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09.村人の老婆と純血の魔女
カティアはルボルからのメッセージに頭をひねりながらも、忙しく過ごしていた。そろそろ収穫祭も近い。そのためカティアはその準備に追われていた。あの世とこの世との境界があいまいになる収穫祭付近は、魔女として動植物――自然に祈りをささげる儀式もある。
カティアはソウルケーキやランタンや、蜂蜜をたっぷり使ったキャンディを用意したり、新月と満月に収穫した薬草からお茶を作ったりと、忙しくも充実していたのだった。
しかし日常生活も忘れてはならない。カティアは習慣になっている村人への問診――パンやクッキーを配る作業も忘れない。今回は血流を良くするものや、消化器にいいものを中心に作りうがい薬も用意した。こういった予防療法は早めの家にやったほうがいいのである。
カティアは籠一杯にパンやクッキーうがい薬やキャンディ、薬草茶などを詰め、村を回ることにした。しかしその時、ふうっと幽霊が現れた。日課の偵察は終わったのだろうか? カティアは彼が何をしているのかは知らないが、普段気に留めることもない。というより依頼人に付きまとわれる状況に慣れていないため、ある意味最近の彼の行動は有難いのであった。
しかし依頼人が幽霊で時折離れることはあっても、ほぼ見張られている状況に対する注意だなんて誰もしては来なかったし、そんなことを考えたことも勿論ない。カティアはなんとなく無視して出ていくのも悪いと思いなにか伝えようと頭をひねった。
「……これから村を回るわ」
「俺もついていっていいか?」
カティアが悩みながら言った一言に被せるように彼はそう伝えてくる。カティアは何となく嫌な気分になりながらも了承し、目だけが見えるように面布を付け、ローブのフードを目深にかぶり、魔除けの香水を振りかけると外に出た。
カティアが歩いていることに気付くと、周囲の人々は話すのを止める。まだカティアの存在に慣れないことを実感するが、警戒心を抱いていることの裏返しでもある。それにある意味カティアは安心するのだった。
しかしそればかりではない。中にはあからさまに怯えない人もいる。もう孫がいる世代の女性たちが特にそうだ。なんとなくカティアの年齢にも気づいている節で接してくる人もいて、カティアはこの魔女の証をはぎ取られた心地になり、身の置き場が無くなるのだった。
カティアが数軒訪問し、籠もすこし軽くなった頃見えてきたのは、孫が年頃の女性の自宅である。隣国で息子夫婦たちが暮らしているようだが、彼女はこの村で過ごしているようだ。カティアはその家の鈴を鳴らすと同時に彼女が姿を見せる。応対に出てくるには早すぎる登場に、カティアは一瞬たじろいた。
そこには普段みせない彼女の姿が見えた。そうそれは盛装だった。見慣れない彼女の服装に戸惑うが、カティアは意を決して声を掛ける。
「ドロタあなた、どこに行くの? パンを置きに来たのだけど」
「魔女さん、いいところに来たね、人を呪う薬なんてないかい?」
冗談でそういった類のことを言われたことはあるが、ここまで真に迫った言い方をされたことは初めてだ。ドロタの出で立ちを改めてみると、なんというか戦闘前に思えてきた。
それを裏付けるように、横から幽霊が「このおばあちゃん大丈夫か? 何か怒ってるみてぇだけど、頭に血が上って倒れることはねえか?」と妙な心配をしてきた。確かにいつもは温厚な彼女だが妙に目が座っている。詳しく話を聞いたほうがよさそうだ。
「何があったわけ? 貴方がそんなことを言うだなんて穏やかじゃないわね」
ドロタを落ち着かせるように意識しながら、カティアは淡々といった。これはビルギッタに習った相手の雰囲気に飲まれない方法である。
「孫娘が悪い男に引っかかったらしくてね、報復しに行くのさ。若いもんにはよくあることだが、結婚までちらつかせていたらしいからね。さすがに黙ってられないよ」
カティアの視界の隅で、ドロタが手にしている十センチもの針――帽子ピンがちらついたのが見えた。きっとあれが凶器なのだろう。幽霊が怯えたように「うわー」といつもより幾分低めの声で後ずさる。確かにあれは女性特有の武器だ。帽子ピンも彼女の怒りに感化されとても鋭く見える。
ドロタの体から怒りが全身から迸っているのがよく分かったが、頭に血が上った状態の彼女が無事に町まで行けるのか心配である。行けたとしても気が高ぶった状態がいつまで持つのか、気持ちが落ち着けば反動で倒れる可能性もあった。
「それは大変ね。私も町に用事があったの、よければ一緒に行かない?」
「魔女さんも来るのかい! こりゃ百人力だね」
思いがけないことからカティアは、久しぶりの町に向かうことになった。隣村の境にある乗合馬車で街に向かうとなると昼ごろにはつくだろう。カティアはドロタと幽霊と共に、乗合馬車に乗り込んだ。
*
久しぶりの町は人ごみが多くにぎやかだった。レンガが敷き詰められている道は綺麗に舗装されており、ゴシック建築とロココ建築が入り混じったような建物沿いに、市場が並んでいた。新鮮な食料品や、花。装飾品や日用品などが売っているようだ。先程から街を歩く人々の視線がカティアに突き刺さるが、カティアはその視線の不快感よりも、ドロタの方が気になって仕方なかった。
街頭商人たちの掛け声が町に彩りを与えている。しかしそんな街並みに目もくれずに、ドロタはずんずんと進んでいく。まるで目的の人物がどこに居るか知っているようだ。
カティアはどう対応したものかと悩んでいると、幽霊が「どこに行くのか聞いたほうがよくねえか」といってきた。カティアはそうかと思い立ちドロタを呼び止める。
「その人、どこに居るか分かっているの?」
「勿論さ、訊いた話じゃパブに出入りしているっていう話だよ」
「食事処にいるとしても、まだそこにいるかしら?」
「ま、まだそこにいたらとんだ間抜けだとは思うね」ドロタはそう笑うが、その声はとても固い。
「そういや魔女さんの用事はいいのかい?」カティアはそういわれて言葉に窮した。数瞬だったがそれが分かったのだろう。幽霊が「一緒に街を見て回りたい」って言えばいいんじゃねえか? といってきた。カティアは幽霊の意見そのままにドロタにそう返した。
心当たりのパブを数軒回るが、さすがにすぐには見つからない。しかしいたことは確かなようで、顔は見たことあるといった話が、その店のマスターから聞けることが多かった。時にはそこの客からも。といったことから、あまりよくは思われては居なさそうだ。
七軒程度回っただろうか? 心当たりのあるパブはここで終わりだ。ドロタは怒りが頂点に達しているらしく、帽子ピンを握っている手が震えている。カティアはどうしていいのか分からず、彼女を見ていることしか出来なかった。
パブの扉を開く。ドロタは周囲を見渡すと、先ほどとは違い一直線に向かっていった。カティアは息を飲んで彼女についていく。そこにはいかにも軟派な男がいた。ドロタは帽子ピンをその男に振りかざした。
「うわっ、痛ってー何すんだ、婆!」
「うちのダナの心の痛みに比べれば安いもんだろう! 他の娘さんにも手を出しているんだろうどうせ!」
ドロタは逃げる男を帽子ピンで追いかける。普通なら周囲に人が寄るのだろうが、魔女のカティアがいるせいだろう。だれもが遠巻きに見ているだけで、人が寄ってくる気配はない。
「勘違いだろ、俺じゃねーよ」
「あんたの名前はなんだい?」
「それは……」
カティアでも軟派な男の目が泳いだのが分かったのがわかった。幽霊も「十中八九やってるな」といってきた。
「言いよどむってことは、言ったらまずいっては分かっているみたいだね。沢山の娘さんを泣かせてきた心当たりがあるんだろう?」
「だから何もねーって」
「正直に言わないなら、魔女さんに何でもいっちまう薬を貰ってもいいんだよ? なぁ魔女さん?」
カティアはドロタの後ろから隣りに立ちこう静かに言った。
「私はそれでも構わないわ」カティアの一言で遠巻きに見ていた人々の息遣いまで止まり。しんとした音が響いた。
「ひぃい」
そこからは早かった。ただただ謝り通しの男に、ドロタはもう何もしないようにときつく言い含めた。
「もうあんな田舎娘に手はださねーよ」
「まだそんな口のきき方をする元気があるんだね、言っても無駄なら……魔女さん!」
「自白剤がいいかしら? それとも……」
「止めてくれよぅ……分かった、分かったから」
こんなやりとりが続き、なんとか念書をかかせ解放させると、そろそろ西の空が橙に染まるころになっていた。カティアはドロタの倒れる姿を見ることなくほっと胸をなでおろす。これだけでも来た甲斐があったというものだ。
「魔女さん、いろいろ世話になったね。あたしも勢いで来ちまってね、居てくれて助かったよ」
「別にかまわないわ」
カティアとドロタは乗合馬車の待ち時間を利用して、市場を見て回ることにした。街にいる魔女が物珍しいのだろう。やはり視線が突き刺さるが、目的を無事に果たした今となってはそこまで気にならない。折角なので生鮮食品を中心に買い栄養をつけようと、肉屋によることにした。
「あら、あんたこんな所にいるだなんて珍しいわね」
「貴方は……」
カティアは隣にきた人に驚き、目を見開く。そこには魔女のイヴォナがいた。
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