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大学生らしく朝寝坊をしてやろうと企んでいたその日、僕は母の悲鳴で目を覚ました。
何が起きたかと両親の寝室へ向かうと、父が寝ていたはずのベッドには小型犬くらいの大きさの透明な石が鎮座している。
母は髪を振り乱しながら必死に石に話しかけていて、やはり騒ぎを聞きつけて起き出してきたまだ小さい妹は、そんな母の姿を見て僕のパジャマの袖を固く握りしめていた。
僕はといえば、とりあえず人体に異常が起こったということで、119に連絡した。人が焦っている姿を見ているとむしろ冷静になる性質なのだ。担架に石を載せて救急隊員が運んでいく様子は、あまりにもシュールで不条理なコントでも見ているようだった。
僕ら三人も、担架と一緒に救急車へ乗り込んだ。この頃になると母は泣き叫び疲れて、呆然と俯いていた。
父であったはずの石にはたくさんの電極が取り付けられ、ピッピッと謎の器械が音を立て、理解できないダイヤグラムを描き続ける。
「いや、これ石じゃん」と何度も言いそうになったけれど、こらえた。たぶん母がまた泣いてしまうと思ったから。
病院へ着くと妹と母は看護師さんにどこかへ連れられてしまったので、医師の診断を聞いたのは僕だけだった。
「突発性石化症ですね」
開口一番、眼鏡をかけた若い医者は言った。
そういえば、そんな病気が流行っているとテレビで見た気がする。
原因は主にストレス。体内に溜め込んだ行き場のない澱が、人体ごと結晶化する症状を呈する。
もちろん、決して元に戻ることはない。医者は黙って志望届を僕に寄越した。
通常、突発性石化症の患者の遺体は火葬にしないらしい。金槌で砕いて骨壷に入れると葬儀屋が言っていた。大きな石のまま手元に残しておく人もいるそうだが、結局見るに堪えなくて砕いてしまう人がほとんどだそうだ。
僕はそのときに出た砕きカスを一つ拝借した。指輪にしてもらって、今も右手の人差し指に光っている。
あの日から2年がだった。
就職活動も終わり、僕は来年無事に社会人になることができそうだった。あれから半年後には母はすっかり元のきびきびとした様子を取り戻したし、妹も来年には中学生だ。
父は、本当に普通の人間だったと思う。朝起きて会社に行って、一日仕事をして帰ってきて、ときにはお酒を飲みながら愚痴を言ったりしていた。息子と娘と妻がいて、けっこう幸せなんじゃないかと他人事のように思っていた。
けれども、父の中に何かが溜まっていき、そして石化してしまった。
溜まっていた悩みの種が何なのか、今となっては分からない。高齢の両親、家のローン、仕事のこと、大黒柱としての重責、はたまた僕の学費だったかもしれない。あるいはその全てであったのかもしれないし、全て的外れだったのかもしれない。
今でもときどき指輪を太陽に透かして見ることがある。綺麗だな、と思う。誰にも言えなかった悩みが生み出した結晶は、あまりにも美しい。
指輪にしてもらおうと訪れた宝石屋にはこう言われた。
「これはどなたかの遺体ですね。あまりに透明すぎる」
そういえば、あの葬儀屋はこうも言っていた。
「飾っておくなんてよした方がいい。泥棒が入ります」
石化症患者が残す石の透明度は、発掘されるものよりも高く、また巨大な塊であるため、それを狙う空き巣やら何やらがけっこういるらいしい。
目覚めたときに、ふと右手を朝日にかざしてみた。きらりと光が反射する。
父はある日突然石になってしまった。来年から社会人になる身としては、いつか僕もこうなってしまうかもしれないという一抹の不安もある。
だが、右手を見るたびに思うのだ。父が生涯をかけて生み出した石は、何よりも透明だ。こんなに綺麗になれるなら、それも良いかもしれないと。
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