1.17

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「5時46分」 あの朝、身体に感じた揺れの感覚は、今も覚えています。 慌てて布団から跳ね起きて、揺れが治まるとすぐ、テレビをつけました。 どこの局もニュースや速報が表示され、大きな地震だったのだと知ります。 中心地である淡路や神戸の震度が何故か表示されず、一体何が起こったのかとニュースを見ていました。 幸い、私の住んでいる地域は震度4(後に震度5弱となっていましたが)で、家も無事でした。 駅前はビルのガラスが割れ、電車が止まって駅には人が溢れており、何時もはずらりと並んでいるタクシーが一台もなくて、乗り場には行列が出来ていました。 テレビの向こうではビルが倒れ、夜明け前の暗さの中、各地で火の手が上がっている。 崩れ落ちた道路。 時間が経つにつれ、亡くなった人の数が増えてゆく………… この地震で亡くなった方は6434人、行方不明の方は3人とのこと。 三宮の東遊園地では五千本の竹灯籠で「きざむ 1.17」の文字が灯されました。 追悼式である男性が「僕もお母さんが亡くなった年と同じ47歳になったよ」と仰っていました。 重い言葉だなと思いました。 阪神淡路大震災から25年。 多くの人が、色々な思いを抱えて生きてきたのだと思います。 東日本大震災や、各地に発生する豪雨、自然災害はいつ、どこで起こるかわかりません。 防災意識というのは、平和な日々の中で薄れてゆくものです。 もう一度、防災バッグの中身をチェックしておこうと思います。 (因みに、どん兵衛の「赤いきつね」は、お湯でなく水でも、時間をかければ美味しく食べられるので非常食にいいそうです)
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