第1章 流されガール、丸め込まれる

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     *  翌日。 「あの、だから私は……」 「おかしいだろ、急に。今まで普通にしてたのになんでなんだよ?」  帰宅直前、私は元恋人の()(やま)雄平に捕まってしまった。  オフィスのエントランスへ向かうには給湯室の前を通らなければならないけれど、そこで待ち伏せしていた雄平に捕獲されたのだ。  雄平も本社勤務だ。店舗での勤務を一年経て本社へ異動した彼とは、私自身の異動後にも頻繁に顔を合わせていた。  ふたつ年上の恋人に、大人の魅力や包容力を期待していた頃もあった。  私と職場が一緒になったことを、雄平はとても喜んでいた。それが一年も経たないうちにこんな事態になって、困惑する気持ちは分からないでもない……とはいっても。  別れのきっかけとなった暴言について、雄平は納得できないと言って聞かない。今日の用件は、〝別れた本当の理由を教えろ〟というものだった。  押し問答が始まり、十分が経過していた。雄平の口調は徐々に私を責める調子に変わってきていて、私はそのせいで自分に非があるかのような錯覚に陥ってしまう。  人前でひどいことを言われてつらかった。何度もそう伝えているのに、「それだけ?」とさも不満そうに問われる始末だ。私だってうんざりしていた。いや、むしろ。  むしろ、参っていた。  雄平には、私の別れの切り出し方が唐突に見えたのだろう。私としては、いろいろと積もり積もったものがあった結果の決断だから、唐突もなにもない。  かといって、積もり積もったものをひとつずつ述べろと言われたとして、すぐには挙げられそうになかった。挙げるためにわざわざひとつひとつ思い出すのも精神的に苦しい。  だからこそ早く話を終わらせてしまいたいのに、雄平はなかなか引かなかった。  特筆するような魅力なんて自分にはない。分かっているから、なおさらつらい。  雄平は、軽い感じで例の言葉を口にした。私が傷つくかもとは考えすらしていない様子だった――今、このときになっても。それがまた悲しい。  押し問答そのものに堪え始めてきた、そのときだった。 「……いつまで続くの、その話? そこ使いたいんだけど」  不意に声がかかり、思わず肩が震えた。  私を給湯室から逃がさないように出入り口側に立ち塞がっていた雄平も、はっとした顔で背後を振り返る。  視線を上げた先には、沓澤代理が立っていた。  腕時計へ視線を走らせた彼は、普段とは打って変わって苛立たしげで、見慣れないその態度に私の血の気は一気に引いていく。  雄平も同じらしかった。私と沓澤代理に挟まれる立ち位置となった雄平は、困惑した顔で私と彼を交互に見比べた。そして「すみません」としどろもどろに零した後、そのまま足早に立ち去ってしまう。  後には、頬を引きつらせた私と、気怠そうに柱へ上半身をもたれさせた沓澤代理が残った。 「も、申し訳ございません。お見苦しいところを」  丁寧な口調を崩した沓澤代理は、妙に目が据わっているように見える。  怖くなった私は、直角に腰を折って謝罪した。深々と頭を下げたのは冷たい視線を避けるためでもあった。けれど返事はなく、結局は顔を上げるしかなくなる。  おそるおそる目線を向けた直後、私は言葉に詰まった。  にやにやと人好きのしない笑みを浮かべ、しかも私との距離を大幅に詰めた沓澤代理と視線がかち合ったせいだ。  ……なんだ、その悪い感じの笑い方。  初めて見た。私、知らないうちになにかやらかしてしまっただろうか。 「助かったって思ってる?」 「え、あ、はい。ありがとう、ございます……?」 「どういたしまして」  流暢に動く口元を呆然と見上げていると、今度は満面の笑みを返される。  その笑みも、これまでに一度も見たことがなかった。先刻の腹黒い感じはすでに残っていない。ぽかんと口を開けたきり、私はうっかり相手の顔に見惚れてしまう。  ……いやいやいや、見惚れている場合か。  我に返り、慌てて口を動かす。 「あの、使うんですよね、ここ? どうぞ」 「いや、特に用はない」 「え?」  素っ頓狂な声をあげた私を、沓澤代理はやはり楽しそうに笑って眺めている。  なら、なんのためにここに来た。微かに眉を寄せた私を、沓澤代理は覗き込むように見つめてくる。
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