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「……覚えてません」
「この一年間で、二十九回だよ」
「数えてたんすか……」
「君と同じシフトに入った子たちにもチェックさせてたからね。……毎回、ぼーっとするのは短い時間だから許したいけど、混んでる時ばっかりやられるから困っちゃうんだよ。せめて暇な時にしてくれないかな」
時間選べるならとっくにそうしてるっての! いつもいきなり飛ぶんだから仕方ないだろ! 不可抗力だよ! 俺だって、したくてしてるわけじゃないのにっ!
「……わかりました。すんません」
本音を隠してしおらしく謝ると、店長は溜め息をついて許してくれた。
朝シフトの女性と交代して、コンビニを出る。だるい身体を原付に乗っけて、半ヘルをかぶり、通勤ピークにさしかかった国道を山の方へ向かって走り出す。
対向車線はそこそこ交通量があるけれど俺の前方はすっからかんだ。朝っぱらから元気いっぱいの太陽が、半袖から出た前腕をじりじりと焼いてくる。やる気に満ちた蝉の声が、夜勤明けの鼓膜に障り、またむすっと顔をしかめた。
ちぇっ、俺はぼーっとしてるわけじゃないのに。そう見えるだろうけど、実は結構大変なのに。二十九回なのはバイト中だけで、トータルでは余裕で百回超えてるのに。だいたいあっちでは一時間くらいなのに、こっちでは十数秒ってどういうことだよ。……あーもう、頭おかしくなりそう。
田んぼの間に伸びる農道から山道に入ると、原付がペースを落とした。それでもフルスロットルでよじ登らせ、下りの勢いで突っ走らせる。
前方に、青々とした竹やぶに抱かれて建つ一軒の木造家屋が見えた。
あれが俺の家だ。
瓦の乗った土壁に沿って裏手に回り、後付けで作られたガレージに原付を収め、表に戻って門を抜ける。肌にまとわりつく熱気が不思議と薄れていくのを感じながら、玉砂利の海に浮かぶ飛び石を踏んで、ガラスのはまった引き戸をそっと開ける。
音を立てないよう気をつけても古い戸はガラガラと大きな音を立ててしまい、それに気づいた家人が玄関の間に現れた。
「お帰りなさいませ、真守様」
七十を超えても衰えを感じさせない大柄な体躯を深緑色のシャツと黒のスラックスで包んだ男が、すっと伸びた背筋をわずかにかがめて出迎えた。
きっちり整えたライトグレーの髪、目尻と口元に刻まれたシワすらも渋い魅力を演出している彼は、(自称)俺の執事だ。
「ただいま」
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