6 甘い誘い

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白昼の病院で何、ほざいてんだ、この人。 上席で、しかも波岡のお兄さんじゃなきゃ、股間蹴り飛ばしてやりたいんだけど…まずいかな、まずいよね。 どうやって逃げようかと考えてた時だった。 「水田さん!」 焦りを含んだ波岡の声がして、私はほっと強張っていた身体の緊張を解いた。 「なんだよ、志貴。邪魔するなよ」 波岡は私の二の腕を掴んで、真壁先生と壁の間から私の身体を引っ張り出した。そしてそのまま自分の後ろに庇う。 「彼女は僕の恋人です」 「知ってるよ。だから、いろいろ聞いてたんだろ? ベッドでのお前の様子とかな」 「は?」 波岡が私を振り返る。聞かれてない聞かれてない。私は首を横にぶんぶん振った。 「嘘嘘、そんな怖い顔すんな。俺がそういう子タイプじゃないの、知ってるだろ? 弟の彼女、からかっただけだよ」 「悪趣味極まりないですね」 「じゃあね、水田さん」 波岡に低い声で釘を刺されても、全く動じず、真壁先生はにこやかに手を振って、去っていく。 「休憩時間が終わっても戻ってこないから、見に来てみたら、何、こんなとこで油売ってんだ、お前」 真壁先生が退散した後も、波岡は機嫌が悪いままだ。え、これって私が悪いの? 「油なんて売ってないし。真壁先生が絡んできただけだもん」 「どうだか」 吐き出すように言ってから、波岡は急に立ち止まって、じぃっと私を見下ろした。 「何もされてねえか?」 波岡の手が、さっき真壁先生が触ってた髪のあたりを滑っていく。 「う、うん」 「あの人にはあんまり――近づかないでほしい」 いや、だから私が近づいてるわけじゃ…。そんな主張は聞いてくれなさそうな波岡の声だった。 「なんで?」 「危険だから。お前なんてあの人に掛かったら、幼稚園児みたいなもんだし。ころっと丸め込まれそう」 「そんなちょろくない」 「そ?」 波岡が鼻で笑って、口元を緩める。なんなの、その人をこばかにした笑い方。 「なんでもなきゃいいんだ。おら、仕事戻るぞ。お前、腹くだして、戻ってこれないことにしてあるから、ちょっとそれらしく振舞って」 「な…! 他の言い訳なかったのかよ」 「貧血は嘘っぽいから、お前らしいのを探したつもりだけど」 「喧嘩売ってる? いつでも買うけど」 あはは、と波岡は笑って、事務室に入ると、すっと私から離れていく。 午後の受付業務に入り、胸ポケットからボールペンを出そうとして、かさっと音がした。――何か入ってる。 仕事の合間に取り出してみると、名刺サイズの紙が入ってて、中には真壁先生の連絡先があった。いつの間に入れたんだ、こんなん。最接近した時か。 ――いつでも、連絡待ってるよ。 LINEのIDとケータイの番号。チャラい。軽い。 これを渡すために壁ドン…? いや、普通に渡せばいいよね。 流石波岡と兄弟だ。行動がさっぱり読めない。 とりあえずその小さな紙は、スマホケースの裏側に挟んでおいた。
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