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「時生さん、やっとお礼が言えましたね」 「おう。これでもう悩まずに済むな」 「感謝の言葉くらいふつうに言えるようになってくださいよ。…まあ今回の件は仕事だから別にいいんです。そりゃ多少は特別な力添えもしましたけど、我々は資金集めの一端を担っただけで、基本的には優さんとおじいさんのお力にお任せしてますからね。…ところで」 目の前に立つ見知らぬ青年に視線を移すと、知り合いかと問うかのように未来の目を見た。青年は小脇にスケボーを抱え、それらしいファッションに身を包み、まだだいぶ年若いように見えた。くっきりと濃い流線型の凛々しい眉と、涼しげで少し生意気そうな目、すっと通った鼻筋に、意思が強そうに引き締まった唇。背は時生と同じくらいの高さだが、時生のようながっしりとした体躯ではなく、頭身があり、しなやかでスラリとした今どきの若者らしい体つきであることが、そのゆるめの服装からでもうかがえた。 「挨拶して」 未来が促すと、青年は沢尻の目をまっすぐ見つめ返し、「秋山ひびきです。はじめまして」と、生意気そうな顔立ちとは裏腹にきちんと腰を折り、礼儀正しく挨拶をしてきた。 「これはどうも、はじめまして。沢尻といいます。失礼ですが、灰枝さんのご友人ですか?」 そう尋ねると秋山ひびきは一瞬だけ未来を見やり、「まあ…」と何かを含んだような微笑みを浮かべた。沢尻はその表情に疑念を抱きつつも、「秋山さんのワンちゃんは…」と軽く足元を見回す。 「俺は犬飼ってないんです」 「…?そうですか。じゃあ、おふたりとルイくんについて来られたってことですね」 「はい。本当はそこの公園でスケボーしようかと思ったんですけど、看板に禁止って書いてあったから、こっちに来ました」 「あ、そうだったんだ」 「あそこは公園なのにボール遊びもピクニックも禁止ですからね。散歩かジョギングしかできません。ところで、秋山さんは学生さんですか?ずいぶんお若そうですね」 「出たぞ、沢尻の質問攻め。おいひびき、鬱陶しいから無視していいぞ」 「はは、…あの、はい。今月から大学生です」 「へえ、じゃあまだ10代…」 「はい」 「灰枝さん、ずいぶん年下のお友達がいるんですね」 「ふふ、そうでしょう」 未来も秋山同様に、どことなく意味ありげな笑みを浮かべている。まさかこの男が恋人なのでは…と一瞬だけ勘ぐったが、彼もまた時生とは似ても似つかないタイプの青年である。それにまだハタチにも満たない子供に手を出すわけがない。だがそこまで思い至ったとき、沢尻はふとあることに気がついた。そう、自分は未来からはっきりとした実年齢を聞いたことがないのだ。はじめて出会ったときに何となくはぐらかされたので、それ以上は追求せず、今に至るまで知らないままであった。見た目で判断するのなら優と同じくらいだろうが、しかし会話をすると自分よりもずっと年上に思えてくる。彼はいったい、いくつなのだろう。 「俺は本町に住んでるんですけど、秋山さんもこのあたりの方ですか?」 「はい。最近越してきたんです。住むのは短い期間だとは思いますけど」 「ああ、そうですか。ルームシェアでもなさってるんですか」 「まあ…そんなようなものです」 「いいですね。大学生かあ…俺はあまり悠長にやってられなかったから、もう一度ちゃんとした青春を味わいたいなあ。いい学生生活を送ってください」 「はい。…あの、沢尻さんってすごい方ですよね。知り合いに教えてもらって、ユーチューブとかいろいろ見ました。大学のうちからもう海外で仕事してたって…」 「はは、すごいなんてとんでもない、単なる苦学生でしたよ。ずっと国内に留まってるのがつまらなくて、目的もなしに海外に出ただけです」 「ひびき、こいつの謙遜は全て自慢の一環だからな。何を話していても最後には自慢につなげてくるから気を付けろ。あとこういううさんくさい大人にはあまり近づくな。子供に近づく大人など基本的には危険人物しかいないぞ」 「ちょっ…何言うんですか、やめてくださいよ」 「おい、そろそろ犬どもが退屈してるぞ」 「あ、…ああ、そうですね」 「すごい大きな犬ですね。触ってもいいですか?」 「もちろん。こっちがジェイクで、こっちがエルウッドです。よかったらボール投げでもしてやってください」 「いいんですか?よし……あ、ねえ、これ持ってて」 「はいはい」 ひびきはスケボーを未来に託すと、ようやくリードを外されたルイも交えて、犬たちと楽しげにたわむれた。 「おい未来、のちのち面倒だからコイツにとっとと言っといたほうがいいぞ」 「そうですね。いい機会だし」 「なんです?というより、あの子は…」 「だからそれのことだ。奴が何者か釈然としていないだろう」 「ええ。大学生ってのはわかりましたけど、なぜあなた方と大学生が…」 「ちなみに先に言っとくと、奴が越してきたのは未来の部屋だ」 時生の思わぬ言葉に、沢尻は目を見開いて実にわかりやすい驚愕の色を浮かべた。以前マラソンコースで、未来との同居を打ち明けた際に向けられたあの表情とまったく同じだ。 「ルームシェア…なさってるんですか?大学生の子と?」 「ええ、俺たち3人でね。まあいずれもっと学校に近い場所に部屋を手配しますけど、しばらくはうちで暮らさせます」 「お前、なにかいかがわしい想像をしているだろうが、べつに俺たちはテロを企てたり爆弾を作ったりしているわけではないからな」 「…灰枝さん、民泊でも始めたんですか?」 「はは、民泊というより下宿屋ですかね。俺が主人で、時生さんは使用人。あの子が書生か」 「夏目漱石の本みたいな暮らしだな」 「と言ってもお金は取りませんけどね。…それにしても、去年のうちに決めて言っといてくれれば、さっさと部屋を借りておいたのに。卒業後に突然ですよ、やっぱりうちに間借りさせてくれって言ってきたの」 「仕方あるまい、奴の母親の都合なんだから」 「まあ…その辺の絡みがあるから俺も何も言えないです」 「あの…それで、あの子は結局何者なんです?何者というより、どういうつながりが?…」 沢尻がごくりと唾を飲み込むと、そのタイミングでひびきが3人の元に戻ってきた。そして未来に向かって言ったのだ。 「父さん、ルイがうんこした」 「ええっ…さっきしてきたのに?!すぐ拾って!はいこれ!」 「えー、俺がやるのぉ…?」 「やって」 渋々といった顔で回収セットを受け取り、フンを片付けに行く。沢尻はその一連の光景を険しい目で見つめていた。 「いま…父さんって言いませんでした?」 恐るおそる切り出すと、未来は時生と目を見合わせ、「あ、ほんとだ。もうちょっと引っ張りたかったのに」といたずらに笑った。そして時生が「そーゆーことだ」と付け加えた。
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