芭蕉

2/3

19人が本棚に入れています
本棚に追加
/146ページ
「五月雨をあつめて早し最上川」 松尾芭蕉は伊賀(今の三重県)に生まれ、家は平家の末流を名乗り、苗字・帯刀こそ許されていましたが、武士ではなく農民でした。 13歳の時に父親が死去。 兄が家を継ぎ、一時伊賀国上野の藤堂家に仕え、その後、俳諧の道に進んだと言われています。 彼は旅の中で多くの句を詠んでいます。 最も有名なのは「奥の細道」でしょう。 芭蕉は弟子を一人連れ、五ヶ月かけて東北を巡りました。その距離2400㎞、本州を直線距離で縦断しても1500㎞足らずなので、すごい距離ですよね。旅と言えば多くの人は歩くしかなったこの時代、一日40㎞くらいは普通だったのかもしれませんが、「伊賀出身」ということもあり、「芭蕉が健脚だったのは、彼が忍者だったからなのでは」なんて話もあります。 「奥の細道」には、俳句に詳しくない私でも知っている有名な句が幾つも載っています。 「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡」 「閑(しずか)さや岩にしみ入る蝉の声」 冒頭の俳句もそうですが、どれも短い音の中に情景が浮かび、余韻を残す素晴らしい句だなと感じます。 冒頭の句にある最上川は球磨川、冨士川と並んで「日本三大急流」と呼ばれています。流れが早く、普段はラフティングや川下りなどが楽しめる美しい川ですが、先日の大雨により氾濫、秋田、山形を中心に浸水や土砂崩れの被害をもたらしました。 橋を押し流す勢いで流れる濁流を見ると、水の力の恐ろしさを感じます。人間の力などちっぽけで、到底及ばないのだと、まざまざと見せつけられた思いです。 芭蕉は大阪の地で病に倒れ、亡くなります。 「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」 これが芭蕉の最期の句となりました。 最後の部分は、何度も推敲をしたそうです。 亡くなるその時まで、彼は俳人でした。
/146ページ

最初のコメントを投稿しよう!

19人が本棚に入れています
本棚に追加