第2章 小間使いガール、職務に勤しむ

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「これがいいんだよな。ビニール包装で十分なのに、あえてわざわざ小洒落たデザインの缶っていう」  柚子はちみつ味の缶を指でつつき、沓澤代理はそう呟いた。いつの間にか彼が腰かける椅子は逆向きになっていて、左右に軽く揺らされる椅子が、キィ、とときおり甲高い音を立てる。  学生じみた仕種だ。あはは、と声を出して笑いそうになった私は、慌てて真面目な顔を取り繕った。独り言だったのかもしれないと思いつつも、はい、と小さく相槌を入れる。  ビニールのパッケージではなく、筒状の缶に入った飴。  フレーバーのラインナップが豊富なこの飴は、ラベルこそそれぞれ異なるものの、缶の形状はすべて統一されている。高級感とまではいかないけれど、食料品店や量販店などで販売されている飴に比べると、独特の存在感はある。  昔からある当社の商品のひとつだ。通常の飴に比べてひと粒ひと粒の大きさが控えめな分、どのフレーバーも味が濃厚に仕上げられている。  元々飴好きではあったけれど、私がこれを集め始めた理由には、もっとはっきりしたものがあった。  コレクションしたくなる気持ちを擽る、パッケージのデザインだ。  瓶なら自室に並べて飾っても素敵だろう。ただ、缶だからかつい持ち歩きたくなる。大きめのバッグに、その日の朝に選んだ缶を三つ入れて出かける。それが私の朝の日課だ。店舗スタッフとして勤めていた頃から続けている、ちょっとした日課。 「これ、私が現場でお客様にお勧めして、初めて買ってもらえた商品なんです」  懐かしさにかまけて思わず零してしまう。遊ぶように缶を軽く弾いていた沓澤代理の指の動きが、不意に止まった。  どちらかといえば独り言、そんな調子で私は口を開き続ける。  視線を寄せられてはいるけれど、沓澤代理はなにも言わない。その沈黙が続きを促していると捉えてしまうのは、さすがに思い込みが過ぎるだろうか。 「気ままに旅行してるっていう、年配のご夫婦だったんですが」  平日に、場所も日程もなにも決めず、することはそのときの気分で決める。寝坊しても構わず、雨が降ったらそれもまた一興。お出かけの延長のようなのんびりした旅の合間に、その夫妻は私が勤める店へ、やはり気が赴くままといった様子で足を踏み入れた。 『息子夫婦と孫に、なにかお土産を選びたくてね。でも、あまり気取った物や高価な物というのも違う気がするの』  奥様が丹念に商品を手に取っては見比べていて、決めあぐねていたから声をかけた。要望を伺いながら、旅の話もいろいろ聞いた。のどかな平日の昼下がり、客足がそれほど多くない中、私も奥様と一緒になにがいいか考えた。  店員さん、忙しいんじゃないのか――呆れたように奥様に笑いかけるご主人の顔も、はっきりと記憶に残っている。  その中で、この飴をお勧めした。  缶のデザインと店舗限定のフレーバー、両方を気に入ってもらえて、これなら孫も喜ぶと思うわ、と奥様は楽しそうに笑った。  お土産を渡している姿や、受け取っている人の顔、そんな情景がふわりと頭に浮かんで、私まで温かい気持ちを分けてもらった気分だった。  売れ筋商品というほどではない。流行に左右されない味、豊富なフレーバーの種類、特徴的なパッケージ。特徴といえばその程度で、それがなければただの飴玉だ。  付加価値が大切なのだと思う。例えばそれはパッケージだったり、種類の豊富さだったり、あるいは販売員の接客だったり、顧客のニーズを把握することだったり――さまざまな要素が合わさって、なんの変哲もない普通の飴が誰かの特別になる。  興味を持ってもらえて、本当の味を知ってもらえて、美味しく食べてもらえて、パッケージは思い出の品物になって……誰かが誰かと楽しく過ごす時間に添えられるなら、飴だってきっと本望だ。もちろん飴に限らず、どのお土産やお菓子にとっても。 「現場の仕事、好きでした。キツいこともいっぱいありましたけど、楽しいことのほうが先に思い出せるっていうか」  思い出の余韻が徐々に薄まっていく中、はっとした。  あ、と苦々しい声が零れる。いくらなんでも喋りすぎた。残業へ巻き込んだ相手に対し、どこまで空気の読めない行動に出てしまったのかと、私は血の気を引かせる。 「っ、す、すみません。取り留めもない話を長々と、失礼しまし……」  顔を上げて放った言葉の最後は、音にならなかった。  目が合った沓澤代理が、頬杖をつきながら、見たこともないくらい穏やかな顔で笑っていたからだ。 「那須野は真面目だな。えらい」  一瞬ぽかんとして、直後に顔が熱くなる。  沓澤代理は本当に整った顔をしていて、そんなふうに笑いかけられたら誤解してしまう女の人だってたくさんいそうで、それを仕方ないとも思って、でも。  でも、私はそうなっちゃ駄目なんだ――鈍い痛みが胸を走り抜けていく。 「え、いや……普通だと思いますよ」 「はいはい。ほら、早くそれくれ。ゆずの」  ……今、これだけ動揺しているときに限ってその言い方はやめてほしい。  誤解も勘違いも絶対に避けたくて踏み留まった心が、一気に底まで転落してしまいそうになる。  この人、私の下の名前、知らないのかな。  毒づくようにそんなことを思い、私は少し雑な仕種で柚子はちみつの飴缶の蓋を開けた。
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