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07.姉弟子への手紙と秘密の地下施設
カティアは目の焦点を霊界に合わせ直した。そして幽霊が自分の家にはいないことを確認し、作業部屋の四隅で香炉を焚いた。これで彼は入ってこれないだろう。
なぜここまで彼を気にしたのかと言うと、カティアはこれから姉弟子のビルギッタに手紙を書きたいと思ったからだ。内容はこの件に関しての相談である。
このことが発覚すれば、最悪ビルギッタもただでは済まない。そのためこれは秘密裏に行わなければならない。
時折香を焚いていたのも、今回の手紙の件を秘匿するためである。今回だけ香を焚いたら、怪しんでくれといっているようなものだ。けれど時折焚いていたので、追及されることはないだろう。
これは魔女たちにも知られてはいけないため、まず偽の文を書き、その後に炙り出しでも偽の文を書くつもりだ。
では本当に伝えたいことはどう伝えるのか?
今回カティアが本当のことを書くのは便箋ではない。封筒の裏である。そこに魔女の師匠アスタの故郷の言葉を炙り出し用のインクで書けば、こちらの思惑はしっかりと伝わるはずだ。
カティアは封筒の裏に言いたいことを書いた後、ごまかすためのの文の内容に頭をひねった。何とか偽の文を便箋にしたためる。カティアは蜜蝋で手紙に封をし戸口に手紙を置いた。郵便屋は今日午後来るはずだ。
カティアはそこでようやく香が途切れたことが分かった。ここで戸を開けて充満している煙を部屋から出す。このまま香の煙が充満すると部屋に効能も移るのだが、幽霊がいるというのにそれを実行するほど、カティアは図太くなかった。
それにここで綿密に、魔女の秘薬の秘匿を行わなければならない。カティアは生唾を飲み込むと、幽霊を呼んだ。
カティアは作業場の机にレシピを広げて見せた。
「一応レシピは十種類は出来ましたわ」
「は? また十日しかたってないぞ?」
これを読んでも製法を読み取るのは無理だ。魔女の言葉で書いてあるからだ。ただ一応つくったということを証明しなければならない。
「ただレシピを考えるだけですもの、むしろ結構時間がかかってしまいました」
「やっぱ、あんたって噂通り……いやそれ以上だな?」
「あなたも噂を聞いて依頼してきたのですね?」
あまりこちらから話は振るのは魔女として良くないことだ。でも好奇心の方が勝ってしまった。カティアは情報収集も仕事のうちだと自分に言い聞かせる。幽霊はカティアの内心に気付く素振りも見せず、言葉を続ける。
「あんたは年の割に治療が凄いって一部では有名だからな、結構今だって人来るじゃねーか」
「以前ここにいた薬師の方の腕がよかったからでしょう」
確かにジェムラト村の人々以外からも時折人が来てカティアに依頼してくる。人の治療に関するものなら、カティアは喜んで協力している。しかし自分は魔女としてまだ勉強中で、薬草に関する知識以外は全然だ。あまり持ち上げないでほしい。先輩魔女たちの嘲笑が頭によぎり、カティアは頭を振った。
「どうした?」
幽霊が心配そうにこちらを見つけてくる。カティアは何かが胸をよぎった気がしたが、気づかないふりをした。
「別になんでもありません、それよりこれから本当に効くかどうか、実験するための見本薬を作らないといけません」
「えっ、これから作って終わりじゃないのか?」
カティアはその言葉にげんなりしたように首を振った。
「あのね、屍人になった人たちは一応食事はしているんでしたわね? なら多少自我は残っているのでしょう。あとから後遺症が出る方が問題だと思います。戻ってきた父親がまた屍人に戻りましたじゃ、意味がありません」
「たしかにそうだが……」
幽霊は理屈は分かるが、理解が難しいといった表情になった。薬草と似たような緑色の目が、いつもより濁ったように見える。カティアはその表情が益々曇るようなことを告げる。
「それに今は薬草も足りないから、そっちの補充もしないといけませんわ……」
「それは当てがあるのか?」
「当てがなくても、脅されたわたくしに拒否権なんてありませんでしたでしょう?」
「いや、それは……」
幽霊は居心地悪そうに身をすくめた。これではカティアが悪者みたいではないか。カティアはため息を吐く。
「だからこれから作りますわ」
「これから作って間に合うのか?」
「何回も同じこと言わせないでくださいませ。仕方ないのであなたにも見せてあげますから」
カティアはそういって、身に着けているローブのポケットから鍵を取りだす。幽霊がそれを見て不思議そうに身を乗り出した。カティアはそれを確認し鼻を鳴らすと、作業場の床のカーペットをはぎ取った。するとそこには四角に縁どられた扉が現れる。
カティアは慣れた手つきでそこに鍵をはめ込み、その中に掛っている梯子伝いに降りていく。幽霊は慌ててその後を追った。
そこは紛れもなく地下である。前の薬師が作ったものをカティアもありがたく使わせてもらっているのだ。そうしないと手入れも大変と言うのもあるが。いつものことだが周囲は暗い。カティアはすかさず壁の窪みに備え付けてある燭台に、マッチで火をつけそれを持った。そして所々窪みにある燭台に火を移していく。すると徐々に明るくなり、カティアが目を凝らさなくても良くなった。
カティアはそのままなれたように奥へと向かい、突き当たりの扉に手をかけた。そこには見慣れた中央に大きなテーブルがあった。カティアはこれからする作業を思ってため息をついたが、幽霊は違ったようだ。
幽霊は初めて見る地下施設を興味深げに見渡している。たしかに当初はカティアも驚いたものだ。周囲の壁には薬草棚や本棚が備え付けられており、本や試験管などの器材が沢山置かれている。しかもここには水まで通っているのだ。最初に作ったときの労力と思うと、大変だったことは想像に難くない。
「ここで増やせる薬草は増やしていくことにしますわ」
「ここはそのための場所なのか?」
「一応言っておくけれど、ここは前の薬師の人が作ったものですの。作り方を知りたいって言われても知りませんわ」
カティアは洗い場の蛇口をまずひねり、雑巾を濡らし始めた。一応週に一度は掃除をしていたが、細かいところは掃除はしていない。普段は冬の時期に使うものだからだ。
カティアは早めの掃除だと思えばと自分を言い聞かせ、掃除することにした。
「なぁ、俺ができることはないか?」
「そうですわね……」
カティアはその申し出を意外に思った。依頼主に任せるのもどうかと思ったが、そう言ってくれるのならお願いしてもいいかもしれない。カティアは棚を拭いてほしいとお願いした。そして雑巾をもう一つ絞って、彼の霊体に差し出した。
「ありがとう」
「むしろわたくしが言うべきですわね、手伝ってくれるのはありがたいですもの」
「……俺に手伝わせるために、ここに連れてきたんじゃ無かったのか?」
カティアはその言葉に幽霊を思わず睨みつけた。依頼者に仕事を投げるような魔女に思われていたのなら心外だ。
「わたし、依頼者に仕事を投げるような怠惰な魔女じゃないんだけど」
「それがあんたの素か……そっちの方がいい」
幽霊にそう微笑まれ、カティアは口ごもった。カティア自身に微笑まれたのはいつぶりだろう。いや、そうじゃない。魔女は人とは一定の距離を取ることが大切だと言うのに、なんて失態をしてしまったのか。カティアは密かに舌打ちした。
けれども胸に暖かなものが灯ったことに間違いはなかった。
二人はそれからこの地下施設を徹底的に掃除した。それだけで気持ちも晴れやかになった気がする。いつもよりこの地下の掃除が早く終わり、カティアは幽霊を見て、今だけは一人でないと実感したのだった。
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