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「い、いい! 来るなっ!」
「来るな……ですか、……昔は、『牧も一緒じゃないとお風呂に入りたくない!』って駄々をこねてらっしゃったのに」
「……いつの話をしてんだよ」
「真守様が高校デビューを果たされる前の話です」
「黒歴史だ。忘れろ」
「忘れません。心のアルバムに永久保存しておりますので。……あの頃は良かった。毎晩私の寝室にやってきては布団に潜り込み、『牧、一緒に寝よ』と私に抱きついて……」
「だぁぁぁっ! 黙れぇぇ!」
お湯をバッシャンバッシャン叩いて遮ると、牧はくくっと笑い声を残して脱衣所を出て行った。
引き戸が閉まる音を聞いて、のろのろと湯船から出る。
「……なにが、あの頃は良かった、だ。ひとりで寝ろって言ったのは、おまえじゃないか」
身体を拭いて牧が用意してくれたパジャマに着替えたところで、空腹を感じた。さっきまで静かだった腹が『飯を食わせるまで眠らせてやらねぇぞ』とうなっている。
仕方なく台所に向かうと、牧がいた。続き部屋の居間にあるちゃぶ台に並んだ料理をすっと手で示し、
「お召し上がりください」
「……サンキュ」
タコ飯、アジのたたき、辛子レンコン、つみれの吸い物を次々と胃に収め、満足して麦茶を飲み干すと、急激な眠気が襲ってきた。
「真守様、お眠りになる前に歯を磨いてください」
「……わーって、る……」
ふらふらと脱衣所に戻り、洗面台にしがみつくようにして歯磨きをした。が、口をゆすぎ終えたところで限界がきた。後ろに倒れこむ俺の背に、そっと手が当てられる。
「まったく、手のかかる人ですね」
深みのあるバリトンボイスが、鼓膜を通って細胞の隅々まで沁みていく。その声の持ち主に身体を任せて、俺は意識を手放した。
激烈な痛みで目が覚めた。
悲鳴を上げようとしたが、できなかった。俺の右手が、しっかりと自分の口を塞いでいる。
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