キャロルは、苦笑いをしながら言った。 「……えーっと……、ゴールワードは、MANでしたっけ……?」  帽子屋は腕組みしながら、鼻で笑う。ヤマネも笑って言った。 「あはッ! もしかしたら、違うかもねッ! ちなみに制限時間は三十秒くらいだよッ!」  ルイスはここで、小さく笑って言った。 「フッ……。なるほど……。それでは少々、急ぐ事にしましょうか。AITという語を一文字変えて……」
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