近くて遠くて近い場所

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思い返すと、あなたの傍にはいつも、わたしがおりました。 あなたはとても人気のあるひとだったから、たいてい誰かは傍にいたけれど。 わたしの記憶違いではなければ、その誰かのなかに、わたしのいないことはなかったのではないでしょうか。 だからこそ、この今日という日の栄誉を賜ることができたのでは、と誠に勝手ながら、推察しております。 ふいに、かたん、と音がしました。 おっと、危ないあぶない。 わたしは、誰も見ていないことを確認すると、ささっと、手に持った白い板を持ち直します。 「ねぇ、いま、このくま動いた?」 「まさか。ウエルカムドールが動くわけないでしょ」 「だよねー。あぁ、沙苗も遂に結婚かぁ」 言うと、こちらを見てきたあなたのご友人は、うーんと腕をのばして、去っていきました。 わたしが肉球に汗をかいていることなど知らず。 * * * * * わたしは、あなたがゼロ歳の誕生日の時に、あなたのご両親より贈られました。 名前は『くまっきー』 名付けてくださったのは、それよりさらに3年後のことでしたね。 それからあなたの周りには、たくさんのわたしと同じ材質のものたちが増えていきました。 わたしたちは、あなたやあなたの周りのひとたちの会話から、 「ぬいぐるみ」 というものなのだと、知りました。 あっという間にあなたの部屋は、ぬいぐるみで囲まれました。 わたしはずっと、床よりも少し高い位置にある小高い丘のような場所から、あなたを見てきました。 あなたはねむるとき、必ずその丘の上にそっと置かれたわたしに、 「おやすみ、くまっきー。また明日ね」 優しく触れると、頭を撫でてくれました。 あなたが悲しみに暮れている時も、 あなたが嬉しさを爆発させている時も、 あなたが悔しさに顔を俯かせている時も、 わたしは、仲間たちと肩を寄せあって、小首をかしげながら、やわらかな丘の上から、いつもあなたを見守っていました。 だから、あなたがわたしたちを、次々に投げ飛ばしたあの日のことも、覚えています。 「あんたたちがいるからだ!」 あなたはそう言って、泣き叫んだあと、 「・・・・・・違うよね。わたしの趣味が幼いだけで。みんなは悪くないよね・・・・・・ごめん。ごめんね・・・・・・」 わたしたちはみな、いつもと違う場所にぽてりぽんころろと、落ちて転がって、だけどみな、同じことを思っていました。 『ああ、泣かないで。いつも笑っていて』 どんなに投げ飛ばされてもいいから。どんなに痛め付けてくれてもいいから。 たとえ、あなたがわたしたちのことを忘れてしまったとしても、わたしたちは忘れないから。 抱きしめてくれたことも。いっぱい話しをしたことも、決して――。 * * * * * それからしばらくして、あなたはわたし以外のぬいぐるみをすべて、暗い箱の中に詰め込んでしまいました。 そうしてそのまま、ぺたぺたとテープで蓋をすると、ベッドの奥のほうへと、しまいこみました。 しばらくして、あなたの部屋にひとりの男性が来ました。 わたしには彼が、あなたが次にあいすることにしたひとなんだ、とわかりました。 「ぬいぐるみ、片付けたんだな」 あなたがあいすることにしたひとの声は、少し驚いていましたね。 わたしはベッドの上から、あなたと、あなたがわたしたちの次に、あいすることにしたひととの会話を、聞いていました。 * * * * * さらに時が過ぎて、あなたの部屋に彼は来なくなりました。 次第に、あなたがわたしに声をかけてくださる回数も、減っていきました。 いつしかわたしには、白と灰色が混ざったふわふわしたものがたくさんくっつき、置かれる場所もやわらかな丘の上から、冷たい床の片隅になっていました。   ほんとうのことを申しますと、寂しくは、ありました。 あんなことがあっても、わたしだけは傍に置いてくださったあなたが、どんどんどんどんと遠くへ行くようで、寂しくありました。   それでもわたしは、仕方がないことなのだと思っていました。 あなたが、わたしの次にあいすることに決めたひとやものを、この黒くて丸くてつやのある瞳で見つめながら、 仕方がないことなのだ、と自分に言い聞かせておりました。 『たとえあなたがわたしを忘れてしまったとしても、わたしたちは忘れない』 あの日、仲間たちと決めたことを思いながら、 仕方がないことなのだと、言い聞かせておりました。 * * * * * それからさらに月日が流れました。 「ちょっとね、実は見せたいものがあるの」 聞きなれたあなたの声が響いて、 次いで、見たことのない男性が入ってきました。 「見せたいもの?」 ぬいぐるみがきらいだったひととは、また違うひとです。 わたしは、決して見咎められないように、慎重に黒目を動かして、あなたとそのひとのうしろ姿を、見つめておりました。 あなたはおもむろに、床にしゃがみこむと、 「よいしょ」 なんと、仲間たちの詰め込まれた箱を引っ張り出したではないですか。 わたしは声が出そうになるのを、ぐっとこらえて、どきどきしながら、箱が開かれるのを待ちました。 ばりばりとテープをはがす音がしたのち、はたして箱は開かれました。 「え。ぬいぐるみ?」 あなたの隣に立っていたひとは、短く、そう声をあげました。 「そう。昔ね、付き合ってた人が、ぬいぐるみだめで・・・・・・そこからなんとなく、開けられなくて、長いことしまいこんでたのだけど、この家を離れるなら、やっぱり持って行きたくて・・・・・・だめ、かな?」 おずおずと、そうたずねたあなたに、そのひとはひとつ、やわらかな微笑みを向けると、 「持っていこうよ。新居に飾ろう。玄関からリビングから、いっぱい飾ろうよ」 その言葉を聞いたあなたは、頬を赤らめて、少し瞳をうるませました。 ついに瞳からひとしずくの涙がぽたりと落ちたのを見て、わたしは心から晴れやかな気持ちになりました。 『ああ、よかった。わたしたちのことをきらいになったわけでは、なかったんだ』 わたしはそう思い、あなたとあなたが次にあいすることに決めたひとを、誇らしい気持ちで見つめておりました。 「あ、あとね、この子・・・・・・例の、使いたい子なんだけど」 あなたはそう言うと、わたしの前に立ち、そっとわたしを抱き上げました。 わたしはパンパンに詰め込まれたわたが飛び出すのじゃないかというくらい、どきどきどきどきして、あなたの少し茶色い瞳を見つめておりました。 何年ぶりか、目を合わせたあなたは、むかしとかわらずに、きらきらとしたきれいな目をしており、わたしにもし涙があれば、ひとすじ、流れていたことでしょう。 「どれどれ・・・・・・」 あなたのあいすることに決めたひとは、そうもらすと、あなたの隣に立ち、わたしをひょいと持ち上げました。 『はじめまして。わたしたちの大切なひとが、あいすることに、決めたひと』 わたしは、くりくりとした目で彼を見つめると、こころのなかで、そうあいさつしました。 「うん。いいんじゃない? 彼には大役を担ってもらおう。でも埃まみれだな。洗ってあげなきゃね」 目を細めて、あなたに笑いかけた彼を見てわたしは、 『なにかすてきなことがはじまるに違いない』 と思ったし、その予感はぴったりと当たっていたのでした。 * * * * * それからすっかり綺麗になったわたしは、今日という最高の晴れ舞台で、いちばん目立つところに、飾られています。 あなたと、あなたがあいすることに決めたひととの名前が刻まれた、白い立派な板を掲げて。 わたしはこれから、あの住み慣れた場所を離れて、とてもとても遠くへ行くけれど、 大切なあなたがいるから、何も不安はありません。 ご結婚おめでとうございます。 この会場にいる誰よりも、その想いを抱いて、 わたしはいまふたたび、あなたの傍に、おります。 【おわり】  
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