33人が本棚に入れています
本棚に追加
彼は美しいものが好きだった。
美大へ進んだ動機は美しいものを見て残したいというシンプルかつ純粋な思いのみであり、教師の道を目指した理由もそれと変わらない。
子ども達に、美しいものを見て美しいと思う心を大切にして欲しかった。
桜の花びらが死ぬ間際
夕立後の夕焼け
燃える紅の山
チリひとつない澄んだ星空
茜色の美術室
少女の横顔
滑る筆に指先
その瞳が、輝く瞬間
彼は美しいものが好きだった。
美しい横顔で、美しい指先から描き出す、途方もなく美しい世界。彼の言葉にはにかむ彼女の笑顔も、声も、世界も、全てが愛しかった。
教師として引いた線は常に、そして間違いなく彼の目の前に存在していた。
だからそれを超え、触れたいと思ってしまったのは最早理屈を越えた先。彼の純粋かつあるまじきエゴイズムによるもの。
だからこそ、少女の瞳から光を完全に奪ってしまったのが自分であるという事実が、彼は何よりも許せなかった。教室の窓からクラスで1人孤立を深めた彼女の姿を見たあの日のことを、彼は一瞬たりとも忘れられない。
彼はその日のうちに辞表を提出していた。
美しい花を自ら手折り握り潰した自分自身を、彼は教師として、男として到底許せるはずがなかった。
そして数日後、彼の人生で一番美しい愛の証明を見た瞬間、彼は決意する。
小さな四角の中で輝く朝日と紅掛空。焦がれるがままに抱き合う2人の男女。これが彼女の証明なら、何を捨ててもこれを彼女に与えたい。
与えたい。
これが彼の、愛の証明だった。
最初のコメントを投稿しよう!