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08.顔なじみの商人ルボル
カティアは地下施設の清掃をしてからというもの、精力的に働いていた。
治療薬を作成していることが発覚しないよう、別々の商人に貴重な薬草の苗を依頼したり、薬草を確実に育てるために、地下施設の水耕栽培の準備をしたりだ。そして普段の日課も忘れることもなく、村人たちの顔を見回ったり、勉強もしたりと、休む暇はない。
カティアは思った以上に順調だと思っていたが、少し気になることがあった。それは幽霊のことだ。なんだか苛立っている気がする。何故かはわからないし、カティアが何かした覚えもない。しかしカティアは治療薬を作ることだけに集中していた。依頼人の仕事を手早く終わらせることが、カティアにできる唯一のことだからだ。
そんなとき久しぶりに裏口の鐘が鳴った。カティアは香をたいてから、客人を迎え入れた。そこには茶髪の大男ルボルがいた。顔なじみの旅商人ルボルはにこやかな――半数の人が爽やかかもしくは胡散臭いと評する――表情で立っていた。
「こちらからくるだなんて珍しいわね、薬草茶は何がいいかしら?」
「イチョウが入っているやつがいいな」
「商人に記憶力は大切だものね」
カティアは土瓶を出してお茶を出す準備をし、ルボルに椅子を出した。彼は大きな図体が何かにぶつかることのないよう、慎重に座る。彼はにこにこと笑顔を浮かべているが、視線はいたるところに向いて――カティアの家を観察していることが分かった。
カティアはお茶うけに香辛料――ナツメグやジンジャーなど――が使われているクッキーとキャンディを出し口火を切った。
「態々くるだなんて、何かあったわけ?」
「そういう話もいいけど、最近どうだ? なんか変わったことあったか?」
まるで近所の兄のように近況を聞いてくるルボルの様子に、カティアはようやく合点がいった。
「そういうこと。ビルギッタ姉さまか大魔女様たちあたりから様子を見てこいって言われたのね、あなたもお使いだなんて大変ね」
「まっ、俺はあんたたちと仲良くやりたいからな、他のやつとは違って」
ルボルはクッキーをかじりそういった。確かに彼は”商人”の中では穏健派だ。カティアの――とはいってもカティアは直系の魔女ではないが――先祖から別れた男たち、つまり魔術師のルボルは上手く中立の立場をとっている。そのため情報屋としても名の知られている存在だった。情報屋として名が売れているというのは、不名誉だと彼は時折呻いてはいるが。
しかしどちらでも構わないが、カティアの様子を彼越しとはいえ伺ってくるとは。カティアの目論見が大魔女たちに発覚してしまったのだろうか?
今発覚していなくともルボル相手に普段と違う言動を見せたら、何かをかぎつけられてしまうことは想像に難くなかった。ルボルを警戒して彼以外の商人にも依頼をしている。それが彼に発覚するのは致し方ないが、そこからカティアの企てを見破られるのは避けたい。上手く誤魔化せるかはカティア次第だった。
「でもそれだけなら、裏口から来ることなんてないんじゃない?」
カティアはお湯が沸いたのを確認し、席を立った。沸騰している土瓶に茶葉を入れる。イチョウが入ったお茶は三分蒸らすのがコツだ。カティアは三分用の砂時計を横に置いた。
「いやーお前が色々困っているみたいだからよ、最近色々買い込んでいるって噂で聞いたんで来てみたって訳だ。俺は商人だか昔馴染みには融通するぜ?」
「裏口から来たっていう理由になってないわよ。最近買い込んでいるのはただの冬支度よ。折角ポポヴィチュさんの後を継いだんですもの、色々実験してみたいの」
ポポヴィチュというのは以前ここにいた薬師である。とても腕のいい薬師だが、そういった職人肌の人特有の話の通じなさがない人で、カティアも短い間だがお世話になったもう一人の師匠ともいえる人物だ。
「なるほどなーお前は本当研究熱心だな、お前の爪の垢をあいつらにも飲ませてやりたいぜ」
ルボルのボヤキ癖が始まった。カティアはこれは長くなりそうだと覚悟した。そして自分も彼のことを知っていると言外に伝えてみる。
「そういえばお弟子さんを取ったんですって?」
「弟子なんてもんじゃねえよ、押し付けられたんだ」
顔をゆがめる様は本当に嫌がっているようにしか見えなかった。
「あら、それでもいいんじゃない? 荷物持ちくらいにはなるでしょ?」
「あんだけ文句言う荷物持ちなんて、いらねえよ、そうだ、お前の所で使うか? 実験台にはなるかもしれん」
「その時は薬草を渡すわ、羊皮紙一枚にまとめてくれると助かるわね」
さすがに情報屋をやっていることだけはある。どうでもいい情報しか落とすつもりはないらしかった。カティアは砂時計の砂がすべて落ちたのを見て、ルボルにお茶を注ぐ。すると秋の匂いがその周辺に漂った。
「あー旨い! なんていうか効きそうだな」
「売ってあげてもいいわよ」
「じゃ、お願いする」
カティアは後ろにある薬草茶の入っている棚に背を向け、イチョウが配合されている茶葉を取りだした。
「そう、どのくらい必要かしら?」
「ひと月分あるか?」
「そのくらいなら大丈夫よ」
カティアはイチョウが入っている薬草茶を一杯分ずつ分け始めた。カティアにとっては薬草茶も立派な予防薬の一種だ。そのため一杯分ずつ分けることは欠かさない。
カティアは薬草茶を纏めている袋から取り出しながら、ティースプーンで分け始めた。応対もあるのでルボルの前でだ。
「そういえばドルアーゴは落ち着いた? あちらはまだ平定が進んでいないんでしょ?」
その言葉でルボルの目が一瞬険しくなった。しかしそれを瞬時に隠すと、彼はお茶を口の中で転がし飲み干した。
「いんや、なんていうか怪しいな。あの国は領土を広げるのは上手いが、内乱が多い」
「そう……この村もドルアーゴが落ち着いてくれないと困るのよね。国に入ってないと自由だけどこういう時は弱いもの。なら薬の需要はまだありそうね、生傷に効きそうなのを仕入れてくれると助かるわ」
カティアは内心でため息を吐く。忙しくなる遠因が内乱とは手放しで喜べない。
「わかった。村は本当周りに左右されるからな、そういう意味じゃお前も休んでおけよ」
「ありがとう、お互い定住できない身だもの。耳は早くしておきたいわね」
カティアがイチョウが入っている薬草茶をひと月分小分けにし終わると、大きな紙袋にそれを入れる。そして彼に手渡した。
「はい、これがひと月分よ」
「どのくらいするんだ?」
「お金の代わりに何かあったら教えてくれない? あとこの金品の査定と薬草の苗を頼みたいんだけど」
カティアは丁度いいと思い幽霊から渡された宝石類と、カモフラージュ用の苗を頼むことにした。
「なら、査定料からお茶代を引いておく」
「お茶代はこれよ」カティアはその場で領収書を作って渡した。
「わかった。あーそうそう、これ渡しておいてくれって頼まれたんだ、後で見とけよ」
そういって渡されたのは、本だった。パラパラとめくると薬草のレシピが載っているようだ。きっとこれが本題なのだろう。もしかしたら秘匿性が高いレシピが載っているのかもしれない。
「そう、読めばいいのね?」
「ああ、このままの状態でな」
「わかったわ」
カティアはこのままの状態というのが、香をたいている状態を指していると分かった。カティアはルボルを見送ると、そのレシピ集をめくった。しかしどのレシピもカティアの知っているものばかりだった。カティアが不思議に思って裏付けを見て、そのページを手でなぞると、少し違和感を覚える。そこに鼻を寄せてみると、嗅ぎ覚えがある匂いがして、カティアは炙った。
するとそこにはこう記されていた。『銀杏を部屋から一枚残らず追い出せ』と。
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