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05.秘薬と治療薬と屍人薬《ゾンビパウダー》
カティアは一晩中少女の面倒を見た。汗を拭いたり、中和剤を薄めた水を飲ませたりとだ。いつの間には翌朝になり、カティアは少女が三時間は息を荒げていないことに内心安堵しながら、頬や首と腕に触れて診察する。少女の肌の固さや体温が正常に戻ったことにホッとしていた。
男は幽霊の能力を用い彼女を浮かせ、元の場所に戻したようだ。今は夜であり、彼は目を離さずおくったので、少女に危害が加えられることはなかったようだ。ちなみにカティアが幽霊に投げた粉の効力はもうなくなっている。
もし万が一、道中カティアが治療した患者に何かあったのなら、カティアは彼を冥界に送ってしまっていただろう。
カティアは彼を信用したわけではない。依頼をしてきたのでそれを受けただけだ。あの少女を見て過去を思い出してしまい、魔女たちを一歩危険にさらしてしまった。それに彼はカティアをここに連れてきた容疑者なのだから、気をぬくことはできない。
カティアは彼が帰ってきたのを、彼の魂があるこの現世と重なっている霊界に、目の焦点を合わせ確認し、仁王立ちで彼を出迎えた。
「で、こんなところに魔女を誘拐するだなんて、一体何がしたいのかしら? これですぐに帰すのなら、わざわざこんなことしてないでしょう?」
カティアは主導権を握るために、妖艶な姉弟子ビルギッタを参考にしそう告げる。あの少女程度の進行具合なら、薬師でも治せただろう。そう考えると少女の治療が目的とは思えない。きっと魔女にやらせたいことがあるのだろう。
厳密に言うならば、魔女の特異な能力ではなく、魔女の出自ーー切り捨てられる異邦人向けの依頼かもしれない。
そんな魔女たちを傷つけるための依頼だったのなら、責任を持ってこの幽霊を退散させ、彼が輪廻転成しても二度と同じことを繰り返さないように、魂を漂白するしかない。
魔女ではなく薬師だと先輩魔女たちに揶揄されるカティアだが、なんとか頑張って術を行使するしか道はないだろう。師匠のアスタが作ってくれた教本や自分の覚書を確認しなければ……カティアは胃が痛むのを感じた。
「治療薬を売って欲しい」
「どんな治療薬を御所望なのかしら?」
カティアは十中八九先ほど使った秘薬だろうと思いながら、勘の悪いふりをした。幽霊の彼は薬草色の目を細め、頭の悪い女だなとでも言うような視線を投げかけてくる。
しかしカティアはよく知っていた。なんでも首を突っ込めばいいわけではないと。それでなくとも魔女たちを危険にさらしているのだ。少女を助けたことを後悔はしていないが、それとこれとは別だ。
先程彼は、異邦人は耳が早いほうがいいといったのだから、カティアの苦悩に気づいてくれてもいいのに。カティアは理不尽だと思いつつ、艶やかに微笑み彼の言葉を待った。
「あんたがさっきあの女の子に使った薬を頼みたい。できればありったけだ」
「わたくしたちは異邦人です。あなたはこの国の方でしょう? この国の騒動だと思っていらっしゃるのなら、ご自身たちで解決なされば良いでしょう。わたくしたちは干渉はしません。特に国には」
「分かってる、でもあんたしかいないんだ。あんただって人を助けたいんだろう? そうじゃなきゃすぐに脈を図るなんてことしない」
意外に目ざとく、カティアの少女への対応を見ていた彼に驚いた。しかしここで動揺してはいけない。カティアはこう切り返す。
「あの薬はそんなにすぐに作れるものではありませんの」
「なぜだ?」
「素材が貴重ですし、ありったけと言われましても……今の時期では収穫できませんわ、これから冬になりますし」
「確かにそれもそうだな、じゃあああいった人々を治す薬を新しく作れないか?」
この幽霊は革命軍の一員か何かだったのだろうか? 自国の王に真っ向から歯向かうだなんて、正気の沙汰じゃない。
カティアもこの納屋の外の屍人の大群には本当に驚いたものだ。こんな大勢の人々を屍人状態にして秘匿して働かせているのなら、この復興最中に個人でやるには無理だ。強力な組織で無ければ厳しいだろう。そうなると一番怪しいのは国だ。この光景は魔女たちのいったことを益々裏付けた。悪い方向に。
そのせいで彼が成仏出来ないのだとしたら、悪霊になってしまう前に彼の未練を晴らすことが、結果的にジェムラト村の人々を救うことにも繋がるかもしれない。
悪霊になってしまうと善悪の区別がつかなくなり、カティアに逆恨みしてくる可能性もある。そうなれば村人も無事では済まないかもしれないのだ。
カティアは彼の状態を図るため、本音と冗談半分のこんな言葉をかけてみることにした。
「何が何でもわたくしを巻き込むおつもりですか。それほど使い捨て出来る異邦人がご入り用なのですね。何かあればわたくしに罪をなすりつければいいのですもの。これほど楽なこともありません」
「俺だって! 好きであんたに頼んでいるんじゃない!」
「ならば、おやめになればいいのです」
カティアがきっぱりと言い切り、彼はあっけにとられたようにまじまじとこちらを見てくる。信じられないものを見たような目だ。
「あんたは魔女だろ? 人を助けるのが仕事じゃないのか?」
カティアは肩をすくめた。彼は一体魔女をなんだと思っているのだろう。奉仕志願者ではないということをはっきり伝えねば。
「確かにそういった側面が魔女にはありますわ。それは間違いありません。しかし魔女は英雄ではないのです。近くのものは自分の力量に見合えば救えますが、それ以外は管轄外ですわ。魔女は自分にできることしかしませんし、自ら危険に近づくこともしません。それが周囲の人々を守ることにつながるからです」
「そうか……」
幽霊はそれから黙ってしまった。しかしそれも長くは続かず、カティアの目をしっかりとみてこういった。
「じゃあ、あんたたちに何かあったら、俺が守ってやるよ」
「幽霊のあなたに何ができるというのですか」
「幽霊だからこそできることもある」
彼は笑った。カティアはその笑顔の眩しさに、なぜか羨ましいと感じた。
「わたくしは他のものたちを傷つけるわけにはいきません、しかも国に睨まれるどころか、殺されるようなことをするだなんて無理ですわ」
「国にだって悪いやつばかりじゃないかもしれないだろ?」
「希望的観測でわたくしは動きませんの」
「あんた、分かってんのか? ここに連れてきたのは俺だ。いつだってあんたをあの中に放り込むことができる。本来なら感染することはあまりないが、沢山の屍人と接触したら……言わなくてもわかるよな?」
確かに彼のいう通りだ。彼らも人間なのだから汗は掻く。それらが蒸発してあの空気中に屍人薬の成分が蔓延し、それをカティアが吸い込んだら……
屍人薬の詳しい成分は分からないが、大体予想はつく。毒を持った生き物を狭い場所に閉じ込め、共食いさせる。そうして毒の薬効をあげ、他にも様々な毒性を持った植物から抽出した毒を混ぜ合わせる。大方そんなところだろう。
カティアは自分自身の命は惜しくない。けれども師匠の魔女アスタに助けられた命だ。この命はむやみに捨てていいものではない。まだ一六歳だというのにあの世に行ったら、両親も師匠アスタも悲しむに違いなかった。
カティアは自分以外に死人が出ないことを胸中で祈り、観念することにした。
「分かったわ、その依頼受けましょう。ただし条件がありますの」
「どんな条件だ?」幽霊は訝しんだが、カティアは気にせず続ける。
「わたくしが薬を作ったことを誰にも他言しないこと、そして他の人がこの件で被害にあわないようにしてちょうだい。そうなったら絶対に助けなさいね。意味は分かりますわね?」
「王が何かしてきたら、そいつを守れってことか?」
幽霊は考えながら言葉を発する。
「そういうことですわ」
「……あんたのことは守らなくていいのか?」
カティアはため息をついた。この人は自分のいった意味を分かっていないようだ。カティアは嫌だと思いながらも説明する。
「……あなたに脅されたといっても治療薬を作ると決めたのはわたくしです。つまりわたくしの意思でジェムラト村の人々に危険に晒すといったも同然。あの村は国と国との間にある村。その村に戦火を呼び込もうとしているのかもしれなくてよ? そのわたくしを守れだなんて、どの口が言うのかしら。あなたがいったことはそういうことなのです」
「……あんたは自分が襲われたのに、他人のことを考えられる人間なんだな」
幽霊は独り言のようにつぶやくと、居住まいを正した。
「分かった。絶対あんたの大切なものを守るって誓う」
幽霊はカティアの足下に跪き、カティアをしっかりと見つめていた。
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