0人が本棚に入れています
本棚に追加
遠くへ行きたい
リュックの中には、ビスケットの袋と懐中電灯と地図。あと、なにがいるんだろう。遠くへ行く。そう思って大切なものを入れたリュック。背負って玄関のドアを開けると、お月様と出会った。
どこまで行けるだろう。暗闇を突き進む。いつもは車で行くスーパーまで。一人でどこまで行けるだろう。着いたら次は駅まで。足が疲れても。道が分からなくても。真っ直ぐ。進まなきゃ。一人で行かなきゃ。僕は一人で遠くへ行くって決めたんだから。強くなるんだ。決めたんだから。
前から灯りがやって来る。車が僕の横に止まった。僕が歩みを止めると、車の窓が開いて、お姉さんが顔をのぞかせる。
「ねぇ少年、どこに行くの」
「遠くへ行く」
お姉さんが車の後ろの席を指差す。僕は頷いて後ろのドアを開けて車に乗り込む。
「ありがとう」
「ねぇ」
運転しながら、お姉さんが僕をちらっと見る。声が震えているみたいだ。
「遠くには行けないよ」
「行けるよ」
「一人でどうやって。行けないよ」
「僕、一人で歩いて行く。強いから行けるよ」
車のドアを開けると、風が強く吹き込んできた。落ちそうになる。
「危ない閉めて!」
お姉さんの声が大きくなった。震えた消えそうな声で言う。
「私は強くないから行けない」
「強くなろうよ」
お姉さんはそれから喋らなかった。カチッと音がして、右のライトが光った。車は右へ曲がっていく。
しばらく乗っていると、いつも見ている道に出た。目の前に僕の家がある。お姉さんは車を止めて、僕が乗っている側のドアを開けて、僕を降ろした。車はすぐ走り出してしまう。家の前にいたお母さんが走ってきて僕を抱きしめる。お父さんが震えた声で僕の名前を呼ぶ。隣に心配そうな顔の妹がいる。
お姉さんに騙された。そう思いながら、お母さんの腕の中の温かさを感じた。
車の運転は苦手だ。時間をかけて自宅の駐車場に入れる。家の中にいたお父さんが車の灯りを見て出てきた。車から降りると頭を小突かれた。何やってるんだ。が何もなかったか、に変わっていく。
今は遠くに行けない。でも絶対、自分の足で歩いて遠くに行く。私達はそれができる。
最初のコメントを投稿しよう!