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「行かない?」
すっと母さんが立ちあがる。
「行くって…どこに…」
「あんたのお父さんのお墓参り」
「え」
そんなに近いの? 俺は母さんにつられるように立ちあがって、あとについて行った。母さんはのどかな街並みをゆっくり歩く。平地に畑が広がって、遠くに山が連なって――初めて来た場所なのに、なんだか懐かしい。
20分程歩いたところで、よくある公園墓地が見えてきた。バケツと柄杓を借りて、整備された園内を母さんにくっついて歩く。
まだ新しめの墓が多い。つーか墓参りなんてほとんどしたことない、俺。兄さんの母さんの法事はあったけど、俺はいつも来なくていいと言われていたし。
「ここが波岡家のお墓」
「…結婚しなかったんじゃなかったか?」
「してないわ。けど――何も残らないんじゃあんまりだから、って、分骨させてもらってたの。本当に少しだけど。ずっと私が持ってたんだけど、こっちに帰ってきた時に、ちゃんと埋めてもらったの。悪いことしちゃった。何十年も体の一部だけ、私のところにあったんだもん。成仏出来てなかったかもね」
医療に携わってるくせに、甚だ非科学的なことを言って、母さんはあははと笑った。
「高橋康貴って言ったの。誠実な優しい人だった」
途中買ってきた花を手向けながら、母さんは俺の知らない名を告げて、その人の印象を語る。さっきの写真の柔和な笑顔が、俺の脳裏に蘇った。
柄杓で水を掛けた際に、後ろの墓碑を確かめる。平成×年5月30日逝去 享年32歳――
物事ってなんでもタイミングだと思う、俺と葉月だって、何かのタイミングがちょっとでもズレてたら、会えなかった。母さんも、幸せになるタイミングを外してしまったんじゃないだろうか――そう、思えてならない。
もしもこの人がずっと生きていたなら――母さんの人生は全く違うものになってたんじゃないか…。
「…似てる? 俺に」
ばかなことを聞いたと思った。どうせ俺はこの人物を知らないのに、似てたかどうかなんて、聞いたところで比べようがない。けど、母さんは少し嬉しそうに笑って言う。
「顔はあんまり似てない。けど。声が似てる――似てきた気がする」
「そうなんだ…」
母さんが手を合わせるから、俺も一緒に手を合わせた。会ったことはないのに、父親だって言われた人の一部だけが埋められてるここに立って、今、こうしてる。
すごく不思議な感覚。だけど。人生ってそんなものかもしれないと思う。
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