20人が本棚に入れています
本棚に追加
【YO-ICHI 3】
転院をしたんは梅雨が開けたころやった。
長野には叔父がいる。夫婦でペンションをやってる。子供はおらん。
新しい病院はリハビリに適した病院らしい。家からは遠いけど、夏休みに同級生が見舞いに来れんのがええ。みんな受験生や。二学期になったら会えるし。
そう思ってた。
松葉杖をついて歩けるようになったんはもうだいぶ前やったけど、もうひとつの治療の後はほとんど動くこともできん。
普通やないことは感じていた。普通の骨折の治療やない。
転院のとき、オトンは今回の事故をラッキーやったと言った。
「今回の事故で、おまえの右脚にあった悪いもんが見つかった。それを治すために薬の治療を並行してもらうけど、ええな?」
ええなって聞かれても、治療やったらしょうがないと頷いたけど、キツイ。
まる一日の点滴のあと数日は、エレベを持つんもしんどい。個室になるんはええけど。
ようやく動けるようになって松葉杖の練習をしてた。点滴の治療も数日前に終わっている。そろそろ個室も終わりやなと思ってた。とりま、勉強はしてる。それくらいしかすることないし、卒業したいし。
病室のドアが開いて平日の昼間やのにオトンとオカンが首を揃えて入ってきた。大阪から来たんかい?見舞い?ええし。
「どないしたん?仕事は?陸斗は?」
「陸斗は学校やろ。まだ夏休みちゃうから」
オトンの言葉に、もうすぐ夏休みやと気づいた。
「洋一、大事な話がある。普通は言わんらしい。そやけどおまえはもう子供やないからな。ちゃんと話さなあかんと母さんとも相談した」
家ではいっつもぐうたらしてるオトンが神妙な顔をする。いっつもギャーギャーうるさいオカンが隣で下を向いてる。なんか普段と違う雰囲気が異様で緊張してきた。
「なんやねん、もったいつけなや」
できるだけ軽く。そんな俺の様子にも、オトンは神妙な顔のまま口を開いた。
「今回の事故のおかげで、お前の足にあった悪いモンが見つかった言うたな。点滴の薬で治療したけどあかん、大きなってる。もう手術で取らなあかん」
「なんじゃそりゃ。ほんだら骨の手術するときに取っといてくれたらええのに」
「取らんとすむ方法を考えてくれてはったんや」
「話、わからんわ。取らなあかんのやろが」
「取ってもらう。せっかく早よ見つかったから、今やったら命に別状はないからな。取ってもらえ」
「話さっぱりわからんわ」
俺のその言葉にオカンがますます下を向く。息を吸って決心をしたみたいにオトンが宣告をした。信じられない、まるでドラマみたいな話を。
「骨肉腫言うらしい。ガンのひとつや。そやけどまだ広がってない。おまえの場合、脚だけですむ」
オカンが泣きだした。
「お兄ちゃん、ごめん。私が病気持たせて産んでしもてごめん」
「何言うとんねん。二人とも芝居クサイわ」
笑ったけれど、二人は笑わない。
「何言うとんねん」
俺はそんな言葉しかみつからん。
何、言うとんねん。
誰のことやねん?
誰の病気やねん?
誰の。
ぐちゃぐちゃになったまま、意味が理解できんのは俺がアホやからか?誰でもそうか?
混沌の中に落ちることもできんでいる俺の脳を放置してオトンが続ける。
「洋一、悪いとこ取ってもらえ。悪い右脚の膝から下、取ってもらえ」
オカンが嗚咽をもらす。
ちょっと待ってくれ、何言うてんのか、ほんまわからん。
「何言うとんねん。なんで」
「命、守るためや」
俺の言葉を遮ってオトンが。
オカンが俺に近づいてきて抱きついた。松葉杖ごとオカンに抱きしめられる。こんなんされるん何年ぶりやろ。だから夢やないとわかってしまう。
あんまりオカンが強く抱きしめるから、松葉杖をついてる脇が痛い。その痛みが夢やないことを教える。
悪い夢にしたいのに。
抱きしめてくるオカンを振り払った。
「出て行ってくれ」
「洋一」
「お兄ちゃん!」
「出て行ってくれ!」
叫んだ俺に向かって、親父が言った。
「洋一、生きてくれ。まずは生きてくれ!」
俺は、倒れるようにベッドに凭れた。
枕元にあった本を投げる。
教科書を。
問題集を。
[BECK]を。
そしてもう一度叫んだ。
「出て行ってくれ!一人にしてくれ!出ていけ!!」
どんだけ時間が経ったんかわからん。叫びながら手に触るもんを全部投げた俺に、看護師が注射を打った。すぐに意識はなくなった。
何時や? 何曜や?
こんなとこおったら、なんもわからん。あれは夢かもしれん。悪い夢。
枕元の棚には俺が投げたものが置いてある。ちゃんとある。やっぱりあれは夢や。
その時、マグカップに目が行った。誕生日にタマとミコがくれたやつ。
青いマグカップは、持ち手のとこが割れていた。飲み口も少し欠けていた。大事にしとった。欠けた理由はひとつや、俺が投げた。
何時や? 何曜や?
なんで俺やねん。ようけおるやん、人。
なんで俺やねん。
頭の中に、クラスメートたちの顔が過る。
なんで俺やねん。
最後に、ヨージの顔が過ったときわかった。
俺は最低や。自分のこと、誰かに、代わらせようと思ったんか。
俺はサイテーや。だからや。こんな人間やから。
涙が出てきた。なんか頭痛い。脚は痛くない。
松葉杖を取った。幸い誰にも会わんとエレベーターホールに出れた。
すぐに来たエレベーターに乗って屋上へ。
何時や? 何曜や?
ぬるい風が吹いてる。
体感してるんかなあ、それはわからん。ただ、取り込むのを忘れられてるシーツが揺れてる。こっちこいって言うてるみたいやった。
シーツを越えてフェンスに向かった。屋上の高いフェンスは、今の俺みたいな気持ちの人間が越えれんように高い。そやけど越えられんことはないな。
ぬるい風を、感じてるんかな俺。
どうなんのかな俺。
ここで終わるんかな俺。
俺、死ぬんかな。
いつか。
今か。
今やったら、脚あるなあ。
棺桶の中の自分を想像していた。
屋上言うてもたかが三階建。こっから落ちたら死ねるんかな。
「お兄ちゃん、なにしてんの?」
ぼうっとフェンスを持って、下を向いてた俺に高い声が届いた。
「あそんでんの?ゆうちゃんもあそぶ」
高い声が近づいてくる。
忘れられたシーツの向こうからその声はしている。姿を確認せずにまたフェンスの方を向いた。
「あそんでんの?ゆうちゃんもいっしょにあそぶ」
高い声はさっきより近づいた。
「遊んでへんから、帰り」
声の方は見ずに、声に出したと思う。
『お兄ちゃん、遊んで』
高い声を聞きながら思い出していた。
年の離れた弟の陸斗は、ようそう言うて付いてきたなあ。
『サッカー教えて』
『野球でホームラン打たして』
『運動会で一等ならして』
うっとおしかった陸斗の声が、ぬるい風に乗って聞こえた気がした。
リクはなんて言うかな。俺が死んだら。俺がここから飛んだら。泣くかなあ。
脚のない俺を見たら、なんて言うかな。
サッカーも野球も教えてやられへん俺に、リクはもう『教えて』ってまとわりついてこうへんやろなあ。
きっと。二度と。
「ゆうちゃんもあそぶ」
無視されてんのに、高い声はしつこい。
リクもしつこかったなあ。そう思いながら声の方を見た。
こんなぬるい風の季節に、毛糸の帽子をかぶった女の子。リクと同い年くらいかなあ。
「お兄ちゃん、遊んでへんから、はよ帰り」
ああ、俺、普通の声でるやん。
小さな女の子はクスクスと笑っている。よく見るとアニメのキャラクターのパジャマを着ている。毛糸の帽子には同じ毛糸の花の飾り。彼女はクスクスと笑いながら、俺の松葉杖を持って小さく揺らす。
小児病棟の子かな。隣の棟やろ。
「暗なるから、部屋帰り」
彼女は俺の松葉杖を揺らしながら、クスクスと笑い続ける。そして言った。
「あそんでくれて、ありがとう」
そうや、リクもいっつもそう言った。俺がサッカーや野球でしごいた時、ちょっとべそかきながら、
『遊んでくれて、ありがとう』
多分、そう言えてオカンか保育所の先生に教えられてたんやろな、いっつもべそかいてたけど。もっと優しいに教えてやったら良かったなあ。
リクは泣くかなあ。
「こんな所にいたんですね、洋一君」
今度はおっさんの声。白衣のオッサンはそう言いながら近づいてくる。
うっとおしいなあ、一人にしてくれよ。
白衣、着てるから先生なんやろな。俺は見たことないけど。でも『洋一くん』って。
名前を呼ばれたことに違和感は感じるけど、どうでもよかった。
俺はオッサンから視線を逸らせてまたフェンスの向こうを見つめた。
「田舎で何もないから、ここからでも景観がいいですね」
白衣のオッサンは俺の隣に並ぶ。
ひとりにしてくれよ。
チラリと投げた視線にそんな思いを込めたけど、また勝手にしゃべる。見えてへんのか?
「絶叫マシンって好きですか?僕は苦手なんです」
ナニを言い出す?
「ストンって落ちるのあるでしょ。だんだん過激になっていきますね」
俺が何も言わないのに、オッサンはしゃべり続ける。
「意識が飛ばないそうですよ。僕なんかはああいうの乗らないから、ここから飛んだらその時点で失神してるでしょうけどね」
・・・・・・。
「地面に叩きつけられるまで、意識あるかもしれませんね。この程度の高さから飛んだら」
・・・・・・。
「飛びますか?」
・・・・・・。
オッサンは俺がそこにおらんみたいに、フェンス越しの景色を見ながら話し続ける。
「医者になったのは、たくさんの人の命を救いたいと思ったからです。でもね、そんなことできない。何人も救えませんでした。僕なんかよりずっと若い、もっともっと生きてほしい人たちも、救えませんでした」
・・・・・・。
「皆さん、生きたいと思っていたと思います。皆さん、戦っていました。医者なんてね、そんな患者さんたちを応援することしかできないんですよ、結局。自分たちの持てるすべてを使って。生死を決めるのは僕たちではない」
・・・・・・。
「自分で決める人もいますね。でもそれはいつでもできます。例えば・・・戦ったあとでも」
・・・・・・。
「あなたがいなくなって騒がしくなっていますよ、病棟。お父上は騒ぎを知らずに大阪に帰られました。弟さんを一人にできないからって。お母上は今、安定剤で眠っておられます、騒ぎを知らずに。何日も眠れなかったみたいですね。当然だと思います。親御さんは皆さんそうです」
「・・・オカン・・・」
俺の一言だけを聞いて、オッサンは少し動いた。
「私は行きます。お母上の耳に入る前に戻られてはどうですか?一番辛いのはもちろんあなたです。でも違うかもしれません」
白衣の医者のオッサンは、俺の気持ちの危険な揺れをわかっていたはずなのに、その場を離れようとする。
初めてまともにオッサンの姿を見た。オトンと同じくらいかな、髪の毛に白いものが混じっている。
白衣のポケットのボールペンの横に、白衣には似合わないものがある。
毛糸で作られた花の飾り?かなり年季入ってる。
でも、俺はその花を見たことがある気がした。
「先生、その花」
俺の二言目に、オッサンの先生は自分の胸元を見た。
「これは僕の決心です。僕が医者として常に全力でいるための。最初に救えなかった小さなレディにもらいました。僕は戦うことを諦めません」
オッサンの先生は、そう言ってシーツの向こうに歩いて行った。その背中を少し見送る。
・・・オカン。なに見舞い来て倒れとんねん。
忘れられたシーツが揺れている。俺は松葉杖を握り締めた。
アホやなあと思ったその時、ジャージのポケットの中で携帯のバイブ。
咄嗟に携帯持っとるやん、俺。
携帯しか持っとらんやん、俺。俺こそアホやなあ。
この病院に来てから、電波が悪かったんかメールは来てへんかった。なんかようけ鳴ってる、たまってたんかな。
画面を見る。いろいろきとる。俺がここに来てから流れた時間を感じる。そして気づいた。何回も何回も何回も、ヨージ。
バイブはまだ鳴る。そしてやっと止まった。見える画面に必ずヨージがおる。最後の画面はヨージだらけやった。一番新しいのを開けた。
(なにしとんねん!返信せんか!ボケ!どこおんねん!ボケ!)
携帯の画面から、汚い言葉がヨージの声で聞こえた。
いつもの声で聴こえた。
エレベーターが病棟の階についた。詰め所には誰もいない。ゆっくりと自分の個室に戻る。誰にも会わなかった。ラッキーや。
ベッドに座ってぼうっと、さっきのオッサンの先生と、ゆうちゃんという女の子のことを思っていた。
決心の毛糸の花
まさかね。
ふと枕元の棚を見る。マグカップはやっぱり割れている。
欠けたカップの横になんかある。手を伸ばして取った。それはマグカップの取っ手の部分。カップから剥がれるように割れたんや。
お気に入りのブルーのカップを見る。あれを貰った時のことを思い出す。
地学室で。
涙が出てきた。マグカップの取っ手を握りしめたまま、声を殺してしばらく泣いていた。
病室のドアが開くまで。
「洋一くん!」
俺を見た若い看護師の姉ちゃんが、看護師らしない大声で叫んで、パタパタと詰め所に走って行く。
カップの取っ手を持ったままの手で涙を拭った。
しっかりと拭った。
そして掌を広げて、もうなんの役にもたたへん小さな物体を見つめる。
なんの役にもたたんなあ、そやからこれは俺の決心や。戦うための、生きるための俺の決心。
もう一度握りしめて、カーテンを閉めていない窓の外を見た。もうすっかり暗い。
『あそんでくれて、ありがとう』
その時、ふと聴こえた声はリクやない。
「こっちこそ、ありがとうな」
声に出してから、取っ手を両手で握りしめた。
俺の決心をしっかりと、掌と心の中に握りしめた。
最初のコメントを投稿しよう!