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「……バイトだったんだよ」
「昨夜はコンビニのシフトは入っていなかったはずです」
「……なんだよ、いいだろ別に。俺だって成人してんだから、夜遊びくらいするっての」
「……女性と付き合うのは二十四歳を過ぎてからという約束を破ったのですか」
「ち、ちが、友達の家で飲んでたんだよ!」
「外泊するときは連絡する約束でしたよね。私がどれほど心配したかわかりますか」
悲しげに言われて、胸がズキリと痛んだ。
俺だって約束を忘れていたわけじゃない。
連絡したくても、できなかったんだ。
大学から帰る途中で、いつものようにタイムスリップして、現実に戻ったと思ったら猛烈な睡魔に襲われた。
目が覚めると、裏の竹やぶの奥にあるうちの墓にいた。墓石の隣に立つ小さな祠に抱きつくような格好でもたれていた。そのせいで身体のあちこちがギシギシと軋んでいる。
そこへ追い打ちをかけるように足のしびれがやってきた。我慢できずに正座を崩すと、牧にぎろっと睨まれた。
「反省は言葉と態度で示すよう、お教えしたはずですが……」
「うるっさいな。足がしびれちまったんだからしょうがないだろ」
「先代のあなたは、そのような無作法をされない方でしたが……」
嘆息しかけて、牧ははっと口を押えた。狼狽したように目を泳がせ、立ち上がる。
「も、もう結構です。次からは連絡してください」
逃げるように居間を出て行った牧を、「なんなんだよ……」とつぶやいて見送り、畳に後ろ手をついて、はぁっと息を吐く。
タイムスリップを警戒して原付で通学しなかったのは正解だった。横転したところでこの身体はたぶん無傷だろうが、また修理費を出すはめになれば虫の息な財布にとどめを刺すことになる。
「しかしなんで墓なんかで寝てたんだろ。……ああ、混乱する。もぉしんどい……」
それでも、できるかぎり何事もないように振る舞わないと。牧にこれ以上心配かけたくない。
牧はよく物憂げな表情をする。どうしたのかと訊ねると、すぐに和やかな表情に戻って、なんでもありませんと返す。
きっと俺の将来を案じているのだろう。
たしかに我ながら、これまでの自分はちゃらんぽらんだったと思う。うちには先祖の遺産があるからと気楽に構えていたけれど、その遺産だって無尽蔵じゃない。……考えてみれば、この家だって構えがちょっとばかり重厚なだけで豪華なわけじゃない。高価そうな家具もないし、日々の食事だって質素だ。……本当は、とうに底をついているのかもしれない。もしかしたら牧が趣味でやっているという株の運用がうちの生計を支えているのかもしれない。
「……なんにせよ、このまま牧におんぶにだっこではいられねぇよな。もうそろそろ心を入れ替えて、ちゃんと大学を卒業して、就職して、一人前の男になって、牧を安心させてやらねぇと……」
幸い、それからしばらくタイムスリップは途絶えた。俺はバイトを休み、ここぞとばかりに大学へ通って単位の取得に励んだ。
牧はそんな俺をいつもどおりの笑顔で見送ってくれたが、「いってらっしゃいませ」の後に、言葉を付け足すようになった。
「暑いので、熱中症に気をつけて」
「好き嫌いをしてはダメですよ」
「身体を大事にしてください」
「あなたが元気に長生きすることが、私の願いです」
「あなたは自分を過小評価していますが、本当はとても賢いひとなんですから、やる気になれば何だってできますよ。自信を持ってください」
そんな注意や励ましがくすぐったくて気恥ずかしくて、俺はぶっきらぼうに背を向けた。
「……いってきます」
あのとき、牧の瞳をまっすぐに見返していれば。
深い思いやりのなかにある悲壮な決意を見抜いていれば。
それが別れ際の言葉だったと、気づいたかもしれないのに。
誕生日の前日、牧がいなくなった。
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