桜の樹の下には

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「願わくは 花の下にて春死なん  その如月の望月の頃」 平安時代の歌人、西行法師が読んだ和歌です。 彼は武士でしたが、二十三歳で出家し、各地を放浪しながら多くの和歌を残しました。出家の動機は「親友の死」とも、「失恋」とも言われています。 「花」は桜、「如月の望月」は陰暦で二月十五日、釈迦の亡くなった日です。 今の暦では三月の後半の頃なので、山桜なら満開の頃でしょうか? 実際、彼は二月十六日に亡くなりました。 幼い頃、私は仏教保育園に通っていました。 家が熱心な仏教徒というわけではなく、たまたま迎えのバスが家の近くを通っていたからです。 毎週月曜日の朝はお祈りの時間で、瓦屋根の広い講堂に皆で正座をし、小さな数珠を持って手を合わせていました。 もらった絵本は「お釈迦様」、「聖徳太子」、「親鸞様」。カルタも仏教にまつわるもので、「天にも地にも我一人(生まれたばかりのお釈迦様が天と地を指差して言ったとされる言葉)」とか、「プツンと切れた蜘蛛の糸(芥川龍之介の小説にもあるアレですね)」とか。 4月8日(お釈迦様の誕生日)には「花祭り」があり、厨子に納められた釈迦像に甘茶をかけ、甘茶を飲みました。 なので、幼稚園になって「アンパンマン」の絵本を貰った時は衝撃でした(絵本って、こんななんだ…………と)。 それで特別信心深くなったということはありませんが、「仏教」や「お釈迦様」という存在を身近に感じてはいたと思います。 先程の和歌を知った時、その光景を思い浮かべ「ああ、綺麗だな」と、単純に思いました。同時に「桜の樹の下には屍体が埋まっている」という言葉を思いだし、ぞっとしました(これは、梶井基次郎の「桜の樹の下には」という短編小説の冒頭で、作品を読んでみたら、中々のエグさでした)。 西行法師はすがりつく幼い我が子を振り切って出家したとか。釈迦も家族を捨て、出家しています(後に息子のラーフラは弟子の一人になっています)。 釈迦は橙色の花をつける無憂樹(むゆうじゅ)の下で産まれ、菩提樹の下で悟りを開き、沙羅双樹の下で亡くなりました。沙羅双樹は春にジャスミンに似た、甘い香りの白い花を咲かせます。 西行法師は釈迦のように生きて、死にたいと思ったのかもしれませんね。
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